A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

彼方からの手紙018 ろま

2010-03-24 22:59:56 | 美術
受け取り日:2010年3月13日
内容:
今井裕基「ろま」
2010年3月23日(火)~4月18日(日)月曜休み
artdish
東京都新宿区矢来町107番地
TEL:03(3269)7289
open:12:00~(L.O)22:00

「あのひの夕陽と同じ・・・」
ろまたちはつぶやいた・
わたしたちは向かっているようで
さまようのが大好きであったんだ。
わたしたちはうれしくて、
景色と供にうたげをはじめた。
(DMより)

(画質が悪くて申し訳ありません。)
桜の切手がうれしい春ですが、天気は桜の開花を押し止めているようです。
晴れていたら、今週末、神楽坂に宴に行こうと思います。




未読日記379 「現代の眼371」

2010-03-23 22:50:06 | 書物
タイトル:現代の眼371 東京国立近代美術館ニュース 10月号1985
表紙:司馬江漢≪学術論争図屏風≫寛政初年頃
編集人・発行人:東京国立近代美術館
印刷所:第一法規出版株式会社
発行所:東京国立近代美術館
発行日:1985年10月1日
内容:
特集/「写実の系譜 Ⅰ 洋風表現の導入」展 そのⅠ
「明治の洋風表現」三輪英夫(東京国立文化財研究所美術部 第二研究室長)
「銅版画と透視画」菅野陽(版画家)
「写実の系譜 Ⅰ 洋風表現の導入―江戸中期から明治初期まで」展出品作品一覧

私の好きな一点「ダニ・キャラバンのいのちの線」井上武吉(彫刻家)
工芸館特別陳列をめぐって「白山松哉の作歴と若干の問題」金子賢治(工芸課)
フィルムセンターだより―所蔵外国劇映画選集 Ⅱ―

頂いた日:2010年3月6日
頂いた場所:東京国立近代美術館
美術館ミュージアムショップの方より頂いた1冊。どうもありがとうございます。
偶然だが、数年前に世田谷美術館ほかで個展が開催されたダニ・キャラバンについて井上武吉のエッセイが掲載されていた。ぜひ読みたい1篇である。
どうでもいいが、1985年の今号の「現代の眼」は100円だった。それから25年たって今は300円になっている。ページの薄さはともかく、どうしてここで書きたくなるようなデザインにしないのだろう。研究者や批評家といえども、自分が書いた文章がどのように掲載されるのかにもう少し関心を持ってもいいのではないか。

彼方からの手紙017 アノトキノ ソラ

2010-03-21 21:40:43 | 美術
受け取り日:2010年3月6日/3月12日
内容:
山岸俊之展 アノトキノ ソラ
2010年3月22日(月・祝)~3月27日(土)
11:30-7:00(土曜-5:00まで)
なびす画廊
東京都中央区銀座1-5-2
ギンザファーストビル3F
Tel/Fax 03-3561-3544

次回予告
個展「ヒロサキの光」2010年6月3日(木)~6月7日(月)
弘前市立百石町展示館
青森県弘前市百石町3-2
Tel:0172-31-7600

作家の方とギャラリーより頂きました。
どうもありがとうございます。
それにしても、DMに次回予告があるとは珍しいです。
しかし、なぜ青森なのでしょう。
ちなみに、切手は岐阜県のレンゲソウでした。


Recording Words 080 自分自身を見失う。

2010-03-20 23:51:53 | ことば
ようやく自分自身を発見したならば、時々自分を見失い――それからまたあらためて発見することを心得ねばならない、ただし、彼が思索家であることを前提とした上で。つまり思索家にとっては、しょっちゅうひとつの人格に結わえつけられていることは害になるからである。
(フリードリッヒ・ニーチェ『ニーチェ全集6 人間的、あまりに人間的Ⅱ』中島義生訳、筑摩書房/ちくま学芸文庫、1994年、p.487)

決まった「自分」なんてありません。

未読日記378 「水浴考」

2010-03-19 22:51:30 | 書物
タイトル:水浴考
企画・編集担当:東京国立近代美術館/鈴木勝雄
翻訳:山本仁志
デザイン:森大志郎
編集:東京国立近代美術館
印刷:八紘美術
発行:東京国立近代美術館
内容:
東京国立近代美術館ギャラリー4にて開催された<水浴考>(2010年2月20日―4月11日)のブローシャ。

Chapter01 水と身体
Chapter02 水浴図をめぐる視線のドラマ
Chapter03 生と死のはざま
Chapter04 浴室の悪夢
出品リスト

頂いた日:2010年3月6日
頂いた場所:東京国立近代美術館ギャラリー4
今回、1階で開催中の<小野竹喬展>も私好みで満足だったが、常設内企画の本展示も充実していた。内容が展開できるテーマだけに、作品数が少ないのがものたりないぐらいであった。もっと規模を大きくしてやってもよかったのではないだろうか。


彼方からの手紙016 池田聡子展

2010-03-18 22:45:13 | 美術
受け取り日:2010年3月12日
内容:
池田聡子展
Satoko Ikeda Exhibition
2010年3月15日(月)~3月20日(土)
12:00~19:00(最終日17:00まで)
Gallery-58
東京都中央区銀座4-4-13 琉英ビル4F
TEL:03-3561-9177

