脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

立派! なのか?

2024年07月05日 | 三代目は見た
あるボランティア団体から、仕事の依頼が来た。
80万を50万にしろという話
続編では無いが、その後である。

Threadsで、さんざん私の悪口を書いている。
寄せられるコメントの8割が、ボランティアを擁護し、私を否定するものだ。
心を抉られる気分にもなったが、冷めた(覚めた)目で読み返すと、「悲しく残念な奴らの集まりだ」と思うようになった。

私がボランティア団体(個人)を苦手と思う大きな理由は「自分(達)が正しい」という押し付けだ。
Threadsでも分かるが(晒したいが、控えておく)自分たちの行動、活動が正しいと思うあまり「それ以外を否定している」という事実がスッポリ抜けていると感じる。
まるで、自分が信じる神が唯一であり、それ以外の神を偽物とする宗教と同じだ。
(何度か書いているが、私は「一部を除いて」宗教を否定しない。信じるのは自由であり、文化創造に欠かせないと考えている)
もちろん全て(全員)がそうだとは言わない。

そして「自分たちが正しい」を競っているように感じる。
寝食を惜しみ、自分の生活を切り詰めてまで活動し「そこまでやっている」をアピール(押し付け)する。
それを賞賛しあって周囲を巻き込む。
私も巻き込まれた形だ。

私は仕事の依頼を請けただけだ。
相手がどんな立場でも、分け隔てなく「適正価格」で対応する。
いや、ホンネを書けば、損をしてでも付き合いたい相手なら原価割れするほどの値引き、ほぼ無料で請ける事もある。
これは、相応の見返りがある事を狙っての話である。
(美人相手の下心も含める)

ボランティア団体に、その見返りが期待できれば、大きな値引きも考える。
が、先に書いた通り「自分が正しい」と思い込んでいる輩は値引きに恩も感じないし、それどころか「自分が正しいから安くなった」「安くしてもらって当たり前」というヤツもいる。
これが「悲しく残念な奴らの集まり」と考える所以だ。

活動に賛同する業者を探して、そこに頼めばいい。
安くしろ、ではなく「予算内で」頼める業者を探せばいい。
当たり前の話だが「自分が正しい」と思い込んでいると、この当たり前すら理解できない。

だから、ボランティア活動が立派だと思えない。
逆に、偏屈、厄介な奴らだと距離を置きたいと考えてしまう。
コメント
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