TVの歌謡番組はあまり見ないほうだが、それでも「アカンベー」とか「スケベー」とかいった女の子たちのグループが太ももあらわに飛んだり跳ねたりしながら歌っているのがいやでも目に付く。
歳はとっくにバレているからいうのだが、半世紀ぐらい前の私の若いころには、踊りながら歌うということはあまりなかったと思う。
盆踊りなどでも、音頭を取るひとは櫓の上にいて、踊り手はせいぜい囃子言葉に唱和するぐらいだった。
歌謡曲などの世界でも、直立不動で歌う東海林太郎(トウカイ・リンタロウではありません)をはじめあまり動いたりはせず、ゼスチャーといってもせいぜい腕を多少動かすぐらいだった。
いわゆる振付が派手になったのはザ・ピーナッツなどの和製ポップスの頃からだろうか。
もう少し後になるが、金井克子の交通整理をしているようなフリも印象的だった(「他人の関係」)。その辺の幼い子まで真似をしていたように思う。

ジャニーズ系も踊って歌う。SMAPなどは平均すると40歳ぐらいだが踊りながら歌う。まあ、山本昌もまだ頑張っているからまだまだかも知れない。
年齢からいえば郷ひろみなどはもう還暦近くになるのに、まだ踊って歌っている。踊りの最後に上着を脱ぐような仕草をするのはなぜだろう。暑けりゃ最初から脱いで踊ればいいように思う。
長くなったが、ここまでは前振りで、政治の世界にも踊りながら歌うような人たちがいるということだ。
戦後の政治家でいえば、田中角栄などがそれに相当するかもしれない。「日本列島改造」音頭に乗って舞台へ登場した。この頃はまた、上に述べた歌謡曲の世界でもフリがドンドン華やかになった時代でもある。
ちなみのこの角栄氏、初めての大正生まれの首相であった。ということはそれまではみんな明治生まれだったということである。
彼の政治手腕はまさに人を躍らせるところがあった。あのだみ声の演説は、サッチモというよりむしろ一節太郎の浪曲歌謡といっていいだろう。
ついで、そうした部類に入るのは小泉純一郎であろう。「郵政改革」節がほぼ唯一のレパートリーで、B面(レコード盤の話です)に、「自民党をぶっ壊す」などというハードロック並の曲も入っていたため、結構受けたのだが、気づいてみたら、今日さらに進行しつつある新自由主義と自己責任論による格差体制が本格化したのであった。
この歌って踊る小泉氏があまりにも派手すぎたのか続くトリオ・ザ・ジミンはあまりパッとしなかった。なかには「キャラ」を立てていると自認していた人もいたようだが、漢字が読めないで苦労した。
日本では、どれだけの漢字を知っていて使用できるかが即インテリのように思われていて、これには私自身としては同意できかねるのだが、彼がそうした一般的な評価に引っかかってしまったのは気の毒だった。

その後は「政権交代」マーチに乗って民主の団子3兄弟が続くのだが、これがまた、歌も踊りもうまくないと来て三年でお払い箱となった。この交代劇の傷跡は深い。それは、彼らがダメだということのみではなく、それを通じて、政権交代そのものの持つ意味合いまで失わしめた感があるからである。
ようするに、「政権交代をしても同じだ」、「一層悪いのでは?」といった実に嫌な後味を残したステージだったからだ。
かつて、トリオ・ザ・ジミンの一員だった安倍晋三氏の復活はそれなりに印象的だ。健康が回復したせいかすっかり自信を取り戻して、ステージのセンターを確保した。新曲「アベノミクス」は株価の上昇、円安の進行などという追い風に助けられてヒットチャートを上昇しつつあるかにみえる。
この人の踊りのメインのテーマ曲は「改憲」幻想曲である。しかし、ここへ来て迂回作戦に出た。96条の改憲項目を緩和し、過半数での改憲を実現しようとするものだ。ようするに本丸攻めの前に堀を埋めてかかろうというわけだ。
先に、長嶋氏と松井氏に国民栄誉賞を授与するセレモニーが東京ドームで行われたが(それ自身、まさに劇場型である)、その折、安倍氏がつけた背番号は96であった。本人は自分が第96代の総理だからととぼけてみせたが、96条を意識していたことは火を見るよりも明らかである。
さて、順調な滑り出しを見せている安倍氏であるが、最初は遠慮がちに、そして昨今ではかなり大っぴらに鷹の爪(トンガラシではない)を見せるようになった。ネットではその筋の人達がヤンヤと喜び騒いでいる。
が、しかし、一方、アメリカからもその歴史認識やそれに基づく見解をたしなめられつつもある。
そりゃあまあ、過去の戦争は正当防衛であったとマッカーサーの議会証言まで曲解して騒ぎ立てられたのではアメリカとしても立つ瀬はあるまい。

