飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

研究と修養

2019年10月22日 11時28分38秒 | 教師論
教員の世界では一般的に言われている研修。
これは、研究と修養があわさってできた言葉だ。
この研修が、教員には課せられている
それは、教師という立場は、人が人を指導するという神にも似た行いをするからだ。
どんな人間でも同じだが、謙虚さをうしなったら進歩は止まる。
進歩がない教師は子どもたちの前に立つ資格はない。
今現在、教壇に立つ教師でこの謙虚さと自覚をもった人がどれだけいるのだろうか。

「教師は、持ち前の知識でその日その日を過ごすことのできる危険な職業です」大村はま氏

まさに、現状をいいえている。
子供相手である、なんとかごまかそうとするればできてしまうことが怖い。

研究を他者改善とすれば、修養は自己改善である。
他者改善の場は、義務付けられているので誰でも一定の水準はクリアしているかもしれないが、自己改善の部分はどうであろう。
サラリーマンでも年収の5%を書籍代に費やしている。
知識を生業とする教師ならば、専門誌の2,3冊は絵定期購読して当たり前である。
本を借りて読むという志の低いことはないだろうか。

身銭を切って、研修会にでかけているか。
本当の教育実践を語り合える仲間がいるか。
そう考えてみると現実は非常に厳しい。

良い授業をすることがすべての教育課題や問題の唯一の解決策であることを今一度肝に命じる必要がある。

saitani

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