A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記149 「逃げ去る女」

2007-12-31 12:49:58 | 書物
タイトル:失われた時を求めて11 第六篇 逃げ去る女
著者:マルセル・プルースト 鈴木道彦訳
装丁:木村裕治
カバー画:キース・ヴァン・ドンゲン「フォルシュヴィル嬢」
発行:集英社 集英社文庫ヘリテージシリーズ
発行日:2007年1月24日
内容:
「ワタシタチノカワイイあるべるちーぬハ、モウコノ世ニオリマセン。アンナニ彼女ヲ愛シテクダサッタアナタニ、コンナ恐ロシイコトヲ申シ上ゲルノヲオ許シクダサイ」
(本書帯より)

アルベルチーヌ失踪後の語り手の苦しみ。帰って来てほしいと願う気持と、帰らぬことを望む気持が渦巻く。やがて、彼女の死亡通知を受けとると、彼女のことが生き生きと蘇って、語り手を苦しめる。また、彼女の隠された過去も報告され、苦悩をいっそう深くする。一方、スワンはすでに死に、オデットはフォルシュヴィル伯爵と再婚し、ジルベルトはサン=ルーと結婚している。語り手はヴェネチア訪問の後、彼らの住むタンソンヴィルに滞在する(第六篇)。
エッセイ:堀江敏幸
(本書カバー裏解説より)

購入日:2007年12月30日
購入店:紀伊國屋書店 渋谷店
購入理由:
今年1年をかけて読み進めてきた「失われた時を求めて」も、結局年内では読み終わらず来年へと読む継ぐことになった。こうして一年が終わっても、私はまた変わらずに「失われた時を求め」る過去へと書物の中を彷徨することになるだろう。いまだ未読の本は積まれたままだ。来年はいくつの本と出会えることだろう。まずは、失われていく(逃げ去る)2007年を思いながら、この本をゆっくり読みすすめていこう。それでは、皆様よいお年を。



未読日記148 「歌舞伎」

2007-12-28 22:59:35 | 書物
タイトル:歌舞伎-その美と歴史-
著者:河竹登志夫
表紙:『戯場訓蒙図彙』より
発行:独立行政法人日本芸術文化振興会
発行日:2007年5月1日
内容:
1.はじめに
2.舞台と観客
3.作品の種類とテーマ
4.見どころ聴きどころ
5.歌舞伎小史
日本演劇史略年表
(目次より)

入手日:2007年12月23日
歌舞伎好きな知人の方から頂いたもの。目次からもわかるとおり、歌舞伎について解説したパンフレット。
今年一年は浮世絵の展覧会が不思議と多く、足しげく見に行った。浮世絵を見ていて、題材に歌舞伎が多いものだと思うのだが、歌舞伎をほとんど見たことのない私にはおもしろさに距離があると感じていた。ならばその距離を縮めたいと急に思ったのだ。いままでの人生でも歌舞伎好きの人はたびたびいたし、その話を聞きもしたのだけれど、見に行く機会を失していた。ならば今こそ浮世絵経由で歌舞伎に行き着く時かもしれない。そんなこんなで歌舞伎熱が徐々に熱し始めていた時に、このような冊子を頂くことになり、さらに国立劇場で行われる初春公演『小町村芝居正月』の情報を頂いたので、さっそく歌舞伎元年第一弾として見に行くことにした。ちなみに、知らない世界を知ろうとするとき私は質よりも量だと考えている。年間どれくらい見れるものなのかわからないが、時間と予算の都合がつくかぎり通うことにしよう。

未読日記147 「RIPPLE」

2007-12-27 22:52:23 | 書物
タイトル:RIPPLE 22号
ディレクター:林聡
デザイン:泰田浩二、松山貴至、山口恵子、土谷弘美
表紙作品写真;ログズギャラリー
発行:株式会社ノマル
発行日:2007年12月1日
内容:
「RIPPLE(リプル)」は、創る人、観る人、買う人、売る人、サポートする人-現代美術を中心に表現活動に携わる人のネットワークを結ぶアート情報誌です。
発行部数 4,000部
発行日 季刊(6月・9月・12月・3月)1日発行
(裏表紙より)