「人間どうしが精神的に解け合い結び合うことに今とても感心がある」と述べる池田の絵画による個展。DMを見ると、1つの色彩による作品のように見えるが、注意深く見れば色の重なりによって生み出されていることがわかる。色彩が重なり、解け合う接点に見出された精神的交感の痕跡としての絵画。見る前の期待と想像でしかないが、その結果は例によってお預けになりそうだ。

彼方からの手紙015 死角

2010-03-17 23:57:07 | 美術
受け取り日:2010年3月8日
差出人:秦雅則氏
内容:
秦雅則写真展 死角
2010年3月16日(火)―3月21日(日)
12:00-20:00(最終日は19:00まで)
企画ギャラリー・明るい部屋
東京都新宿区須賀町1番 村越ビル2階
TEL:03-6380-5696

秦雅則氏は2ヶ月連続個展を開催する。
詳細→「彼方からの手紙002 角死/死角」

そこでこの度頂いた封書を開けて出てきたのは・・・
写真のようなDMが出てきたのである。
そう、これは1月に頂いたDMの表面に絵の具が塗られているのである。
最初、絵の具が指につくのではないかと端っこを持ってしまった。
それにしても1枚1枚このような作業をしているのであろうか。
だとすればすべての人が異なるDMを手にするのだろう。これには恐れ入った。DMという郵便システムにしかできないやり方である。この不意打ちを「死角」と呼びたくなる。
だが、ここまでDMに手を加え、郵送までして頂いたのに展示を見に行かれそうもなく残念でならない。逆にここまでされてしまうと行かれないことに後ろめたさが残るのはなぜだろう。その後ろめたさを背に人生を歩まねばならない私はどうすればいいというのだ、と大げさに考えてしまう。



彼方からの手紙014 立ち昇る花の生命

2010-03-16 22:52:53 | 美術
受け取り日:2010年3月4日
内容:
小倉亜矢子展 立ち昇る花の生命
2010年3月15日[月]―4月1日[木]
11:00~18:00(日祝定休)*毎週金曜日は19時まで
ギャラリー・ショアウッド
GALLERY SHOREWOOD
東京都港区南青山3-9-5
TEL:03-5474-5225

どうもありがとうございます。
小倉氏の作品を見ると、タイトルとは裏腹に花や植物の死や儚さを感じたりもします。それはネガティヴという意味ではなく、生命の終わりが「生」であることの現れ、というのでしょうか。それは「写生」を経て、「写生」から離れた「絵画」へと到達することなのかもしれません。


未読日記377 「Critical Point Of Memory」

2010-03-15 22:25:25 | 書物
タイトル:黒田克正 Critical Point Of Memory
表紙:軽快な H91×W117cm アクリル・キャンバス
写真:山岡正剛
発行:京都女子大学研究助成・ギャルリー東京ユマニテ
発行年:2010年
内容:
作品図版8点、作家略歴

頂いた日:2010年3月4日
頂いた場所:ギャルリー東京ユマニテ
<黒田克正展:Critical Point Of Memory>(2010年3月1日―3月20日)に行った際、ギャラリーの方より頂いた1冊。どうもありがとうございます。ユマニテで作成するカタログ・リーフレット類はどんなに薄くても販売していたから、頂けるなんて珍しいと思ったら、奥付を見ると助成を受けていたから配布していたのかと納得した。
黒田氏は経歴の長い方だ。これまでもたびたび作品を目にしたことはあると思うのだが、私はあまり記憶になかった。今展の作品ではキャンヴァスにオールオーヴァーに絵の具のストロークが画面を走っていた。個人的には、陶で作られた『時の遺跡』という作品シリーズの方が印象に残った。こちらの方は「遺跡」らしく風の通りがよく、それでいて軽やかな佇まいがあった。これくらいがちょうどいいと思う。

Recording Words 079 僕はラッキーだった。

2010-03-14 09:21:47 | ことば
つまりさ、僕はこれまで、どさくさみたいな感じで学校とかいろんな場所をあとにしてきたんだけど、そういうのは正直言ってもううんざりだった。それが悲しい別離であったとしても、いやな感じの別離であったとしても、僕としちゃべつにかまわないんだ。ただどこかをあとにするときには、自分がそこをあとにするんだということを、いちおう実感しておきたいんだよ。そうじゃなくっちゃ、救いってものがないじゃないか。
 僕はラッキーだった。ふとあることを思い出して、そのおかげで「もうここともお別れなんだな」ということがうまくのみこめたからだ。

(J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳、白水社、2003年、p.10-11)

そんなわけで、いまは京都にいます。
どうぞよろしくお願いします。

偶然ですが、たまたま出発前に本書を読んでいました。主人公の出発に自分を重ね合わせるほど感情移入はしていませんが、物語の進行が自分の行動と重なるとはおもしろいものです。ちなみに、村上訳に馴染めないのか、本書がつまらないのか、環境が変わったせいで落ち着かないのかわかりませんが、なかなか読書が進みません。