ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

写真家大先生

2008年01月26日 | 諸子百家
会場の黒板を背に、滔々と一席ぶっておられるのは、大江健三郎に似た、日本で高名な写真家である。
かしずくように左右に居並ぶ某大会社の技術員の面々は、各地の応募会社から差し向けられた受講者を前に、一定の緊張感をかもしていた。
といっても当方は、人材のあふれている社内から選抜され出席しているわけでなく、家でタンノイを聴いていたとき電話があって、「今夕は出社しなくてもよいから、明朝緊急に万障繰り合わせてかならず出席するように」厳命されてしまった、本来の予定人物と違う代理の立場であった。
否応無い宮使えの分際であることをわきまえて、地図を調べると、当時の日野というところは相当遠く、新宿に一旦出て快速で向かうか、登戸に廻って乗り換えるか、いずれ早朝の始発で向かっても三時間はかかりそうで、どうやらいまから出向いて目的地で宿を取って待機するしかないのか。
翌日当方は、全国から参集し宿で待機していた面々をしりめに、会場と同じ領内に住みながら一番遅れてもまだ到着しなかったので、心配した企画会社は、当方の社に問い合わせをくださっている。
旅先のケルンで皆からはぐれ行方不明になったときも、上司は「亜奴はきっと一人になれて喜んでいる」と言ったらしいから、万事察しているのか、何の連絡も無かった。
講師の写真家先生が、スタジオ写真の必要条件と奥義について、我々に伝授されること半時くらい過ぎたころ、「先生、そこはちょっと違います」と申しわけなさそうに異議を唱えたのは紺の背広に四角い顔の偉そうな社員であったが、以前にも見かけている人である。
すると写真家先生は、厚いメガネの縁を押さえて、なに?と言い
「ふーん、そんなら、あなたがやりなさいよ」と、のたまった。
立ち疲れた陪席社員たちも、そこで体を揉み解すように笑って、受講の我々も眠気が吹き飛んだが、訂正を言った人物は、間違った説明を受講者に持ち帰られては社の責任問題になるので、必死にとりなして、なにか江戸時代のような風景があった。
最終日までにいくつか試験があり、その結果を、全受講者の何番目の成績か本人には内緒で会社にレポートが送られていることを、誰も知らなかった。

☆KAS氏の撮影による伊豆沼の夕景






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