特集「Nomart Projects #04 Rogues' Gallery meets NOMART」
「ログズギャラリーの軌跡」
「Nomart Projects #04 キュレーターインタビュー」
「ライブからソロアルバムへ」木ノ下智恵子
「ガソリンミュージック&クルージング,日本横断,2006-2007」
「Rogues' Galleryプロフィール」
「『ガソリンミュージック&クルージング』搭乗記」稲垣貴士(映像作家)、松本教仁(高知県立美術館学芸課チーフ)、黒沢伸(ミュージアム・エデュケーター/元水戸芸術館学芸員)、しばたゆり(ログズギャラリー)

「創作活動を支援する方法」原久子(アート・プロデューサー、ライター、編集者)
「ノートより 「roots-光の根」について」中川佳宣
「roots-美術作家 中川佳宣インタビュー」
「名和晃平“TORSO”展について語る」

入手日:2007年12月22日
入手場所:Oギャラリー&UP・S
大阪にあるノマルは画廊+工房+デザインルームという形態のアートスペース。ギャラリーであるノマル・プロジェクトスペースでは、伊庭靖子、大島成己、名和晃平、北条貴子、今村源、中原浩大など関西を中心に活動する作家たちの魅力的な展覧会を開催しているが、いつか行こうと思いながらいまだ行けずにいる。そのノマルが発行しているフリーペーパーマガジンが『RIPPLE』。東京では、INAXギャラリー、Oギャラリーで設置・配布している。私は東京の設置・配布場所である両ギャラリーで見たい思った展覧会に足を運んだ時にしか手に入れていない。パラパラと紙面を眺めて持って行くかどうか判断をするのだが、毎回内容、デザインともに興味をそそるものがあり、つい手にしてしまう。今回は表紙の地図にひかれて手に取り、持ち帰った。

未読日記146 「白須純」

2007-12-26 23:58:47 | 書物
タイトル:SHIRASU JUN : Estacao de PALMELA e obras de gravura no ano 2007
Photograph & design : SHIRASU Jun
Edit & design : SHIMOKAWA Kumika、TANAKA Yukiko
Published by SHIRASU Jun
Published : December, 2007
Private edition : 1,000 copies
Not for sale
内容:
2007年12月17日-12月22日まで東京・京橋のASK? Art Space Kimuraにおいて開催された<白須純作品展「庭」-タイルと版画による->及び2008年にポルトガルのリスボンにおいて開催される<白須純タイル展 RATTON CERAMICAS>の展覧会カタログ。

「草木と言語の調和の音」名古屋覚(美術ジャーナリスト)
図版13点、作家略歴

入手日:2007年12月22日
入手場所:ASK? Art Space Kimura
いけばなをやることになってからというもの、いけばなから派生して植物、庭などをモチーフとした展覧会にはつい足を運んでしまう。この展覧会もそのひとつ。白須純氏の作品は今回初めて見る。タイル画とはあまり見慣れない作品である。ブラジルのアドリアナ・ヴァレジョンなどもタイルという素材を直接使用しているわけではないものの、タイル画風な絵画作品を手がけていたことを思い出す。知っての通り、タイルというのは浴室や壁などの壁材として、ときには装飾的に用いられたりする。そのタイルを支持体にすることで、タイルの組み合わせが作り出すグリッド、光沢のある磁器の質感をいかに効果的に絵画として成立させるかが興味深いところ。 タイルの白と顔料の青の対比が美しいが、照明がやや暗く、カタログに掲載されているポルトガルのパルメラ駅の壁画写真ほどの美しさは感じなかった。欲を言えば自然光で見たかった。

