二階の窓を開けていろいろなことをしていたら、なにやらエンジン音のようなものが聞こえる。覗いてみたら、予想通り、バス通りを挟んだ斜め前の田圃で稲刈りが始まっている。
稲刈りの様子と田圃に置かれた稲束
ここの方式は、例年、先般紹介(10月8日付け拙日記)した稲藁がバラバラになってしまうものと違い、ちゃんと藁を残して刈り取り、それを稲架(はざ)掛けにして天日干しにするものだ。
向こうに小さく見える人と二人の作業
棚田などで活躍しそうな小型の刈り取り機がフル稼働だ。
顔は撮しませんからと許可をとって撮影した。
道端には、稲架掛け用のパイプなどが置かれていた。
稲架掛けが終わったら、また撮そうと思う。
オマケ 隣の田圃にあったオブジェ風のもの
【追伸】夕方、もう一度見に行ったらスッカリ稲架掛けが終わって、辺り一面、稲の青臭いような匂いが漂っていた。
稲刈りの様子と田圃に置かれた稲束
ここの方式は、例年、先般紹介(10月8日付け拙日記)した稲藁がバラバラになってしまうものと違い、ちゃんと藁を残して刈り取り、それを稲架(はざ)掛けにして天日干しにするものだ。
向こうに小さく見える人と二人の作業
棚田などで活躍しそうな小型の刈り取り機がフル稼働だ。
顔は撮しませんからと許可をとって撮影した。
道端には、稲架掛け用のパイプなどが置かれていた。
稲架掛けが終わったら、また撮そうと思う。
オマケ 隣の田圃にあったオブジェ風のもの
【追伸】夕方、もう一度見に行ったらスッカリ稲架掛けが終わって、辺り一面、稲の青臭いような匂いが漂っていた。
そういえば経木の折というのはとんと見かけなくなりましたね。それらしく見えても、プラスチックのボードにプリントしたものが多いようです。
おっしゃるように経木についた米粒はまた独特の香りがありましたね。
お酒でいえば樽酒の木の香り、枡の香りでしょうか。
ほのかな香りを楽しむというのも日本の食文化の特色で、それは、いわゆる、スパイスといういくぶん押し付けがましい香りともたぶん違ったもののような気がします。
おっしゃる「千歯こき」、あるいは「千歯抜き」は、木製や竹製、後期には鉄製の尖った歯をたくさん並べ、そこで穂先をしごいて籾米をとる装置ですね。
さすがの私も、それを使用しているのは見たことはありません。というのは、その方法は、大正時代に足踏式脱穀機が発明されるや廃れてしまったからです。
足踏み式脱穀機に関しては10月8日付けの拙日記に、イラストを紹介しておきました。そしてそのあとは、そのイラストの隣に紹介した唐箕(唐箕)という装置でさらに不純物を取り除いていました。
ここまでは私の子供の頃の方法です。
現在は、やはり10月8日に紹介しておいたように、コンバインの段階で刈り取りと同時に籾米にしてしまいます。
ところで、12日付で紹介しました稲架掛けのものですが、その後どうするのかは私も正確には知らないのです。というのは、干し上がると車に積んで持って行ってしまうため、それ以降の作業を目撃したことはないのです。
田んぼに囲まれて生活している私ですらそんな有り様ですから、都会の人が米の生産過程をご存じないのも致し方無いでしょう。
何年か前ですか、大学生に鶏の絵を書かせたら、かなりの人たちが4本足を書いていたという報道を読みました。
【追記】私の母方の祖母は、普段は優しい人でしたが、ことお米に対しては厳格で、極端にいうと、トレにこぼした米粒でも食べさせました。彼女いわく、「六や、一粒の米でも作るのに一年かかるんや」でした。
ほかにも一般的に、米という字を分解すると八十八になるのは米作りは八十八通りの手間がかかるからだといわれたりします。
私は今も、祖母の言いつけを守り、落とした米粒も拾って食べますし、家でも外食でも米粒は残しません。
ただし、ただしです。
米作りは、私の子供時代や祖母の時代とは大きく変わっているのです。私の周りでもほとんどが兼業農家ですが、土日を利用して田植えをし、同様に取り入れをし、途中の手入れも農薬任せという状況を見るにつけ、時代は確実に変わったと思います。
子供の頃。私もついていったことがありますが、祖母の時代には、七月、八月の炎天下に中腰になって田の草取りをしました。それはそれはきつい労働でした。
今はそんなことをしているのを見たことがありません。農薬が稲より浅い根をはる雑草をすべて駆除してくれるからです。
今様の農家の悪口は言いたくありませんが、米作りが大きく変わっていることは事実です。
へんな感じがします。