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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

馬に出会う。そして、ラストラン。

2012-04-29 16:16:27 | 写真とおしゃべり
 4月ももう終わろうという晴天の日、ラストランの写真と動画を撮って欲しいという要請を受けて、愛知県は一宮市の郊外へと出かけた。
 「ラ」ストランであって、レストランの打ち間違えではない。
 また、ラストランといってもマラソンのそれではなく乗馬のラストランである。

       

 子供の頃、疎開していた集落には馬や牛を飼っている家があり、彼らが農作業や荷駄を引くのは当たり前の光景で、したがって、それらをごく身近で見ていたものだ。
 小学校の同級生の何某は、馬にいたずらを仕掛け、馬を怒らせ頭をがぶりとやられ、幸い大事には至らなかったが、その歯型が禿になって残った。
 私の疎開した先の家には馬はいなかった(ただし、土間を挟んで居住部分の向こう側に馬小屋の跡が残っていた)が、家の近くを通った馬が糞をするたび、婆さんが「六、早うとっといで」というので、ちりとりと竹箒のちびたのを持ってそれをとってきた。どうするのかというと、畑にまいて肥料にするのだ。



 飼い慣らされた馬はおとなしく、人懐っこい。
 カメラを構えると、その鼻面をレンズに押し付けてくる。
 今日のラストランをするひとが乗るのは、エスポワールという名の馬である。
 おとなしく賢そうな顔をしている。
 しかし、よく見ていると馬の眼というのはどことなく哀しげで、森の中の人知らぬ湖を覗くような気分にさせられる。そして、それを覗く者の罪を静かに問うているかのようなそんな眼差しでもある。



 ラストランということで馬術競技用の正装で乗るらしい。
 着替えたりする間、馬場や厩舎を見て回る。
 こじんまりとはしているがよく手入れがされている。
 近くにけっこう交通量の多い道路があるが、それを除けばのどかな郊外の風景が広がっている。
 草の匂いが一面に広がっていて、つばめが肩口に触れ合うように飛び交う。もうすぐ、揚雲雀の季節がやってくると、頭上から賑やかなさえずりが降ってくることだろう。



 ラストランが始まった。
 馬の乗り方などはまったく分からないが、いろいろスピードや走法を変えて乗っているらしい。
 それらを写真と動画に収める。
 ひとしきり乗ってから、馬場を後にする。
 さすがに幾分寂しそうだ。
 この人が今後馬に乗るとしたら、なんかの拍子にビジターでここを訪れるか、あるいは、観光地などの牧場で乗るぐらいだろう。



 去る人がいれば来る人もいるのだろうか。
 帰り際、可愛い女の子が二人、馬を見に来て、「ほら、おじいさん、白いお馬だよ」と教えてくれた。
 やがて、彼女たちにも素敵な白馬の王子が現れることだろう。

これを書いている間、頭の中をある一つの歌がぐるぐる回っていた。
 それについて書きたかったが、散漫になるのでやめておく。
 また、機会を見て書こう。

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4 コメント

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Unknown (六文錢)
2012-05-02 00:58:29
>冠山さん
 おっしゃるように今から考えると童話の世界ですね。
 私がいたのは大垣の郊外ですから、徳山から来た馬車挽きさんが残した糞を拾ったことがあるかも知れませんよ。
 なお、その集落には、道路脇に馬や牛のヒヅメなど足回りをチェックする頑丈な木組みの小さな構築物があり、そこへ馬や牛を固定し、それらのメンテナンスをしていました。
 集落の共同使用で、学校の帰りなど、そこで作業が行われていたりすると、我ら悪ガキはしゃがみこんで見物をしたものです。

>にんじんさん
 ドキッとしました。
 しめた!これで同人誌の三号分ぐらいは・・・とも思いましたよ。
 ようするに、本命を捨てる勇気はあっても、まったく駄目を拾う勇気はなかったということでしょうか。

>bbさん
 自動車も原発もいまだ馬に及ばないのでしょうね。
 車の免許返上をそろそろ視野に入れる時期ですが、私のように郊外で商店がないところに住んでいると、たちまち「買い物弱者」になりそうです。
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Unknown (bb)
2012-04-30 12:43:26
馬といえば、幼いころ、ムラには馬がいませんでした。そこでオトナから聞かされたのは「馬は人を踏まない」という話。「蹴られた人や、馬車に轢かれた人はいるけどな」「馬は電気に敏感だ。金網に近寄らない。競馬の馬は金網のフェンスを見て走るからコースを外れない」などと続くコトバをおとぎ話のように聞いていました。さて、このところのニュース。
4月12日:祇園で車暴走、7人死亡
4月23日:児童の列に車、3人死亡体。京都・亀岡
4月29日:高速バス大破、7人死亡。群馬・関越道

自動車はいまだ馬におよばない、というのが私の意見。長くなり、失礼しました。
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Unknown (にんじん)
2012-04-30 11:28:07
 昨日の「天皇賞」競馬の下馬評は、ただ1頭を除いてどんぐりの背較べ。
 と言われれば、無謀と言われても、小生求めたのは、その一頭を外した「どんぐり」馬券。
 その結果は、小生のはかない夢が現実!
 百円が145万2千5百20円になるという事態が起こりました。しかし、小生が手にしていたのは、2、3、4着馬券。
 1着は、「誰にも期待されることなかったので、それがよかったのでしょうか」という伏兵。
 小生まだまだ、「期待せずに賭ける」ということにはほど遠いようで、唇噛みしめています。
 
 
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Unknown (冠山)
2012-04-29 20:58:26
ブログ拝見、さまざまな連想、思い出をたのしんでいます。磨墨の昔話、川中で、馬の腹帯が緩んでいると声をかけ、その一瞬、相手を抜いたという講談に息をのんだ夜。ラストランの大きな、おおきな馬の眼のやさしさ。ぼくの子どものころ、村には5人の荷馬車挽きがいました。夕方、荷馬車は音立てて帰ってきました。挽帯をはずされると、やさしい眼をしてだまって、馬小屋へ入っていくのでした。挽帯?挽具?をはずすと藁で小父さんがていねいに鞍の下、腹帯のあたりをこすり、蹄をしらべ。あれは童話の世界ですね。
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