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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

草間彌生ワールド@松本市美術館

2018-10-18 01:27:29 | 日記
 先ごろの信州への旅では、松本へ立ち寄った。松本城(国宝)やその近くの旧開智学校(重要文化財)などへも立ち寄ったが、ここでは松本市美術館について記したい。

          
 
 などと偉そうにいっても、生憎の天候と夕闇が迫っていた関係であまり時間がとれず、企画展も常設展もパスをして、ということはほとんど館内に入らなかったのだが、お目当ての草間彌生のオブジェなどを観るにとどめた。

          

 なぜここで草間彌生がフィーチャーされているかというと、この松本市こそ、彼女の生まれ育ったところだからである。なぜこんな山都で育った人がという思いもあるが、大都会育ちでも精神的田舎者がゴマンといるから別にこだわることはあるまい。

          
          

 ありがたいことに、そのでっかい作品や、あらゆるものが水玉に彩色されたオブジェたちは、野外やそれに続く一角にあって、自由に鑑賞できる仕組みになっている。

          

 とにかく面白い。草間の作品への執着は鬼気迫るものがあるという人がいるが、そして実際にそうであるのかもしれないが、その辺を感知し得ない私には、まるでテーマパークの装飾のように楽しくかつ面白く感じられてしまうのだ。

          
          

 彼女の作品は、統合失調気味である彼女の苦吟の結晶だという人がいる。そうかもしれない。しかし彼女は、これらの作品を生み出すことによって自分の在り処を示したのではないだろうか。

          
 
 苦吟か苦悩かはわからないが、それを作品として対象化することは彼女にとってはある種の快楽であったのではないか。だとすれば、それを享受する私が素直に楽しく受け止めることは一つの応答ではなかろうか。

          

 それらを観ながら、8年前の「あいちトリエンナーレ」で、彼女のデザインによる赤い水玉模様が施されたバスや車が名古屋市内を走り回っていたのを思い出した。
 それらは、都市に投げ込まれたある種の異化作用かもしれないが、私にはそれらは日常的にそこにあっても少しもおかしくないように思われた。

          
          

 ひと通り観終わってから、無料では申し訳ないと、売店に立ち寄り、草間さんの作品による絵葉書を何枚か求めた。
 ここは、松本にお越しの際はぜひお立ち寄りになると面白いお勧めのスポットだ。


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6 コメント

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草間彌生美術館 (六文銭)
2018-10-18 13:53:39
 私のこの投稿に関し、別のところで、東京新宿区の草間彌生美術館の近くに住む人から、「インターネットで入館手続きが必要でなかなか競争率が高いみたいです」というコメントが着いていました。
 外国からの来館者がとても多いのだそうです。
 いくぶん辛辣な見方をすれば、アングラとか前衛といわれたものが、市場原理の中に取り込まれてゆく一つの形態かも知れません。今やバンクシーの作品に億単位の値が付き、ザザビーで競売される時代ですから。
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RE 懐かしい! (漂着者)
2018-10-18 13:14:24

いえいえ、そもそも私の投稿が迷走していますから。シネマテーク設立時の六文さんのサポートは、間接情報で多少存じています。シネマテーク発足は1980年代初めですが、日本で草間彌生のミニブームは70年代ですか。草間彌生の小説『クリストファー男娼窟』もそのころ読みました。アングラブームのど真ん中。それから約半世紀。今や作品群の認知度は強烈ですね。
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水玉のインパクト (六文銭)
2018-10-18 11:46:28
>花てぼさん
 あれだけの水玉、圧倒されますよね。何かで読んだのですが、彌生さんの視界にはあの水玉がすでにあって、あらゆるものが水玉越しに見えるのだそうです。
 今年の3月、この松本市美術館で、草間彌生展が開催されていますから、それに合わせて屋外展示も塗り直したのかも知れませんね。
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懐かしい! (六文銭)
2018-10-18 11:36:41
 今の名古屋シネマテークのシネアスト時代、懐かしいです。倉本氏が伊勢で学習塾を経営していて、そこでの収入を注ぎ込んだ活動でした。
 上映会のあと、よく私がやっていた店に来てくれました。その折、「そこまでしての活動にどんな展望があるのか」と尋ねたところ、「自分たちの上映館をもつのが夢」とのことでした。
 そこで、ビルの大家に掛け合って「ある時払いの催促無し」で入れてくれることとなりました。あのスタービルそのものが、かつて今池スター劇場のあとでしたから、その折の決め台詞は、「あなたも映画のおかげでビルのオーナーになったのだから、このビルに映画の匂いのする空間を残しておくのもいいのじゃないか」でした。
 そんな関係で、ずっとシネマテークの監査役でしたが、だいぶ前に辞任いたしました。
 あ、草間彌生の話から外れてしまって申し訳ありません。
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Unknown (花てぼ)
2018-10-18 11:08:22
5,6年前にもなるでしょうか、私も偶然、松本市美術館を訪れ、草間彌生さんワールドに目を見張りました。行けども行けども水玉で、目はちらちら、頭はくらくらする感もあった(かな)のですが兎に角引きこまれてすっかり虜になりました。
氏の作品を見ると凡人でいることが情けなるような気持ちになります。
その時、私も屋外のベンチや自動販売機に施されている水玉模様を写真に撮りました。拝見しますと新しく塗り替えられているようです。
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心地よい空間 (漂着者)
2018-10-18 09:06:54

草間彌生、すっかりおなじみの作家になりましたね。私は大須でショートムービーを観たのが最初です。まだ倉本徹さんが名大映研か名古屋シネアストの名で自主上映をしていたころなので、1970年前後でしょうか。当時盛んだったアングラや実験映画の一つで、ひたすら水玉模様が反復する作品でした。彼女の作品がアメリカで評価され、逆輸入のかたちで日本でも有名になってから、若いころ映画をつくっていたことを知りました。次々登場する作品は、アメリカのポップアートにもなじんだ日本で、今とても心地よい空間を作り出していると思います。
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