タキさんの押しつけ映画評
『のぼうの城/黄金を抱いて翔べ』
この映画評は、映画評論家の悪友・滝川浩一が、個人的に仲間内に流しているものですが、あまりにもったいないので、本人の了解を得て転載したものです。
☆のぼうの城
いやいやいや、映画館 マジで満席でしたわ。
原作を読んだ時ほど笑わんかったんですが、それは「笑えない」のではなく感心する方が先だったのと、野村萬斎のあまりに見事な「のぼう様」振りに見とれていたからです。
本作は単純に「原作」と「映画」を比べる訳には行かない。というのが、本作の原形脚本が先に有って、脚本家がそれを小説化、さらにそれを脚本化という制作過程を経ているからで、小説を映画のノベライゼーションとは言えないという事情がある。元々が秀吉の小田原攻めに関するまごうことなき史実であり、埼玉県行田市に行けば当時の史跡がかなり残っている。タイトルロールに現在の様子が映し出され、たった今見た映画がそのまま現実の歴史であると実感できる。
さて、映画の出来ですが、こらもう見事と言う他無い。細かく言えば…水攻めで沈むシーンを模型じゃなくCGにすりゃいいのに とか ヤッパリ全体に音響が悪く、慣れるまで何を喋っているのか聞き取れない とか有るんですが、まぁそれは些末な事として切り捨て出来る。
音響が悪いにも関わらず、野村萬斎だけはハッキリと台詞を聞き取れる、舞台人というより狂言役者の真骨頂を目の当たりにしました。小説に登場する「のぼう様」は ボーっとした大男として描かれ、その表情は最低限の言及が成されるだけで、だから 読者は最後まで凡人なのか天才なのか判断がつかない。
小説の場合、眠っていた才能が危急存亡の場に臨んで眼を覚ましたと読める、対して映画では各シーンが映像として描かれる(あったり前) 萬斎の「のぼう様」はボーっとしているようで、一瞬表情にハッキリした意志が現れる。これを見る限り野村萬斎は「のぼう様」を堂々たる侍大将として演じている。可能性の中の一つの表現であるが、この一瞬の表情が観客に緊張を産む、本作の成功の半分は野村萬斎を起用した事に拠っている。
残り半分は成田長親を囲む人々を演じた俳優達の安定した熱演が担保した。榮倉甲斐姫、佐藤丹波守、グッサン和泉守、成宮酒巻~~~~一々言及出来ない、敢えて一人を上げるなら上地雄輔の石田三成が見事だった。正直、この人が一番不安だったのだが爽やかに裏切られた、もう「お馬鹿タレント」の皮を完全に脱ぎ捨てた。拍手を贈りたい。見どころはそれこそ「満載」なのだが、白眉はのぼう様が舟の上で踊るシーン、敵味方双方を飲み込む設定だが…設定を超えた、このシーン 野村萬斎の踊りには本物の力がある。見ていて身震いのする思いがした。
絶対の自信を持ってお薦めします。是非とも劇場に足を運んで下さい。
☆黄金を抱いて翔べ
見事に久々の日本版フィルムノアールです。原作と比べると、実にその30%にも相当する詳細な下見がほぼカットされているのですが、これは仕方が無いでしょうねぇ。大阪に住み、中之島に土地勘が有れば、ほぼ犯行をトレース出来る。執筆時に詳しく取材したのだと思うが、こんな作品に成るなると判っていたら取材拒否されただろう、まさかそれをスクリーンに映せない。この点を除けば、井筒監督に手落ちは無い。
まずはキャスティングの妙がある。主人公たちは恐ろしい程に荒んだ精神の持ち主ばかり、それを演じるに妻夫木、溝端、チャーミンはあまりにも整った顔をしている。本作のスティールを始めて見た時、それが一番の引っかかりであった。
チャーミン以外の二人の演技力は充分知ってはいたが、小説から思い描く彼らは見るからに「悪」そのもの。ある意味、自分の状況に正直に生きている人物達。ここに西田敏之「爺さん」も含まれる。対して浅野、桐谷の二人は仮面を被り、社会に溶け込んでいる。この対比が一つの大きな見所、結論から言って私の危惧など全く杞憂、稀に見る堂々たる“ノアール”でした。
チャーミンの芝居は初見でしたが見事なもんです。日本人がヤクザ、兵隊、警官なら誰でも演れる(最近はそうでもないでしょうが)と言われるように、韓国人にとっては「北の工作員」は誰でも演れるキャラクターなんですかねぇ。
現在、銀行強盗は陳腐な犯罪である。それはネット上に舞台を移してしまったのだが、その現代に身体を張って、然もわざわざ重い金塊を狙う。この時代錯誤が妙なリアル感を持って迫って来る。
作戦成功の高揚も死の虚しさも無い、新しい(う~ん、でもないかな)ノアール感が現出している。フランスノアール全盛期には無理なく受け入れられた筈だが、今 本作を見るのにテクニックがいる(?)かもしれないが、どうかあるがままに一度受け入れて、後にジックリ振り返っていただけると、色んな事が見えてくる…なぁんてね、ちょっと「上から目線」過ぎる? 本作もお薦めです。但し、ジャリにはこの映画の本質は解りにくいやろなぁ(またまた上から目線?)
