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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

還暦以降の健康ライフ

2013年07月11日 05時18分59秒 | Weblog



わたし、昨年還暦を迎えて、
やはりご多分に漏れず、常日頃、健康に敏感になっております。
高校同期の友人たちと話すときも、
健康問題は、いまや枕詞。まるで病気自慢大会であります。

夏には同期会を毎年開催してきているのですが、
その同日開催の「ゴルフ会」の幹事役をしていまして、
友人たちと連絡を取り合っているワケなのですが、
実にみんなさまざまな病気を抱えながら、生きている様が伝わってくる。
アキレス腱の不調から、その治療のための薬が合わなかったとか、
昔の古傷が悪化して、不眠症・耳鳴りに半生以上悩まされてきたとか、
最近だと、敗に水が溜まったとか、
実に多種多様な健康問題を抱えながら、元気に(笑)、暮らしております。
そういうなかでは健康な部類に入るわたしですが、
やはりいろいろ出て詣りました。
健康診断の度に、コレステロール云々の指摘があったり、
肥満気味から来る問題点などから、ダイエットは必須のようで
最近はカミさんからの指南を受けて、炭水化物の抑制に取り組んでいました。
まぁその程度のことなので、それほどのことではないのですが、
ここ2週間ほど前から、左手指先にしびれとまではいかない「違和感」があり、
少し拡大してきたので、今週、脳神経外科でMRIを使った診察を受けました。
一番最悪のケースを想定して、そこから看てもらったのです。
結果は、脳には異常はまったく見られない、ごく健康ということ。
で、気になるようなら整形外科受診をと、ススメられまして、
こちらで受診したところ、案の定、「頸部椎間板ヘルニア」という
立派な病名を頂戴いたしました。
ということで、毎日病院に通って、
首から上を機械で持ち上げるような、
外から見ていると若干情けないような治療を受けています。
医者からは「3週間程度で効果は出ると思います」というご託宣。
きっと軽微な段階なのだろうと思うのですが、
病院のシステムもなかなか合理的で、運営を見ていて気持ちもいいので、
結構な患者数のようなのに、時間的にもほとんど待ち時間もない。
病院というところは、とにかく待たされるのが困るのですが、
そういった部分の進化を見せている病院もあるのですね。
まぁ、そういう経営分析というか、参考にもなるシステム構築ぶりの
見学という訪問動機もあって、元気に(笑)通っております。
いまのところ、まだ3日ですが顕著な効能は実感しませんが、
3週間ということなので、出張以外の時間にせっせと治療に努めたいと思います。
友人たちとはまるでレベルの違う病気ですが、
あんまり張り合うことなく(笑)、
なるべく目立たぬように、粛々と治療に励みたいものです。



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江戸の爛熟文化、経済・政治

2013年07月10日 07時03分11秒 | Weblog



先日のアメリカ人コレクター展覧会で見た浮世絵です。
遊郭でもスター的存在の女性を描いた、
江戸期の一種の「ブロマイド」的に流通していたものでしょう。
和服というのは、わたし、あんまり歴史を知らないのですが、
こんなようにはだけて、露出度の高い挑発的な着方を編み出したのは
たぶん、人間の本能的な部分からのものでしょう。
胸元や首筋、うなじを大きく露出させて、男性の興味を惹き付ける工夫ですが、
こういった嗜好性が、江戸のファッションのある部分も表したのだと思います。

江戸という消費都市が人口100万を超えるような規模で発展し、
そのなかで一種の大衆社会化状況が発生して
「宵越しの銭は持たない」というような消費礼賛の気風が生まれた。
もともと地生的な都市ではなく、計画都市として建設された江戸では
各地からの流入がその人口構成の基本にあって、
それまでのムラ社会を基本とした社会システム常識とは違う文化が勃興した。
定住性の薄い大都市なので、風俗産業も盛況を究めた。
こういった新興大都市社会の治安を維持していくという経験は、
それまでの日本の権力システムの中に知的経験値はなかったでしょうね。
とくに消費礼賛の気風については、
それをどう扱っていけばいいのか、結論がなかったに違いない。
歌舞伎が女性の出雲の阿国さんによって創始されたのに
江戸期には権力側から、女性を舞台に上げてはいけないというように
おふれが出されて、やむなく男性が女性を演ずるような倒錯文化も生み出した。
そのような文化の点ではそういう強硬路線も可能だったけれど、
やはり「消費礼賛」的な経済構造は扱いきれなかった。
というか、そもそも江戸幕府権力は国内的武力戦争の勝利者ではあっても、
本質的に、経済運営という難題を解決しうる権力ではなかった。
結果、農本主義的な教条主義路線・財政の破綻の修正策が
倹約令というようなかたちで繰り返されていた。
やはり経済の問題というのは、
それをコントロールするということはきわめて難しいのだと思いますね。
しかし今日では、そのことが一番大きな問題だと思います。
権力の交代が民意によって決まる民主主義になっているのですから、
こういう経済運営からの逃避は許されない。
けれど政治権力の争奪戦において、経済運営くらい論議の難しいものもない。
自民党は経済のことを一番訴求してきているけれど、
対する野党のなかに対案をもって対抗できそうな政党は見いだしにくい。
とくに民主党には、自民党との違いがまったく見えない。
そもそも自分たちの無力さを権力にいる間中、満天下にさらけ出し続けていた。
まだしも自民党の方が、意識的に経済問題と向き合おうという意志は感じる。
民主党の失敗を徹底的にあぶり出す上で、
経済問題での閉塞状況をクローズアップさせたのは,正解でしょうね。

