脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

正しいの対義語

2024年07月16日 | 三代目は見た
あまり詳しく書けないが、私の顧客ターゲットは、ある思想、思考が強い層である。
宗教で例えると分かりやすい。
日本人のほとんどが無宗教と言われているが、信心深い人もいる。
その信心深い人に、私の商品を買ってもらうという事だ。

宗教の中には、融合、融和をヨシとする考えもあるが、排除、否定という考えも強い。
私は、この排除、否定が大嫌いだが・・・・

排除、否定をするほうが、驚くほど商売はうまくいく。
融合、融和は中途半端という事なのか?
ここは分からないが「敵、味方を区分しない」というのが商売の鉄則だと思っていたのが、ハッキリ区分するほうが儲かるのだ。

ここで気づいた事がある。
「正しい」の対義となるものは「間違い」では無く「敵」という事だ。
正確には「自分が正しいと思うもの(人)」の対義語だ。

宗教で考えた時、その宗教で用いる道具(仮に祭壇とする)を売る店主が、違う宗教を信じていたらどうなるか?
無宗教ならマシかもしれないが、無宗教が神聖な祭壇を売っているのも違和感を感じるかもしれない。
それなら、その宗教を信じていて、その「教えに従って」売っているほうが「価値が高い」と感じるのでは無いか。

祭壇は、その宗教では必須アイテムである。
そうなると、信者=客であり、信者が増えれば客が増える。
一度買ってくれた人が信者を連れて、また買ってくれる。

もし、ライバルのほうが安くて高品質な祭壇を売っていたとしても、ここに「信心」が無ければ価値は低い。

その信心を訴求する為に、信じない人を攻撃する。
正しいやり方かどうかでは無い。
「儲けの為」である。

信者を増やす方法として、いかに自身の信じる神が正しいかを訴求すると思うが、それと同時に、ほかの神を貶める事もする。
実際、ほかの神を貶めたところで信者が増えるとは言えないが、「信者の結束」は高まる。
自分が正しい、そして「そう思っている仲間がいる」となる。
仲間の存在は、敵がいてこそ成立する。
イワシもそうだが、敵がいないと群れを作らず散り散りに泳ぐようになる。
敵がいる事で結束する。仲の良し悪しより前に「生き残らねばならない」からだ。

自分が攻撃のターゲットにならない為には、攻撃する側にいればいい。
イジメの構図もそうだ。
良いか悪いかではなく「生き残らねばならない」からだ。

祭壇を売る為には、祭壇の品質を訴求するのではなく「宗教の正しさ、素晴らしさ」を説けばいい。
自分自身が、誰よりも信じていると発すればいい。
そして「祭壇が無いのは非常識」と訴えればいい。
そうすれば、仲間が安心して買いに来る。

ここに気づくと、広告宣伝の考え方が変わる。
面白いものだ。
コメント
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