TOUCHING WORD 020

2007-12-21 23:09:13 | ことば
たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じものであり、[したがって我々の失うものも同じである。]ゆえに失われる時は瞬時にすぎぬように見える。なんぴとも過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして奪われることがありえようか。であるから次の二つのことをおぼえていなくてはいけない。第一に、万物は永遠の昔から同じ形をなし、同じ周期を反復している、したがってこれを百年見ていようと、二百年見ていようと、無限にわたって見ていようと、なんのちがいもないということ。第二に、もっとも長命の者も、もっとも早死にする者も、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。というのは彼が持っているのはこれのみであり、なんぴとも自分の持っていないものを失うことはできないからである。

(p.31-32 『自省録』マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波書店/岩波文庫、2007年)

未読日記145 「プライマリー・フィールド」

2007-12-20 23:59:53 | 書物
タイトル:プライマリー・フィールド 美術の現在-7つの<場>との対話
編集:神奈川県立近代美術館
デザイン:桑畑吉伸
制作:コギト
発行:神奈川県立近代美術館
発行日:2007年11月23日
定価:2000円
内容:
2007年11月23日-2008年1月14日まで神奈川県立近代美術館 葉山にて開催された<プライマリー・フィールド 美術の現在-七つの<場>との対話>展の展覧会カタログ。

「モダニズムとしての現在-序章として」山梨俊夫(神奈川県立近代美術館館長)
インタビュー(吉川陽一郎、多和圭三、大森博之、石川順恵、青木野枝、坂口寛敏、さかぎしよしおう)聞き手:是枝開
「原初的な場との対話-インタビューを終えて・追記」是枝開(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
図版
作家略歴・参考文献
出品作品リスト

購入日:2007年12月16日
購入店:神奈川県立近代美術館 葉山 ミュージアムショップ オランジュ・ブルー
購入理由:
最近行われている現代美術のグループ展の中では期待度・内容、図録の中身ともに充実した展覧会だったため、購入した1冊。
図録にはインタビューが収録されているが、現代美術の場合、現役の作家が展示するわけで、作家の生の声というのはその時々の制作に向かう姿勢や思考が垣間見えて貴重な研究資料となり、かつ読み物としても楽しめ、よい選択だったと思う。出品作品および掲載図版も旧作から新作まで掲載されていて、各作家の作品の流れがおおまかにつかめるように構成されている。出品作家7名のうち、6名が彫刻・インスタレーションの展示となり、絵画を見たい人にとっては物足りないかもしれない。だが、彫刻作品を制作していても、平面作品を制作している作家もおり、一概に画家、彫刻家などという限定を与えるボーダーはこの際忘れた方がいいだろう。展示は、各作家にギャラリー1つ分のスペースが与えられ、空間にゆったりと作品が展示され、鑑賞者は落ち着いて見ることが出来る。展示数もほどよく、気がつけば予定よりも多く時間を費やして見ていた。作家のセレクトも画廊・ギャラリーをよく見た上で選ばれていることがわかり、通好みにはうれしくなるセレクト。派手さはないが、恬淡としたたたずまいの作品に、確実にこちらにバイブレーションを送り返してくれる。年間ベストなどという企画にはもれる展覧会だろうが、こういう展覧会こそ評価すべき裏ベスト1な展覧会。
また、ミュージアムショップに青木野枝の作品集が販売されており、すばらしい内容ゆえに欲しかったが、持ち合わせがなくあきらめざるをえなかった。韓国のクムサンギャラリーで行った展示写真などを見ると、「この空間に身を置きたいな・・」と考えてしまう。ちなみに、なぜかこのショップでは、図書・図録は現金払いのみということだった。近くに銀行もない場所にありながら、書籍にカードが使えないなんて!ご利用は計画的に、というご親切かしらん?