安倍氏には田中氏や小泉氏ほどのカリスマ性はないし、陽気なステップは踏めそうにはない。
しかしそれだけに、顕在化しないところでの動きが気になるし、背後関係にもブラックなところがあるといわれている。
さて、夏の参院選であるがこの上げ潮ムードが続くならば、余勢をかっての改憲ムードが加速されるだろう。
私自身は、もう9条はすでにして見るからにボロボロではあるが、それを理由にさらに軍事色を強める方向で改定する必要はないと思っている。
また、96条に関していえば、現行憲法を護る護らないにかかわらず、改憲のハードルを低くすべきではないと思う。憲法という国是は、政権交代のたびに左右するようなものではないはずだ。改憲派の人の中でも、とりわけ法律の専門家などではこれには抵抗を示す人も多い。
いずれにしても夏の参院選がひとつの分かれ目になる。
いしだあゆみの曲ではないが、「あなたな~らどうする~」が問われている。
歳はとっくにバレているからいうのだが、半世紀ぐらい前の私の若いころには、踊りながら歌うということはあまりなかったと思う。
盆踊りなどでも、音頭を取るひとは櫓の上にいて、踊り手はせいぜい囃子言葉に唱和するぐらいだった。
歌謡曲などの世界でも、直立不動で歌う東海林太郎(トウカイ・リンタロウではありません)をはじめあまり動いたりはせず、ゼスチャーといってもせいぜい腕を多少動かすぐらいだった。
いわゆる振付が派手になったのはザ・ピーナッツなどの和製ポップスの頃からだろうか。
もう少し後になるが、金井克子の交通整理をしているようなフリも印象的だった(「他人の関係」)。その辺の幼い子まで真似をしていたように思う。

ジャニーズ系も踊って歌う。SMAPなどは平均すると40歳ぐらいだが踊りながら歌う。まあ、山本昌もまだ頑張っているからまだまだかも知れない。
年齢からいえば郷ひろみなどはもう還暦近くになるのに、まだ踊って歌っている。踊りの最後に上着を脱ぐような仕草をするのはなぜだろう。暑けりゃ最初から脱いで踊ればいいように思う。
長くなったが、ここまでは前振りで、政治の世界にも踊りながら歌うような人たちがいるということだ。
戦後の政治家でいえば、田中角栄などがそれに相当するかもしれない。「日本列島改造」音頭に乗って舞台へ登場した。この頃はまた、上に述べた歌謡曲の世界でもフリがドンドン華やかになった時代でもある。
ちなみのこの角栄氏、初めての大正生まれの首相であった。ということはそれまではみんな明治生まれだったということである。
彼の政治手腕はまさに人を躍らせるところがあった。あのだみ声の演説は、サッチモというよりむしろ一節太郎の浪曲歌謡といっていいだろう。
ついで、そうした部類に入るのは小泉純一郎であろう。「郵政改革」節がほぼ唯一のレパートリーで、B面(レコード盤の話です)に、「自民党をぶっ壊す」などというハードロック並の曲も入っていたため、結構受けたのだが、気づいてみたら、今日さらに進行しつつある新自由主義と自己責任論による格差体制が本格化したのであった。
この歌って踊る小泉氏があまりにも派手すぎたのか続くトリオ・ザ・ジミンはあまりパッとしなかった。なかには「キャラ」を立てていると自認していた人もいたようだが、漢字が読めないで苦労した。
日本では、どれだけの漢字を知っていて使用できるかが即インテリのように思われていて、これには私自身としては同意できかねるのだが、彼がそうした一般的な評価に引っかかってしまったのは気の毒だった。

