脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

大したことでは無いが

2024年07月06日 | ひとりごと
長男教という言葉を知った。
それで見ると、私の立場など大したことでは無いと感じる。
が、許せるかどうかは別の話だ。

何度も書いているが、私の場合、長男、次男(私)を明確に差別したことは無く、「次男に興味が無い」に尽きる。
子育ての思い出話で出てくる話は兄のものだ。
「幼稚園の親子遠足エピソード」を何度も聞いているが、私は高熱にうなされ、遠足に行っていない。
なぜ私と行ったように改竄されているのか?
親曰く「分け隔てなく育てた」という思い込みが、記憶の改竄になっているのか。
それとも知的障害なのか。。

現在の話だが、手続き関係、金銭の負担は私にだけ圧し掛かる。
収入面では、兄より私のほうが裕福かもしれない。
だからといって私に負担を強いるのは間違いだ。
(兄も高所得である。名のある企業で夫婦共働きである)

ただ、兄を厚遇したのかと言えば、それは違う。
跡継ぎ(何を継ぐのかは知らないが)と育てられ、結婚前、それどころか相手すらいないのに二世帯住宅を「建てさせられた」のだ。
同居を強制し、意思を奪い、束縛していたのは事実だ。
興味なく、放置された私のほうが幸せだったかもしれない。

結果的に同居せず、子世帯になるべき部屋は無駄なものになっている。
兄は、どこかで異常に気付き、距離を取ったのだろう。
そこで親は間違いに気づいたのか、、、、いや、孫が可愛いから、兄に遠慮するようになった。
兄に嫌われたら孫に会えなくなるからだ。

そして、遠慮のシワ寄せが私に来ている。
孫には、明確な差を付けられている。これは疑うことなく事実だ。
(だから、我が子は母方の祖父母に懐いているが、私側は・・・・推して知るべしである)

こんな親にはなるまい。
これだけは、親からしっかり学ばせてもらった。
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