午後になり、やはり、じっとしてはおられませんでした。距離的には前日のそれと比べてどうでしょうか、略同じくらいかも知れません。今回は用務は無かったのですが一応の目的地(写真右3点)は決めていました。写真1の、画面奥の白い部分はタバコの苗の植え付けが行われた場所です。6人で作業しておられましたが、その中の1人の高齢女性の方と暫時、会話を交わしました。写真2では残念ながら木の葉の下に在った菜の花は切り取られていて残っているのは僅か数本のみでした。写真3では釣り人に一応の了解を戴いて撮影しました。彼は「(撮影に)邪魔なら少しの間隠れましょうか」と言われましたので、その必要はない旨を告げて撮影しました。
道中及び目的地での写真計5点を添えます。
テーブル上に飾ってあるスイセンがその香りを漂わせています。その香りを本当は届けたいのですが、残念です。
写真を添えます。
レシプロソーとだんだん、仲良しになっています 当初はかなり使い辛い器具ではありましたが、使い続ける事によって少しずつその便利さを享受出来るようになってきています。
取り扱い説明書では、取り付けた刃の根元近くに設けてある「シュー」なる部分を切断対象の物(木材、植木など)にあてがって切ることが記されています。確かに、そうすれば順調に切り進むことが出来ます。ところが、材質が固い物や切断部分内の刃に接した切り口により刃が圧迫されている場合はそのシューが対象物から離れ、切断が停止してしまいます。刃はその侭、動き続ける状態で。
この現象から、使用する人によってはレシプロソー使用を比較的細い枝や木材に限ってしまわれるかもしれません。場合によってはその使用自体を遠ざけられることもあるかも知れません。
私も最近までその捉え方をしていて悩みの1つでしたが、偶然に別の切断法を採ったとき極めてスムーズに作業が進み、感激したことがありました。そして、対象物によって使う刃の種類を変えることの効果も知ることができました。
木材と植木とでは異なる刃を使い(鉄製品などの場合もあります)、これまでは、刃の一部しか使用しないことで進んでいたものが刃全体を使用出来るようになったこと、切断時に器具を持った手をジッと固定していたのを、手動で鋸を使うときのように押したり引いたりすること、それらのことに気づきました。
レシプロソーと、より仲良くなれました。
1年以上前に開店予定だったカフェに今日、改めて足を向けました。当時は、オープンを狙って訪問したのですがまだ、その為の条件が整っていない、ということで開店に至っていませんでした。場所は我が家から徒歩で2分程の所で、私はよく、通るルートです。それまでは田舎にこんな庭を持つ方はどなただろうか、と強く、疑問に思って過ごしてきていました。それから1年以上が経過し、その何処かの時点でオープンを迎えたようでした。
今日訪れて同店はコーヒーだけで無く簡単な食事も出来ることが分かりました。同じ時間帯に、この地からは車で90分は要する町から来られたという女性の方1人がおられ、同席して懇談しながら昼食を摂りました。
写真5点を添えます。
写真は、昨日午前10時から斉行された氏神様の例祭の1場面です。現場は「神宮」で「神社」ではありませんので周囲に存在する他とは異なる立場では、と思われますが、実際の運営でどう違っているのかは私には分かりません。
それは兎に角、祭事は写真が示すように極めて細やかな姿で行われ参列者の数も僅かでした。しかし、祭事の内容は恐らく大規模な神宮、神社のそれと異なることはないのでは、と想像しています。
私は以前、当該神宮で役割を戴いていたこともあり、昨年までは拝殿にあがり榊奉納に従事していましたが、今年は腰&脚の痛みを持っている為それを辞退しました。従って、写真右側の椅子席で参列しました。
そのことは参列の有無についてハガキで返事するとき丁寧に説明をしていたのですが、神宮側には正確にはそれを理解して戴けなかったのでしょう、受付の名簿では私の氏名は二重線で抹消されていました。例年とは異なる私の行動だったことからその食い違いの発生は致し方ないことではあったでしょう。
フジバカマに別の蝶が・・・
従兄弟の家にアサギマダラが飛来した情報を戴いてから後、我が家では妻共々フジバカマの場所に足を運ぶ機会が増えました。しかし、何の変化も起きません。花は白・赤ともちゃんと立派に咲いている、と思いますが。その本数が少ないのが問題だと思っています。