敗戦記念日、メディアでネットで多くのことが語られている。
「朝日」の、1、2面の特集がなぜそこなのかいくぶん気になるが、敢えて触れまい。
近隣諸国、2,000万人の死者とこの国の300万人の死者に対し、静かに鎮魂の礼を尽くしたい。ちなみに、敗戦の年、1945(昭20)年、この国の男性の平均寿命は24歳を切っていたという。
鎮魂の対象には私の実父も含まれる。1944年、あの無謀なインパール作戦のビルマ(現ミャンマー)において戦死している。
今日は同時にお盆だ。
上記の父、私を産んでまもなく亡くなった実母、そして、孤児になった私をこんなにもいい子に育ててくれた養父、養母、彼らの御霊が私の身辺に帰還するこの日、それを丁重に迎えたい。
人間の生は、この世へと現れ、人々と交わったあと、自然にまたこの世を去ってゆく。その極めて当たり前の過程を、禍々しい人為によって、無残に断ち切ることがあってはならない。
「朝日」の、1、2面の特集がなぜそこなのかいくぶん気になるが、敢えて触れまい。
近隣諸国、2,000万人の死者とこの国の300万人の死者に対し、静かに鎮魂の礼を尽くしたい。ちなみに、敗戦の年、1945(昭20)年、この国の男性の平均寿命は24歳を切っていたという。
鎮魂の対象には私の実父も含まれる。1944年、あの無謀なインパール作戦のビルマ(現ミャンマー)において戦死している。
今日は同時にお盆だ。
上記の父、私を産んでまもなく亡くなった実母、そして、孤児になった私をこんなにもいい子に育ててくれた養父、養母、彼らの御霊が私の身辺に帰還するこの日、それを丁重に迎えたい。
人間の生は、この世へと現れ、人々と交わったあと、自然にまたこの世を去ってゆく。その極めて当たり前の過程を、禍々しい人為によって、無残に断ち切ることがあってはならない。
この「終戦」と「敗戦」は歴史評価の分かれ道でもあるように思います。
「終戦」派はあの戦争は天皇陛下の御聖断によって主体的に終結させたのだと解釈します。したがって、戦前戦後の「国体」の連続性、継承性を保持しています。
それに対し「敗戦」派は、この時を期して日本は変わったのだし、変わらねばならないと思い続けてきました。
その象徴が憲法です。
しかし、おっしゃるように現今のこの国の「最高の責任者」はそれがうっとおしくてしょうがないようで、「日本をとりもどす」のスローガンのもと、今度は勝てる戦争を夢見ています。
「朝日」の東郷氏を中心とした極めて曖昧なものを、今日の冒頭に持ってくるやり方同様、おっしゃるように昼のNHKのニュースにも違和感を持ちました。
靖国参拝批判にまったく触れられていないのですから、参拝した閣僚らの「弁明」は弁明としてより靖国参拝の正当性をアッピール効果を持っていたように思います。
このコトバに親しみを感じております。ことし、3月、地域の同好会報で「敗戦後の日本は…」というコトバに出会って以来のことです。筆者の姿を見かけたとき、思わず声をかけました。返ってきたコトバは「終戦なんて、ゴマカシだよ」でした。
[補遺]わが「最高の責任者」は、「不戦」というコトバを昨年に続いて本日も使わなかった。
ニュースでは、靖国参拝をした閣僚二人と自民党役員の弁明を、これでもかこれでもかと放送。曰く、
「国のために尊い命と誠を捧げられた御霊にたいして参拝したものです。」