タイトル:アンリ・ミショー ひとのかたち
編著:東京国立近代美術館
AD・デザイン:近藤一弥
出版社:
平凡社
出版年:2007年7月2日
内容:
すべては、ムーヴマンである。
孤高の詩人にして、異能の画家。20世紀フランスが生んだ偉大なる幻視者アンリ・ミショー。奔流となって流れ出すエネルギー、無垢なるイマージュ、そのなかからたちあらわれる怪物、亡霊、そして「ひとのかたち」。全59点の絵画・デッサンと、詩人本人の言葉によって織り上げられた、恐るべき詩画集。
瀧口修造「アンリ・ミショー、詩人への私の近づき」特別収録。
紙の上に残された線状の痕跡は、彼に誰かを思い出させる、母や父を、すでに人間を、あらゆる人間たちを代表する人間、人間そのものを。
―アンリ・ミショー―
(帯コメントより)
購入日:2007年6月30日
購入店:
東京国立近代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
アンリ・ミショーというと、メスカリンを服用したドラッグによる制作がエピソードとして名高いが、私の興味はそこにはない。残された作品を見て、どの部分がドラッグによる影響だなどと指摘することに意味はないからだ。それにミショーのドラッグ使用は、「絵画のため」だった。生活や人生の上で、ドラッグを求めたわけではない。彼にとってそれはひとつの「実験」だった。
ドラッグが問題だというのなら、作品制作をした晩にどんな食事を摂ったのか、アルコールは飲んだのか、お菓子は食べたのか、そういうことはなぜ問題にされないのか。話をもとに戻そう。
ミショーの言葉によれば、描かれた線に「ひとのかたち」を見いだす傾向があるらしいが、そのような作品もたしかにある。だが、そのような「ひとのかたち」に見えてしまう作品より、「ひとのかたち」に見えない作品の方が私には印象深かった。線が線として自立し、そこに存在するさまは見飽きない。ドローイングというと、作品制作の下描きという位置づけが一般的だが、ドローイングだけで十分作品になるということをミショーは証明している。