未読日記144 「遊歩のグラフィスム」

2007-12-18 23:43:36 | 書物
タイトル:遊歩のグラフィスム
著者:平出隆
装幀:菊地信義
本文目次構成:平出隆
発行:岩波書店
発行日:2007年9月27日
定価:3,570円(本体 3,400円 + 税5%)
内容:
随想による誌的メタフィジックス
語学以前の渾沌状態に、危うくも明晰な形象的思考を与えた、東西の詩人・作家・思想家たち。知られざる道を彼らのあいだに見出しながら、「領域」の神話を破り進む≪遊歩≫のストローク、めざましい言語芸術論。
≪遊歩の階段≫の設計公式つき

ベンヤミンを杖に、プリニウス、リヒテンベルク、正岡子規、河原温、川崎長太郎、吉行淳之介、永井荷風、澁澤龍彦、ポー、ボードレール、ヘッセル、ストーン、カフカ、カミュ、ゲーテ、森鴎外、河東碧梧桐、高浜虚子、上島鬼貫、石川淳、玉城徹、バシュラール、ノヴァーリス、ヨッホマン、カラヴァン、シャールを巡って生成される詩的身辺哲学。
(本書帯より)

B5判変型・上製・カバー・320頁

購入日:2007年12月16日
購入店:有隣堂 ルミネ横浜店
購入理由:
これまた自分から自分へのバースデイギフトとして。1冊だけ買っては、ただの買い物になってしまう、月曜日の憂鬱さを晴らすためにも、もう1冊買ってしまえ!と思い衝動買いした一冊。以前、毎日新聞の書評でこの本のことを知り、読みたいと思い続けていた。たまたま立ち寄った有隣堂の在庫検索機で調べたら、在庫があったので購入。これも何かの縁だと思うことにした。この本のように金額のはるものは、思いが強いうちに買わないとずるずると買う/読む機会を逸すると思うのだ。
画像ではわかりくにが、菊地信義氏による装幀もまたすばらしい(紙も頬擦りしたくなるすばらしさだ)。原稿用紙を思わせるシンプルな升目がただ並んでいるのだが、その灰色と銀色の織りなす線の掠れや濃淡が、ひとつのグラフィスムとなっており美しい階調を作り出している。
最後に内容に触れておこう。全28篇のうち地図に関すると思われる文章が何篇かあり、それを読むのを私は楽しみにしているのだ。地図については、卒論で取り上げ、その後もまだ考え続けている。そのとき平出隆氏の河原温に関するテキストを参考に読み、いたく刺激を受けたので影ながら勝手に恩を感じているのだ。では、そろそろ書物の中へと遊歩してきます。



未読日記143 「「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

2007-12-17 23:11:07 | 書物
タイトル:「三十歳までなんか生きるな」と思っていた
著者:保坂和志
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室
発行:草思社
発行日:2007年10月31日
内容:
結論に逃げ込まずに、「考える」行為にとどまりつづけろ!
自分の人生をつかむための粘り強い思考の方法

十代のときに感じる、世界の手触り/「わかる」とは、どういうことか?/小説家は「役に立たない」存在/「筋トレ」としての読書/時間は目の前にはない/“才能”なんて関係ない/「あなたの作品を五万円で講評します」/『作家の値うち』の採点について/プー太郎が好きだ!/自分が生まれていない可能性/三十歳になるなんて思ってなかった‥‥‥など
(本書帯より)

「考える」ことにとって大事なこととして、「やりそこなった」経験というのがある。「やりそこなった」という思いを忘れないかぎり、人は生きることに対してあの頃(誰にも憶えがあるはずのあの頃)と同じ真剣さを持っていることができる。あの頃を忘れたり、あの頃の外に立ったりしたら、生きることは自分自身のものでなく、どこにでもいる人たちの模倣になってしまう。―まえがきより

時間をかけて考えないかぎり、絶対に見えてこないものがある―。
読む者を本質的な思考へとさそう「うねる」言葉たち。
(本書カバー見返しより)