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
10月25日に、青雲書房より発売。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
また、アマゾンなどのネット通販でも扱っていただいておりますので、『まどか、乃木坂学院高校演劇部物語』で、ご検索ください。
このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。
『のぼうの城/黄金を抱いて翔べ』
この映画評は、映画評論家の悪友・滝川浩一が、個人的に仲間内に流しているものですが、あまりにもったいないので、本人の了解を得て転載したものです。
☆のぼうの城
いやいやいや、映画館 マジで満席でしたわ。
原作を読んだ時ほど笑わんかったんですが、それは「笑えない」のではなく感心する方が先だったのと、野村萬斎のあまりに見事な「のぼう様」振りに見とれていたからです。
本作は単純に「原作」と「映画」を比べる訳には行かない。というのが、本作の原形脚本が先に有って、脚本家がそれを小説化、さらにそれを脚本化という制作過程を経ているからで、小説を映画のノベライゼーションとは言えないという事情がある。元々が秀吉の小田原攻めに関するまごうことなき史実であり、埼玉県行田市に行けば当時の史跡がかなり残っている。タイトルロールに現在の様子が映し出され、たった今見た映画がそのまま現実の歴史であると実感できる。
さて、映画の出来ですが、こらもう見事と言う他無い。細かく言えば…水攻めで沈むシーンを模型じゃなくCGにすりゃいいのに とか ヤッパリ全体に音響が悪く、慣れるまで何を喋っているのか聞き取れない とか有るんですが、まぁそれは些末な事として切り捨て出来る。
音響が悪いにも関わらず、野村萬斎だけはハッキリと台詞を聞き取れる、舞台人というより狂言役者の真骨頂を目の当たりにしました。小説に登場する「のぼう様」は ボーっとした大男として描かれ、その表情は最低限の言及が成されるだけで、だから 読者は最後まで凡人なのか天才なのか判断がつかない。
小説の場合、眠っていた才能が危急存亡の場に臨んで眼を覚ましたと読める、対して映画では各シーンが映像として描かれる(あったり前) 萬斎の「のぼう様」はボーっとしているようで、一瞬表情にハッキリした意志が現れる。これを見る限り野村萬斎は「のぼう様」を堂々たる侍大将として演じている。可能性の中の一つの表現であるが、この一瞬の表情が観客に緊張を産む、本作の成功の半分は野村萬斎を起用した事に拠っている。
残り半分は成田長親を囲む人々を演じた俳優達の安定した熱演が担保した。榮倉甲斐姫、佐藤丹波守、グッサン和泉守、成宮酒巻~~~~一々言及出来ない、敢えて一人を上げるなら上地雄輔の石田三成が見事だった。正直、この人が一番不安だったのだが爽やかに裏切られた、もう「お馬鹿タレント」の皮を完全に脱ぎ捨てた。拍手を贈りたい。見どころはそれこそ「満載」なのだが、白眉はのぼう様が舟の上で踊るシーン、敵味方双方を飲み込む設定だが…設定を超えた、このシーン 野村萬斎の踊りには本物の力がある。見ていて身震いのする思いがした。
絶対の自信を持ってお薦めします。是非とも劇場に足を運んで下さい。
☆黄金を抱いて翔べ
見事に久々の日本版フィルムノアールです。原作と比べると、実にその30%にも相当する詳細な下見がほぼカットされているのですが、これは仕方が無いでしょうねぇ。大阪に住み、中之島に土地勘が有れば、ほぼ犯行をトレース出来る。執筆時に詳しく取材したのだと思うが、こんな作品に成るなると判っていたら取材拒否されただろう、まさかそれをスクリーンに映せない。この点を除けば、井筒監督に手落ちは無い。
