飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学習性無力感

2019年10月22日 12時46分42秒 | 学級経営
学級崩壊や担任不信はなぜ起こるのか。
様々考えられるが、その一つが学習性無力感である。

通常、新しい学級がスタートすると新たな人間関係もできていないため、それぞれが期待と希望に胸を膨らませている。
この上向きなベクトルをうまく導いて学級経営の基盤を作り上げていく。
しかし、このベクトルを意識せず、時間をかけてとか、子供の自主性をいかしてとか言って、無為無策に日々を過ごすと一年間取り返しのつかないことになる。

水槽の中のカマスの話がある。
水槽の真ん中に透明な仕切板を入れる。
カマスの入っているスペースとは反対のスペースに餌となる小魚を入れる。
カマスは、その餌を食べようと透明なしきりに突進を繰り返す。
しかし、何度も繰り返すうちにあきらめ、やがて、透明な仕切りを取り除いても決して小魚方へはいかなくなる。

しばらくし、新入りのカマスを入れると、失敗した経験をもたないカマスは一直線に餌を食べに行く。
それをみていたもともといたカマスは、あの餌が食べられることに気づくというお話である。

努力を重ねても、望む結果にならない場合、「何をしても無駄だ」という考えに支配されるようになる。
こういう無気力状態に陥っているのが学級崩壊の一面である。
正義感やよりより集団を作っていこうとする子どもたちをリードし、全体を底上げしていく力を教師はもたなければならい。

無気力が蔓延した組織を変えるには新しい異質は人材が必要となる。
学級の場合は、担任である。
学級崩壊の根本的な解決策は、担任を変えること以外に選択肢がないことも事実なのである。
または、担任本人が命をかけて自己研鑽にはげみ、確固たる覚悟をもって自分を成長させていくかの方法しかない。

saitani
この記事についてブログを書く
« 研究と修養 | トップ | かすいち1 »

学級経営」カテゴリの最新記事