購入日:2007年12月16日
購入店:有隣堂 ルミネ横浜店
購入理由:
自分へのささやかな誕生日プレゼントとして。しかし「おまえは普段から本ばかり買っていて、プレゼントもなにもないだろう」という言い分もあるだろう。仰るとおり。しかし、今回は数少ない好きな作家である保坂和志氏の新刊であり、タイトルからして近く三十路を迎える私にとって示唆に富む内容になるだろう、などと判断して衝動買い・・。
楽しみはあとに取っておきたいタイプの私は、結論をなるべく先送りし、「考える」時間をできるだけ長く長くもち続けたい。保坂氏の思考の軌跡は強靭で、粘り強い。その思考の一端に触れると、私も迂闊に結論めいたものに逃げ込んでいることが恥ずかしくなる。ちなみに「考える」ことは、誰でもしてると思われるだろうが、そんなことはない。身の回りを見回して見ればいい。自分の頭でものを考えず、思考停止している人のいかに多いことか。そんな人々には振り回されず、私は「考える」ことを続けよう。

未読日記142 「長谷宗悦」

2007-12-14 23:37:43 | 書物
タイトル:長谷宗悦
発行:長谷宗悦
発行日:2007年12月3日
内容:
2007年12月3日-12月15日に東京・ギャラリー21+葉にて開催された「長谷宗悦展」の展覧会リーフレット。

テキスト「長谷宗悦2007」横山勝彦
作品図版12点、作家略歴

入手日:2007年12月13日
入手場所:ギャラリー21+葉
奇跡的に仕事が早く終わり、時間があまったので久しぶりに銀座で画廊めぐりをする。たまたま入ったギャラリー21+葉で「長谷宗悦展」を鑑賞し、「ご自由にお持ちください」とあったリーフレットを持ち帰る。
作品はギャラリーの壁面に高さ224cm、幅551cm、奥行225cmという巨大なスケールで飛び出すように突き出た木材による彫刻作品。それら木材はさまざまに切断され、色が塗られ、焼け焦げ、異様な迫力を持って迫ってくる。壁の奥にある空間から、こちらの世界に向かって突き出てくるかのような立体物にしばし唖然とする。
リーフレットに掲載された写真は、白い壁がとてもきれいで、より廃材らしき木材のテクスチャーを際立たせている。

未読日記141 「「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」」

2007-12-13 22:24:23 | 書物
タイトル:福田尚代展 「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」
発行:T&S gallery
発行日:2007年11月23日
内容:
2007年11月23日(金)-12月16日(日)に東京・T&S galleryにおいて開催された<福田尚代展 「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」>の展覧会リーフレット。
「福田尚代の作品について」南雄介(国立新美術館)
「雪の回文」福田尚代
図版11点、作家略歴

入手日:2007年12月9日
入手場所:T&S gallery
回文と書物を使った作品による福田尚代の個展。書物は頁を折りたたまれ、切り取られ、刻まれ、刺繍される。けっして通読することができない書物。そう、福田のセレクトする書物から文章を、言葉を読み取ることは不可能だ。だが、言葉の不在と沈黙に耳を澄ませば、そこから言葉は立ち上がってくる。
視覚芸術である美術に言葉は、添え物と理解されがちだ。しかし、福田の作品には言葉が浮遊し充満している。折りたたまれた頁、刺繍された書物の文章、さらに大島弓子の漫画の吹き出しには刺繍され、セリフは読めない。見えない、読めない不在の言葉を鑑賞者は見るしかない。言葉を剥ぎ取られた上でなお存在を保つ「本」。
さらに、今回展示された擦り減ったけしごむを使用した「けしごむの夜」(2007)においてもけしごむは欠損し、ただの欠片として提示される。えんぴつによって書かれた言葉、線を消すことがけしごむの役目だが、ここでは消されてきた言葉、絵をけしごむの使われてきた時間とともに遠く浮かび上がらせる。
言葉の集積として形あるものを「消す」「見えなくさせる」ことで、わずかしか言葉に触れていないのに、イマジナリーな世界が広がる福田尚代の作品は私たちに一冊の書物の読後感にも似た満足感を与えてくれる。