その後は「政権交代」マーチに乗って民主の団子3兄弟が続くのだが、これがまた、歌も踊りもうまくないと来て三年でお払い箱となった。この交代劇の傷跡は深い。それは、彼らがダメだということのみではなく、それを通じて、政権交代そのものの持つ意味合いまで失わしめた感があるからである。
ようするに、「政権交代をしても同じだ」、「一層悪いのでは?」といった実に嫌な後味を残したステージだったからだ。
かつて、トリオ・ザ・ジミンの一員だった安倍晋三氏の復活はそれなりに印象的だ。健康が回復したせいかすっかり自信を取り戻して、ステージのセンターを確保した。新曲「アベノミクス」は株価の上昇、円安の進行などという追い風に助けられてヒットチャートを上昇しつつあるかにみえる。
この人の踊りのメインのテーマ曲は「改憲」幻想曲である。しかし、ここへ来て迂回作戦に出た。96条の改憲項目を緩和し、過半数での改憲を実現しようとするものだ。ようするに本丸攻めの前に堀を埋めてかかろうというわけだ。
先に、長嶋氏と松井氏に国民栄誉賞を授与するセレモニーが東京ドームで行われたが(それ自身、まさに劇場型である)、その折、安倍氏がつけた背番号は96であった。本人は自分が第96代の総理だからととぼけてみせたが、96条を意識していたことは火を見るよりも明らかである。
さて、順調な滑り出しを見せている安倍氏であるが、最初は遠慮がちに、そして昨今ではかなり大っぴらに鷹の爪(トンガラシではない)を見せるようになった。ネットではその筋の人達がヤンヤと喜び騒いでいる。
が、しかし、一方、アメリカからもその歴史認識やそれに基づく見解をたしなめられつつもある。
そりゃあまあ、過去の戦争は正当防衛であったとマッカーサーの議会証言まで曲解して騒ぎ立てられたのではアメリカとしても立つ瀬はあるまい。

安倍氏には田中氏や小泉氏ほどのカリスマ性はないし、陽気なステップは踏めそうにはない。
しかしそれだけに、顕在化しないところでの動きが気になるし、背後関係にもブラックなところがあるといわれている。
さて、夏の参院選であるがこの上げ潮ムードが続くならば、余勢をかっての改憲ムードが加速されるだろう。
私自身は、もう9条はすでにして見るからにボロボロではあるが、それを理由にさらに軍事色を強める方向で改定する必要はないと思っている。
また、96条に関していえば、現行憲法を護る護らないにかかわらず、改憲のハードルを低くすべきではないと思う。憲法という国是は、政権交代のたびに左右するようなものではないはずだ。改憲派の人の中でも、とりわけ法律の専門家などではこれには抵抗を示す人も多い。
いずれにしても夏の参院選がひとつの分かれ目になる。
いしだあゆみの曲ではないが、「あなたな~らどうする~」が問われている。
>漂着者さん
コメントありがとうございました。
ご返事をと思いながら今日まで失念していました。
これにお懲りにならず、今後とも宜しく。
キナ臭い懐メロを、陽気な歌に紛れ込ませる安倍……。
との言は、吉田茂『回想10年』。
当事者としてはこう言わざるを得ないでしょうが、しかしネットで憲法制定時のこんなやりとりも再見することができました。
「戦争には自衛戦争もあるわけで、〈自衛権〉放棄は如何なものか」との野坂参三に対して、吉田茂は
「戦争にいい戦争悪い戦争はない」。
主として答弁したのは名古屋出身の金森徳治郎。その答弁数1360回。そして421票対8で可決。