しかし、成熟した現代世界での民主主義国家なのだから、
経済運営の方法論議を、国民にわかりやすく選択させるような政治側からの努力は
絶対に必要なのではないかと思っています。
宗教や教条主義はやめてもらって、現実的な経済問題についての
論議の基盤を構築していく必要がある。
あ、どうも写真と文章が乖離していますね、申し訳ありませんでした(笑)。

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断熱の威力

2013年07月09日 04時33分53秒 | Weblog


ここのところ暑い日が続いていますね。
昨日は札幌も31℃ということで、本州地域並みの暑さになっています。
北海道の暑さは、陽射しの強さが肌に突き刺さってくるような暑さだと思います。
本州地区では日射の強さももちろんですが、
湿度が高いので、温度と湿度の両方から汗の乾く暇のない暑さが襲ってくる感じ。
一方、北海道、とくに札幌がそうだと思うのですが、
カラッとした空気に、日射が直接肌を攻撃させる効果があるように感じます。
たぶん、日射遮蔽が本州地区以上に効果的なのではないかと思います。

なんですが、まぁかなり暑い。
ところが、わが家、建ててから22年が経過していますが、
建物本体がブロック造で気密性と蓄熱性が高い上に
外断熱という建物であります。で、日射をほぼ遮っている1階では
ご覧のような温湿度環境で、ずっと安定しております。
温度で23℃、湿度は55%くらいでしょうか。
夏でも冬でも、ほぼ同じくらいの環境を保っています。
熱と日射があふれかえっている屋外から一歩、わが家に入ると
カラダが一気にクールダウンする。
あ、もちろん、エアコンなどは使っておりません。
夜寝るときも、年中同じ羽毛布団を使っています。
というか、これくらいの温度環境だと、
布団をしっかりかぶらないと、やや寒さを感じる。
寝苦しさとか、汗がじっとりとわき出すような感じは
もちろんしばらく経験していません。
こういった環境に慣れると、そうではなかったことを
忘れて行ってしまうのですが、
やはり快適であることは、改めて実感させられる次第。
人間の「ここちよさ」は、科学することが大切。
科学を抜きにして、精神論を振り回すような愚は避けたいものです。

夏は灼熱地獄、冬は体温をひたすら奪っていく
コンクリート打ち放しの「生きていくことが戦いの場」のような住宅を
みてくれが素晴らしいと礼賛するような愚かしさから
ニッポンは、もうそろそろ脱却したいものだと思いますね。


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ちゃぶ台の記憶

2013年07月08日 10時34分54秒 | Weblog



写真は、沖縄の民家でふと目に焼き付いた光景。
ちゃぶ台が、なにげなく置かれている空間ですが、
記憶として立ち上ってくるのは、幼い頃の家族関係のぬくもりです。
現代では、よほど物好きな建て主でない限り、
このような「ダイニング」を思い描く人は少ないでしょうね。
ただ、人間は記憶の中から「豊かな空間」という思いを脳裏に描いて、
それを「注文住宅」として表出させるべく設計するけれど、
そこで描かれているのは、どうも後の本来的な意味での
「その人が持っている豊かさのイメージ」とは限らないのかも知れない。
いやむしろ、既成のイメージ写真などの表現力に同調してしまって
本来の「自分自身の豊かさ」という見方が出来なくなっているかも知れない。
わたしは、自分自身の家を頼んだときに
やはりこういった丸テーブルを囲む家族イメージが強くて
座りはしなかったけれど、そういうイメージにして貰いました。
そんな「豊かな家族の記憶」のようなもの、
それを自分自身で再度作り上げるのが、家づくりであり、
そういう場を主体的に作って、人生も創造していくのが
本来的な意味での「注文住宅」というものの醍醐味なのではないか。
注文住宅というのは、そういった主体的な決断の
人生に、そうたくさんはないかもしれない機会なのだと思います。
もちろん、そうしたからと言って、
それがそのひとの「幸せ」に繋がるのかどうかはわからない。
けれど、そのときにじっくりと考えて選び取った結論は、
それを大事にして生きていくしかない。
家づくりの時に、いろいろ決めたことって、
そのあとの人生にかなり大きなウェートを占めてくる。