まずはキャスティングの妙がある。主人公たちは恐ろしい程に荒んだ精神の持ち主ばかり、それを演じるに妻夫木、溝端、チャーミンはあまりにも整った顔をしている。本作のスティールを始めて見た時、それが一番の引っかかりであった。
チャーミン以外の二人の演技力は充分知ってはいたが、小説から思い描く彼らは見るからに「悪」そのもの。ある意味、自分の状況に正直に生きている人物達。ここに西田敏之「爺さん」も含まれる。対して浅野、桐谷の二人は仮面を被り、社会に溶け込んでいる。この対比が一つの大きな見所、結論から言って私の危惧など全く杞憂、稀に見る堂々たる“ノアール”でした。
チャーミンの芝居は初見でしたが見事なもんです。日本人がヤクザ、兵隊、警官なら誰でも演れる(最近はそうでもないでしょうが)と言われるように、韓国人にとっては「北の工作員」は誰でも演れるキャラクターなんですかねぇ。
現在、銀行強盗は陳腐な犯罪である。それはネット上に舞台を移してしまったのだが、その現代に身体を張って、然もわざわざ重い金塊を狙う。この時代錯誤が妙なリアル感を持って迫って来る。
作戦成功の高揚も死の虚しさも無い、新しい(う~ん、でもないかな)ノアール感が現出している。フランスノアール全盛期には無理なく受け入れられた筈だが、今 本作を見るのにテクニックがいる(?)かもしれないが、どうかあるがままに一度受け入れて、後にジックリ振り返っていただけると、色んな事が見えてくる…なぁんてね、ちょっと「上から目線」過ぎる? 本作もお薦めです。但し、ジャリにはこの映画の本質は解りにくいやろなぁ(またまた上から目線?)
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
10月25日に、青雲書房より発売。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
また、アマゾンなどのネット通販でも扱っていただいておりますので、『まどか、乃木坂学院高校演劇部物語』で、ご検索ください。
このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。
3ヶ月ぶりの書き込みとなりました。
内容はもちろん、地区大会です。
昨日まで行われていた地区大会に行ってきました。
私の母校は少人数でしたが、優秀賞をいただくことができました。
内容は…2009年に大谷高校さんがやられた『村田さんと東尾さん』…みたいな作品でした。
とにかく少人数で苦しい中、よくやってくれました。
さて、私の地区の様子ですか…。
一言でいえば、「団栗の背比べ」と申しましょう。時代性が感じませんでした。
去年、東日本大震災の影響で府大会にでた作品はどこか影を感じさせる作品が多いように感じました。全国大会も東日本大震災をテーマに書いてきた学校が何校かありました。
そして今年は、「いじめ問題」がでると期待していたら…、出ませんでした。(恐らくどこかは出してくるでしょう。少なくともK会高校は。)
台本に書かれた内容には現実性がないものは多く、ただ「楽しそう」とかの気持ちでしょうか?何を伝えたいかがわかりませんでした。
また、次の高校への転換が遅い遅い。
幕が開いてみると、豪勢な装置。それで合点がいきました。装置に懲りすぎでいたのです。
後で話を聞くに搬入だけで20分以上かかったところや、先生が指示をしないとわからない状態だ、というところがポコポコとあったそうです。
で役者も自然に動けていませんでした。
私が現役の時は、激戦区と叫ばれていたのがどこへやら。見たくれだけがいいものが多かった印象でした。
生徒がそれにいち早く気がついてくれることを祈るのみです。
<追記>
先生は大阪府大会に来られますか?
私は行きます。
因みに来年は箕面のメイプルホールとのこと。
13校そろっての大阪府大会は今年で最後になるかもしれません。