*写真は内容とは関わりありません。「ものたちのありよう」
「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」
これは滋賀4区選出衆議院議員、武藤貴也のツイッターでの発言。当然炎上。
戦争に行きたくないのが自己中の利己的個人主義?
では、お前は戦場へ行くのか?という問いも殺到。
それに対する回答を、雑誌『東洋経済』とのインタビューで以下のようにしている。
武藤「私個人のことを申し上げれば、他国が侵略してきたら、愛する家族や故郷を守るために戦います。しかし政治家が戦争に行くことは、国家としての意思決定が出来なくなりますし、政治家は軍事技術を持っていないので、実際戦地に行くべきではないと考えますが。」
ようするに、政治家は国家としての意志決定をするのが仕事だから「行かない」といっているのだ。もちろん彼も政治家だから行かない。
先の戦争において、戦場へ行かず、その実情も知らない政治家たちの「国家としての意思決定」という無謀な机上の空論によって、どれだけの命が失われ、どれだけの悲惨が生み出されたのか彼はをまったく知らないし、また知ろうとするつもりもないようだ。
われわれは「国家としての意思決定」をするため(行きたくとも?)戦場へは行けないが、ただし、われわれの決定に従わず、戦場へ行きたくないなどというやつは自己中で「極端な利己的考えに基づ」いているからけしからんというわけだ。
なんというご立派なお立場であることよ!
で、このご立派な安倍チルドレン、どんな経歴で今日に至ったのかを調べてみて文字通りびっくり仰天した!
以下は『日刊ゲンダイ』の記載による。
なんと、国会議員になる前、このトッチャン坊やは、反原発、脱ダム路線の嘉田由紀子前滋賀県知事のところにいて、脱ダム運動のペーパーをせっせと作ったりしていたというのである。
「2007年秋から(嘉田知事支持の県議会与党系会派の)『対話の会』が事務員として雇ったらしいです。雇った経過は知りません。武藤氏が代表質問などを書いていて、完全にダム反対論者でした」(嘉田前知事 談)
しかし、どうやらこれは単なる踏み台だったようだ。
まずは京都の民主党に「国会議員候補者にしてくれ」と頼み込み、それを断られると、2009年には自民党の滋賀県第4区の公募に手を挙げて名乗りでたというのだ。
かくして、「反原発」「脱ダム」の若き戦士は2年もしないうちに豹変し、自民党の中でもウルトラ右翼に属することとなったわけだ。
そこには、政策転換とか、思想遍歴とかいったたぐいのものは全くない!
「変節」ですらない。なぜなら、変節とはもともと節があって、それを曲げることなのだが、彼の場合、もともとどんな節もありはしなかったのだ。
あるのはただ、「なんでもいいから」国会議員になりたいという権力欲のみなのだ。そのためなら、共産党だろうが自民党だろうがまったく構わないのだ。理屈や政策は、あとから絆創膏のようにくっつければ済むことだ。
政治的節操なんてのは彼の辞書にはない死語であり、寝言でしかない。
こんな男が「国家としての意思決定」をするとうそぶき、そのもとで若者たちは戦場へと駆り出されようとしているのだ。それを拒む奴は自己中で利己的だと非難されながら。まことに、哀れというほかはない。
自民党がとみに劣化したというのはもはや万人が認めるところだが、まさにその象徴のような男である。
書いていて、反吐が出そうになった。
「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」
これは滋賀4区選出衆議院議員、武藤貴也のツイッターでの発言。当然炎上。
戦争に行きたくないのが自己中の利己的個人主義?
では、お前は戦場へ行くのか?という問いも殺到。
それに対する回答を、雑誌『東洋経済』とのインタビューで以下のようにしている。
武藤「私個人のことを申し上げれば、他国が侵略してきたら、愛する家族や故郷を守るために戦います。しかし政治家が戦争に行くことは、国家としての意思決定が出来なくなりますし、政治家は軍事技術を持っていないので、実際戦地に行くべきではないと考えますが。」
ようするに、政治家は国家としての意志決定をするのが仕事だから「行かない」といっているのだ。もちろん彼も政治家だから行かない。
先の戦争において、戦場へ行かず、その実情も知らない政治家たちの「国家としての意思決定」という無謀な机上の空論によって、どれだけの命が失われ、どれだけの悲惨が生み出されたのか彼はをまったく知らないし、また知ろうとするつもりもないようだ。
われわれは「国家としての意思決定」をするため(行きたくとも?)戦場へは行けないが、ただし、われわれの決定に従わず、戦場へ行きたくないなどというやつは自己中で「極端な利己的考えに基づ」いているからけしからんというわけだ。
なんというご立派なお立場であることよ!