ぜひそういった決断の機会を
楽しみながら、家づくりを進めていって欲しいものだと思います。

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ガード下焼き鳥屋文化

2013年07月07日 06時55分59秒 | Weblog



東京に行くと、どうしても心惹かれるのが
有楽町や新橋界隈のサラリーマン文化を象徴するような「焼き鳥屋」街。
串焼きの肉料理というのは、世界中、どこでも普遍的に存在はするでしょうが
その「付け合わせ」に、「会社の愚痴」が入っていることで、
日本の「文化」に昇華しているのではないかと思っています。
大体、こんな写真のような雰囲気でして、
店舗脇に積み上げられたビールケースの
主な使用途は、ビール収納ではなく即席椅子なんですね。
客が混み合ってくると、遠慮なく道路にビールケース客席が進出し、
店舗面積が拡張していく。
日本人らしい「融通無碍」さが全面展開している様は、
毎日お祭り騒ぎが行われているようで、エネルギーが充満している。
この界隈には会社事務所が集中し、
すぐ電車に乗って家に帰られる安堵感と、
会社のきつい仕事の疲れをいっとき癒したいという気分が
焼き鳥のうまそうな煙がたちのぼって充満する。
で、会社帰りなので、
日本的生産手段直結の会社=家意識の中で
上司への悪口罵詈雑言が徐々に飛び出すようになると、
独特の「日本的会社社会・愚痴のはけ口」文化が全面展開するのですね。

日本人(男性)はずっと歴史的に、生産手段共同体内部での生き方が
DNAに刷り込まれてきていると思います。
で、そういったなかでの「愚痴のはけ口」というものは、
きわめて有効に働いてきた。
ムラ社会では、共有空間としての神社や寺社境内空間が
そういった役割を果たしたに違いなく、
その「祭り」は、愚痴を昇華させる最大機会だったに違いない。
こうした焼き鳥屋空間を見ていると、
そのような「百姓一揆」的な,アジール的な雰囲気を醸し出している。
どうしてこんな光景に強く惹かれる自分がいるのか、
不思議になるほど、こういう空間が大好きであります。

ことし、富士山が世界遺産に登録されましたが、
であれば、月見草は、こういう猥雑性がたっぷりとこもった場所こそが、
次の日本文化の「世界遺産候補」にふさわしいのではないか。
そんな妄想に駆られ続けております(笑)。

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護国寺の湧水利用・自噴式手洗水盤

2013年07月06日 05時11分43秒 | Weblog



今回の東京出張では、池袋に宿泊。
池袋って、周辺緑地というのがあんまり想定できない。
散歩のコースを考えるとき、みなさんはどうなんでしょうか?
ほかの都心地域では、大体どこか緑地なり、
水辺の場所など、想起されるけれど、池袋はあんまり思い浮かばない。
で、ようやくにして思い起こしたのが
「護国寺」であります。
池袋からは、地下鉄有楽町線で2駅ほどある。
ちょっと散歩コースとしては遠いので
行きは地下鉄に乗って、帰りは徒歩で歩くとちょうどいいかなと思って
行ってみることに致しました。

ホテルから駅の地下鉄ホームまでもそこそこ1kmくらいは歩くので
まぁまぁ、いい運動であります。
護国寺というのは、江戸幕府5代将軍・綱吉の生母が発願して建立した寺。
宗派は真言宗でして、わが家の宗旨でもあります。
真言宗というのは現世利益的な部分が強いので
権力側の人間が比較的に選択してきた宗派であります。
天皇家も、宗教上の免許皆伝のような「灌頂」を受けた歴史があります。
宗祖・弘法大師が、権力層に強い影響力を持っていたのは、
密教を日本にもたらしたことが大きく、
その「秘めやかな荘厳性」が、権力者の「自分だけが涅槃に至りたい」という
願望を満たす側面があったのではないかと思っています。
わが家がこの宗旨であることは、たまたま江戸期の宗門改のときの選択であって、
こういった事情とはまったく無関係ではあるようですが(笑)。
同じ宗旨なので、川崎大師にも詣ったし、
そういった親近感もあった次第であります。
写真は、その参道にある水盤であります。
縁起書きを見てみると、

