ライトノベルセレクト・233
〔こころのプラカード〕
もう半月になるというのに、まだ見ています。
この年の高校野球。それも入場行進と開会式だけを。
今年、八十五になる私は、昭和二十四年の第三十一回大会に出場し、旗手としてチームの先頭を歩いていました。二十四年は、まだ占領下でしたが、この年の一月から、国内においては日の丸の掲揚が自由になりました。
一応、婆さんの遺影は裏がえしてあります。
階下では娘と孫があれこれ後片付けをやっています。
「お父さんも歳なんだから下で暮らしたら~」
娘は、そう言いますが、馴染んでいるので二階にいます。
え……順序立てましょう。
戦後の学制改革で、この年が最初の「選抜高等学校野球大会」で、校名も新しくなり、アナウンスだけでは十分に伝わらないことが懸念され、初めて女子高生が学校名を書いたプラカードを持って、チームの前を歩くことになりました。紺のジャンパースカートに白いツバ広の帽子。先生から西宮市立西宮高等学校の女生徒の人たちだと聞かされました。
予行演習のときの戸惑いは、今でもはっきり覚えています。
距離は、ほんの一メートルちょっと。グラウンドを一周する間、ずっと目の前をプラカードを持った女子高生が歩いているのです。
お笑いになるかもしれませんが、それまで、こんな近くに、こんな長い時間同年配の女学生が近くにいることは初めてのことでした。そして、なにより、私は目の前を歩いているおさげの女の子に恋をしてしまいました。
戦後間もない時代のことで、行進の練習は何度もやらされて大変でしたが、わたしは苦にもなりませんでした。
休憩中に一度だけ、その子が振り返りました。
「明日、がんばってくださいね」
その子は、私たちが開会式のあとの第一試合であることを知っていたのでしょう。半日いっしょに行進し、なんというか親近感のようなものを持ってくれたようです。小さな声でしたが、熱のこもった純粋の応援であったように思います。私は、夏の暑さからだけではない汗をかきかき「ありがとう」とやっと一声返しました。その子は、よほど可笑しいのか、そんな私を見てコロコロと笑い、ハンカチを出してくれました。
「いいえ、自分には手拭いが……」
出した手拭いは、醤油で煮しめたようなしろもので、その子は笑いながらハンカチをもう五センチほど勧めました。
「じゃ、じゃあ……」
私は習い性になった男拭きで、ハンカチはたちまち汗でビチャビチャになりました。
「あ、明日洗って返します!」
ほんの半年前まで旧制中学生であった私は、そういうのが精一杯でした。
ハンカチには「K」のイニシャルがありました。
その晩、「K」のハンカチを宿屋の石鹸で何度も洗い、なんとか一晩で乾かそうと思い、力任せに絞っていると、「しわくちゃになりまっせ」と女中さんに言われ、女中さんは手際よくアイロンをかけてくれました。
そして、本番の朝。
本番まではプラカードを持った女学生たちは固まって先生に引率されて、とてもハンカチを渡すきっかけなどありませんでした。
入場門で待機している間に、校旗で隠してハンカチやっと返しました。
「このイニシャルは?」
思い切って聞きました。彼女は横顔で小さく「こ・こ・ろ」そう言った気がしました。
一メートルちょっとの距離で彼女の後を歩調をとって歩きました。こころのプラカードのあとを。
そして、戦後初めて甲子園のポールにはためく日の丸に感動しました。日の丸の方に向くほんの一瞬彼女と目が合いました。
それっきり、私は八十五歳になってしまいました。
そして夏の甲子園の開会式を見てびっくりしました。彼女と、こころとそっくりな女子高生が白いプラカードを持って現れたではありませんか。同じ制服だから、いえ、それだけではありません。背格好、歩き方、斜め後ろからの顔の輪郭。あのこころさんそのものでした。
やっこらせ……
録画を観終ったので、婆さんの遺影をもどします。お茶を飲みたいのですが、下が片付け中なので、少し我慢をします。
「琴乃祖母ちゃん。お祖父ちゃんには言わずじまいだったの?」
「あの人の夢を壊しちゃいけないもの」
母から子、子から孫のあたしに伝えられた「K」のハンカチを母の骨壺にかけてやった。
コラムの記事にちょうどいい。でも、当事者の片割れが生きている。もうしばらくは封印だな。
「このハンカチ、順序ならあんただけど」
水を向けると娘は、そっぽを向いた。プラカード持った張本人のくせして……。