飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

人を嫌うのは一向に構わない

2024年07月23日 11時05分30秒 | 学級経営
以前の学級経営は子どもたちとの信頼関係に基づいて行われてきた。
互いに信頼関係とは、ある程度価値観を共にして、世の中のマナーと言われているものは指導しなくても分かっているということ。
本来家庭で指導すべきことは家庭で指導され、もし不十分さに気づいたら、その時点で再度家庭が責任をもって指導する。
指導する側の教師に素直に従い、過ちを自ら訂正する素直さをもっている。
こんな事が前提となって、学級経営を問題があっても適切に処理されてきた。
しかし、この前提がゆるいでいる。
子どもたちは、教師の指導も一大人の指導としか考えない。
自己保身にばかりはしり、自己を見つめて律しようとはしない。
義務よりも権利を優先して、気味と権利は一体であることを理解しない。
そして、何よりも「自分がされていやなことは人にもしない」という言い方が通じなくなっている。
「そんな言い方したら自分だっていやだよね。」
と言っても、以前なら
「そう思います。次からは言わないようにします。」
という感じに前向きに解決できた。
しかし、現在は、
「俺はそんな言い方されてもぜんぜんへいき。
 嫌じゃない。
 みんなもそうだよな。」
なんて言い方をする。
だから、
「相手がいやがることはしない。」と言わないと通じないのである。

いじめ問題も同じで、どんなにいじめの悲惨や非人間的な行為であることを訴えても、納得できない子が増えている。
共感する気持ちが薄れているのである。

だから自分はこんな風によく言っていた。

人を嫌うのは一向に構わないですが、「嫌いだから傷つけてもいい」
この論理は間違っています。
そんなに相手のことがきらいなのであれば、
「自分から手を出さないこと」
「相手の悪口を言わないこと」
「嫌いならひとりで嫌うこと」
この三つのことを徹底して距離を置けばいいだけです。

saitani

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