荒木経惟の写真集『青の時代』は濃密な写真体験だった。
最初に本屋で目にし、立ち見したとき、時代(あるいは昭和と言ってもいい)の空気感がフィルムに込められていて「青」くなったことを覚えている。記憶や過去や死が絡まりあって濃密な書空間を作り出しているからだ。
この写真集に収録された写真は、ある偶然から生まれた。
荒木が撮り過ぎたネガを外に置いておいたところ、雨ざらしになり、5~10年経ち腐りかかったネガがもとになっているからだ。そこには、予想もしない雨の力により、青く染まり汚れやシミが定着されていた。
同時発売された『青の時代』と対になる写真集『去年ノ夏』のあとがきインタビューで荒木経惟はこのように発言している。
「何ていうんだろうね、「予感」て言葉はよく使ってるけど、未来を先をわかりたいっていう欲求は誰にでもあるじゃないか。そういう行為でしょ。何かこう、次のこと、次の自分、変わっていくっていうところ、それを見たいし、表現て言葉はあんまり好きじゃないんだけど、そういうことを表現することを例えば「芸術」という言葉で言ってるんだよ、きっと。予兆のことをね。」(荒木経惟『去年ノ夏』、アートン、2005年、p.165)
予兆の芸術、予感の芸術。
5~10年先の青写真が見えること。
この『青の時代』は過去から現在に届けられた一つの写真集だった。
最初に本屋で目にし、立ち見したとき、時代(あるいは昭和と言ってもいい)の空気感がフィルムに込められていて「青」くなったことを覚えている。記憶や過去や死が絡まりあって濃密な書空間を作り出しているからだ。
この写真集に収録された写真は、ある偶然から生まれた。
荒木が撮り過ぎたネガを外に置いておいたところ、雨ざらしになり、5~10年経ち腐りかかったネガがもとになっているからだ。そこには、予想もしない雨の力により、青く染まり汚れやシミが定着されていた。
同時発売された『青の時代』と対になる写真集『去年ノ夏』のあとがきインタビューで荒木経惟はこのように発言している。
「何ていうんだろうね、「予感」て言葉はよく使ってるけど、未来を先をわかりたいっていう欲求は誰にでもあるじゃないか。そういう行為でしょ。何かこう、次のこと、次の自分、変わっていくっていうところ、それを見たいし、表現て言葉はあんまり好きじゃないんだけど、そういうことを表現することを例えば「芸術」という言葉で言ってるんだよ、きっと。予兆のことをね。」(荒木経惟『去年ノ夏』、アートン、2005年、p.165)
予兆の芸術、予感の芸術。
5~10年先の青写真が見えること。
この『青の時代』は過去から現在に届けられた一つの写真集だった。