安倍首相の広島でのスピーチが去年とほぼ一緒でコピペ挨拶だといわれていましたが、長崎でのスピーチもまた昨年のそれとほとんど一緒でした。それのみならず、広島と長崎のものもほぼ同じなのです。
このひとにとっては、去年も今年も、広島も長崎もひとつの雛形で処理できてしまう軽~いものでしかないのです。被爆者と国民を徹底的に愚弄しているというべきでしょう。
私は商業学校の出身ですから、商業実践の時間というのがあって、そこで商業通信文の雛形を習いました。
例えば以下の様なものです(当時を思い起こして書いてみました)。
「謹啓 猛暑の候、貴社ますますご清栄の段、大慶に存じます。
平素は格別のお引き立てに預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、お問い合わせの弊社商品出荷の件に関しましては、鋭意努力を重ねておりましたところ、誠に申し訳ございませんが、お申し付けの期限内にはお届け致しかねる仕儀に至りました。
つきましては、弊社内情などご賢察賜り、何卒ご寛怒の上、遅延に伴う延滞金のご請求などご容赦下さいますよう、この段、伏してお願い申し上げます。
まずは簡略ではありますが、書中をもちまして、ご報告傍々、衷心よりお詫び申し上げる次第です。
末尾ながら、貴社の一層のご発展をお祈り申し上げます。 敬具 」
まずは「ご挨拶」、相手を持ち上げこちらはへりくだる。
「さて」で始まるところで用件に関する状況報告。
「つきましては」で、相手に対する要求など。
「まずは」で、この手紙の結びの言葉。
「末尾ながら」で、再び持ち上げるご挨拶。
これはほとんど血肉を欠いた手紙ですが、ビジネスとしては相互に了解の上での世界ですから、かえってこのように形式化されたもののほうがわかりやすいのです。
ただし、このパターンはラブレターには使えません。
「さて、私儀、貴殿をお慕いいたしております。
つきましては、何卒我が胸中をご賢察の上・・・」
ではなんともいただけません。
安倍首相に、ラブレターをよこせというわけではありません。しかし、商業通信文的なパターン化された物言いを、少なくとも原爆の記念式典ではして欲しくないと思うのですが、まあ、この人にいっても無駄なようですね。
ようするに、上記のような挨拶の中には、述べ手としての安倍氏も、そしてどんな人間も住んではいないのです。
曰く「空疎」!
このひとにとっては、去年も今年も、広島も長崎もひとつの雛形で処理できてしまう軽~いものでしかないのです。被爆者と国民を徹底的に愚弄しているというべきでしょう。
私は商業学校の出身ですから、商業実践の時間というのがあって、そこで商業通信文の雛形を習いました。
例えば以下の様なものです(当時を思い起こして書いてみました)。
「謹啓 猛暑の候、貴社ますますご清栄の段、大慶に存じます。
平素は格別のお引き立てに預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、お問い合わせの弊社商品出荷の件に関しましては、鋭意努力を重ねておりましたところ、誠に申し訳ございませんが、お申し付けの期限内にはお届け致しかねる仕儀に至りました。
つきましては、弊社内情などご賢察賜り、何卒ご寛怒の上、遅延に伴う延滞金のご請求などご容赦下さいますよう、この段、伏してお願い申し上げます。
まずは簡略ではありますが、書中をもちまして、ご報告傍々、衷心よりお詫び申し上げる次第です。
末尾ながら、貴社の一層のご発展をお祈り申し上げます。 敬具 」
まずは「ご挨拶」、相手を持ち上げこちらはへりくだる。
「さて」で始まるところで用件に関する状況報告。
「つきましては」で、相手に対する要求など。
「まずは」で、この手紙の結びの言葉。
「末尾ながら」で、再び持ち上げるご挨拶。
これはほとんど血肉を欠いた手紙ですが、ビジネスとしては相互に了解の上での世界ですから、かえってこのように形式化されたもののほうがわかりやすいのです。
ただし、このパターンはラブレターには使えません。
「さて、私儀、貴殿をお慕いいたしております。
つきましては、何卒我が胸中をご賢察の上・・・」
ではなんともいただけません。
安倍首相に、ラブレターをよこせというわけではありません。しかし、商業通信文的なパターン化された物言いを、少なくとも原爆の記念式典ではして欲しくないと思うのですが、まあ、この人にいっても無駄なようですね。
ようするに、上記のような挨拶の中には、述べ手としての安倍氏も、そしてどんな人間も住んではいないのです。
曰く「空疎」!
たしかにいわゆるお役所仕事ではそうでしょうね。
しかし、安倍氏に関しは、その防衛大学の卒業式での挨拶では、毎年、丁重に内容を変えているというデータがあります。
http://blog.goo.ne.jp/entertainment_2005/e/9147fac84ebbb961a94538b140af867c
最近、2chで「いつまでも広島、長崎とうざいんだよ。被爆者早く死ね!」というのを見て唖然としましたが、安倍氏も内心ではこれに近く、だからあんなぞんざいで安易なコピペで済ますことができたのではないかと思います。
いずれにしてもその政治指向がわかりやすいひとです。
しかしあまりに「変える」と、礼儀知らずと言われることがあります。
「エライ人」の手に渡るまでに「ハンコ」が五個から六個押されます。
当の本人の「エライ人」は直前まで知らないことが多いと思います。
最近は、「あの事」があったので、ふりがな付きになったようです。
首相の「サービス」に対して以下のようなお礼状はいかがでしょうか。
安倍内閣総理大臣殿
ご政務ご多用ななか、わざわざ広島や長崎くんだりまでご足労頂き、昨年とほぼ同様の文章などお読み頂きました段、国民一同、感涙にむせんでおります。
ご挨拶の趣旨からは、もはや広島や長崎は過去の些細な事実であり、そこに束縛されることなく、戦争ができる「フツー」の国としての「日本を取り戻す」ことこそが肝要なのだとのご意志がふつふつと伝わって参ります。
しかしながら、ご趣旨に賛同致しかねる者も数多く存在いいたし、不肖私めもその一員として、能う限りの抵抗をさせていただく所存ですので、その旨、ご承知おきくださいますよう申し添えるものであります。
日本人は、「そういうものだ」にすぐ慣らされる人種です。「声明文はそういうものでよいのだ」‥‥
首相が出席する様になっただけでも、大サービスと思っているのでは?