ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

(オルフェオ盤)フルトヴェングラー バイロイトの第九

2007-12-25 | CDの試聴記
最近、天下の名盤であるバイロイトの第九を聴きながら、「かけがえのない貴重なモニュメントではあるが、じっくり聴くと、思った以上にあらが目立つ。完成度という点では、やはり寄せ集めのオーケストラというデメリットがあったのでは?」と、不遜な感覚が脳裏をよぎるようになりました。
そんな折、この新音源によるバイロイトの第九を聴いたのです。
このブログでバイロイトの第九を採りあげるのは、これが3回目。
従来のEMI音源による演奏と今回のオルフェオ盤(バイエルン放送による新音源)の比較は、レコ芸誌上でもかなり細かく指摘されているので、そのあたりには触れません。 このオルフェオ盤も、「当日の本番」、「当日のゲネプロ」、「当日の本番・ゲネプロの合成」のいずれかに違いありませんが、私たちが注意をはらうべきは、いずれのケースであっても、「その演奏が、音楽そのものを、どれだけ強いインパクトをもって伝えてくれるか」だと思います。

このオルフェオ盤を聴いて、私はホール全体の空気がとてもきれいになった感じがしました。
だからこそ、会場のノイズが、従来と明らかに違います。
咳の箇所も少し異なるようですが、咳払いの声がそれだけ生々しいのです。

第1楽章
この楽章のクライマックスである再現部の前にさしかかると、フルトヴェングラーは徐々にテンポを上げて高揚感を醸し出します。しかし、再現部に入る直前ではほんの少し手綱を緩め、堂々と冒頭主題を凱旋させます。
そして、直後にもう一度主題を表現する時は、一転してリズムに切れ味鋭いアクセントを入れ、みるみる緊張感を増していく。
聴きながら、私ははやくも鳥肌がたってきました。
これなんだ。
クライマックスだからといって、「それー 全軍突入!」ではなくて、一旦引き締めて音楽の威容を見せてから、ぐぐっとテンションをあげる。
これをやられると、聴き手は、もうフルトヴェングラーの作り出す時間と空間に身を任せるしかありません。
話は逸れますが、昨年、アバド&ルツェルン祝祭管のマーラーの6番をきいたときもそうだったのです。
途中からふっと空中に舞い上がってしまって、あとはアバドのなすがまま。
はっと気がついたら、終演後30秒にも及ぶ長い沈黙の中で、かつて経験したことのないような感動にうち震える自分がいたのです。
マーラーの音楽が凄いのか、アバドが凄いのか、いまだに分かりません。
1951年7月29日、このバイロイトの祝祭劇場に居合わせた人も、きっと同じような感覚を味わったのではないかしら。

第2楽章
内声部が実に明瞭に聞こえます。
そして力んでいない。
今までこの第九で感じなかった「軽やかさ」を感じました。
しかし、腕をリラックスさせて自由に羽ばたいていたかと思うと、次に3連符で追い込んでいく箇所にさしかかるや否や、今度は一転して脇を締め、たたみ掛けるような集中力をみせる。
この緊張と弛緩が交錯する彼の音楽の凄さ!
この演奏を聴いて、その奥義の一端を垣間見るような思いでした。

第3楽章
とにかく呼吸が深い。
一つ一つのフレーズをみると、少し濃い目の表情がつけられています。
しかし、それは、大きな流れの中で、ごく自然に行なわれています。
そして、どんなにゆったりと横に流れるような歌い方をしても、常にベースとなるリズムが心臓の拍動のように息づいているのです。
だからこそ、決してべたつかないし胸につかえない。
それでも、ホルンの音程の悪さはやはり気になるし、アンサンブルも完全とはいえない。
ただ、その技術上の問題点が気になりだした直後、決まって神々しいまでの表現で聴き手を魅了するのです。このあたりも、フルトヴェングラーの偉大さの証でしょう。
また、最後から2小節前に登場する16分音符のフレーズ。この何気ないフレーズを、こんなに心を込めて大切に演奏した例を、私はほかに知りません。

第4楽章
もう言い尽くされた感がありますが、歓喜の歌のテーマが低弦で出る直前の表現が本当に凄い。
直前のながいパウゼ(スコアにはありません!)では、聴衆は息をすることすら憚られたのではないでしょうか。
その聴衆の緊張感が、このCDでは実に良く分かります。
そして、聴こえるかどうかという弱音で、低弦楽器があのテーマを歌いだします。
この箇所のフルトヴェングラーマジックは、何度も何度も聴いて、私もよく知っているつもりだったのに、今回またしても感慨を新たにすることになりました。
ヴィオラ・ファゴットに続いてヴァイオリンが加わったあと、終盤に強烈にかけられるアッチェランドも、もうこれしかないというはまりかた。
まだ声楽は入ってこないけど、「このテーマをみんなでいったん共有しよう」と呼びかけるフルトヴェングラーの、いやベートーヴェンの熱い思いが、胸に迫ってきます。
そして、いよいよバリトンの登場。
エーデルマンは、今まで聴いた中で、最も落ち着いた表現に聞こえます。
また、ラスト近くのポコ・アダージョで聴かせる、ソリストたちの4重唱の美しさも特筆ものです。
とりわけシュワルツコップの気品のある歌唱には、もう言葉を失ってしまいそう。

「バイロイトの第九」の終楽章は、もはやコメント無用の世界ですが、EMI音源とは少し違うと思われる部分が何箇所かでてきます。
アラ・マルシアの直前、330小節のクレッシェンドがなくなっているのもそうだし、金管とくにトロンボーンの音が強めに響くことが特徴的です。
器楽だけのフーガが終わった直後のアンダンテ・マエストーソ。ここで聴くトロンボーンの音を「最後の審判を告げるラッパ」のように感じたのは、私だけでしょうか。
いずれにしても、総じてこのオルフェオ盤のほうが、EMI音源のディスクよりも私には好ましく感じました。
そして、なんといってもラストのプレスティッシモ。
この部分を聴くだけでも、このディスクは値打ちがあるかもしれない。
あの空中分解寸前のEMI音源に対して、スリリングな印象はそのままに、力強くフィニッシュするエンディングは、必ずや聴き手にあらたな感動を与えてくれることでしょう。

このバイロイトの第九は、誰が何と言おうと、やはり天下の名盤でした。
そして、少なくとも私にはこの1枚があれば、もう迷うことはなさそうです。

コメント (4)
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