で、このご立派な安倍チルドレン、どんな経歴で今日に至ったのかを調べてみて文字通りびっくり仰天した!
以下は『日刊ゲンダイ』の記載による。
なんと、国会議員になる前、このトッチャン坊やは、反原発、脱ダム路線の嘉田由紀子前滋賀県知事のところにいて、脱ダム運動のペーパーをせっせと作ったりしていたというのである。
「2007年秋から(嘉田知事支持の県議会与党系会派の)『対話の会』が事務員として雇ったらしいです。雇った経過は知りません。武藤氏が代表質問などを書いていて、完全にダム反対論者でした」(嘉田前知事 談)
しかし、どうやらこれは単なる踏み台だったようだ。
まずは京都の民主党に「国会議員候補者にしてくれ」と頼み込み、それを断られると、2009年には自民党の滋賀県第4区の公募に手を挙げて名乗りでたというのだ。
かくして、「反原発」「脱ダム」の若き戦士は2年もしないうちに豹変し、自民党の中でもウルトラ右翼に属することとなったわけだ。
そこには、政策転換とか、思想遍歴とかいったたぐいのものは全くない!
「変節」ですらない。なぜなら、変節とはもともと節があって、それを曲げることなのだが、彼の場合、もともとどんな節もありはしなかったのだ。
あるのはただ、「なんでもいいから」国会議員になりたいという権力欲のみなのだ。そのためなら、共産党だろうが自民党だろうがまったく構わないのだ。理屈や政策は、あとから絆創膏のようにくっつければ済むことだ。
政治的節操なんてのは彼の辞書にはない死語であり、寝言でしかない。
こんな男が「国家としての意思決定」をするとうそぶき、そのもとで若者たちは戦場へと駆り出されようとしているのだ。それを拒む奴は自己中で利己的だと非難されながら。まことに、哀れというほかはない。
自民党がとみに劣化したというのはもはや万人が認めるところだが、まさにその象徴のような男である。
書いていて、反吐が出そうになった。
私は六文銭さんのブログ以外に定期的にチェックしているものはないので、ちょっと驚きました。みなさんいろんなことを書いていらっしゃるんですね。おかげさまでたくさん記事を読ませていただきました。とても勉強になりました。
ただ、私はちょっと勘違いをしていて、その法案の全文が出てくるかと思っていたのです。そんな時代にプロの軍人がどんなことを書いていたのか興味があって。
メディア観望 危険と無縁の権力者
全文を開いて、ここにアップしていただくことはできませんか?それで私のブログにも展開したいです。あ、私、現在中国に住んでいます。
[引用]
二十世紀初め、戦争をなくす「戦争絶滅受合(うけあい)法案」なるものが作られた。作者はデンマークの陸軍大将。日本では昭和初期、ジャーナリストの長谷川如是閑(にょぜかん)が紹介した。
内容を要約すると、開戦十時間以内に最下級兵士として、最前線に送るべき者に「国家元首」「国家元首の十六歳以上の親族」「総理大臣、および国務大臣、次官」「戦争に反対しなかった国会議員・宗教の高僧」らを挙げ、「該当者の妻や娘らも砲火に近い野戦病院に勤務」とも。わが国では、現憲法に元首の定めがないため、対象となるのは閣僚などの政治家か。(後略)
*全文は次の検索で、いまならご覧になれます。
メディア観望 危険と無縁の権力者 中日プラス
そして、それ以後に自己形成をした連中の中から、上のようなトンデモ人間たちが現れ、それが安倍を中心にお仲間を形成しているのが今日のように思います。
悪い憲法と、悪い教育のせいで、
自己中になっていると言っているらしい。
本当に、なさけない。しかも、麻生は、彼をいさめて「法案を通すことが今は一番大事だから」と言い、「通過した後なら何を言ってもいいが」と口歪みで言い放っている。なんという政治屋ばかりなのでしょうか。情けなくて。