「水盤は唐銅蓮葉形手洗水盤一対二基で、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されたものです。元禄十年(1697)頃に鋳造、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の製作とされています。手水舎は、江戸時代後期の「江戸名所図会」にも描かれていて、江戸元禄期から明治大正期には境内の湧水を利用する珍しい自噴式の手洗水盤でした。」

ということであります。
湧水利用というのは素晴らしい自然エネルギー利用。
この美しい蓮の形状の水盤からあふれ出る水の下に手を伸ばして
その落水で手洗いしたのでしょう。
なかなか、知恵豊かな装置だと感心させられます。
江戸期の名所になっていた大きな理由なのでしょうね。

というようなことで、厳かな気分になったのですが、
さて帰り道がなかなか大変になってしまいまして、
池袋駅周辺で、道に迷ってしまいました。
iPhoneで道案内させていたのですが、
どうも鉄道を渡る地下歩道が、GoogleMapでは道として選択できないのですね。
おいおいであります。
駅を大回りする道を教えられるばかりなので、
最後には道案内を放棄して、けものの勘を頼りにして帰着しました。
早朝散歩時間、まぁ護国寺で朝の行にも飛び入り参加もしたのですが、
総トータル時間は2時間ほどかかってしまいました。
東京は,本当に良く歩かされる街であります。ふ~~~。


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俵屋宗達さん絵画の魅力

2013年07月05日 14時25分06秒 | Weblog



東京でのオフ時間に江戸東京博物館に見学に。
ちょうど明治初年に来日して、日本絵画を収集したというアメリカ人の
コレクション展があって、興味深く鑑賞いたしました。
で、会場のいちばん初めのところに掛けられていた掛け軸絵画がこれです。

なんか面白い虎の絵だなぁと近づいてみてびっくり。
これは俵屋宗達なんですね。
わたしは、密かに俵屋宗達さんこそが日本人の感受性のマザーなのではないかとまで
心酔させられているので、
ある日偶然に、ずっと思い続けてきた初恋の人に会ったような気分。
どうして虎さんがこんなにユーモラスな描かれ方をするものか、
突然、雷に打たれたような気分になりました。
絵の雰囲気からすると、
やはり「風神雷神図」の描かれ方と共通するような
なんともあたたかい人間性を感じさせてくれます。
ユーモラスなカラダの描き方と、目には力が感じられる。
風神の表情と非常に似た感じが迫ってきます。

俵屋宗達さんという人は
まだ生没年にもはっきりとした確証がないのだそうです。
京都に暮らした「俵屋」という扇子屋さんだったのでうはないかとされますが、
同時代の京都での文化人のなかでも枢要な人物ではあったようです。
「法橋」という、芸術家に与えられる朝廷からの称号を持っているので
当代一流の文化人であったことは間違いがない。
しかし、後の尾形光琳のような一派を率いるというような
流派の祖、というような人物ではなかったのかも知れません。
そうであるにもかかわらず、
京都の禅宗寺院・建仁寺に残された「風神雷神図屏風」が
尾形光琳に強い影響を与え、それを模写するという行為に走らせた。
一時期までは、光琳の代表作としてこの作品は広く知られていたほどですが、
それが,マザーは俵屋宗達さんだったことがわかって、
時代を超えた光琳の私淑ぶりが伝わるようになった。
やはり、芸術家のインスピレーションにおいて、強烈なインパクトを持ったこと。
その後の「琳派」の芸術活動が「日本人であること」の本質に迫っていったことも
考えていくと、
この俵屋宗達さんという芸術の才能の大きさに圧倒されます。
ともあれ、初めて見た作品に興奮を抑えられませんでした。

<写真は図録からの写真の一部画面です>
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東京国際ブックフェア2013

2013年07月04日 06時15分03秒 | Weblog


きのうは東京ビッグサイトで開催の表題イベントに参加。
ただし、その後の予定が詰まっていて、
駆け足の会場巡りになってしまいました。
基調講演で、角川書店の角川歴彦会長さんが講演されると言うことで
それを聞いてから、目星のつけたピンポイントを見てきました。
角川さんの講演では以下のようなお話しが展開していました。
日本の出版界は、13年間継続している右肩下がりの状況の中にあります。
あきらかにインターネットによる情報化社会の中で
舵取りの方向性を打ち出せないまま、
IT企業によるデジタル革命に飲み込まれつつあることを表している。
そのIT企業についても、Google、Amazon、Apple、Facebookといった
「4強」というように表現されていて、
日本の出版界の危機感を際だたせていました。
そういった「デジタル革命」への対抗意識に燃えて
角川さん・講談社さん・紀伊國屋書店さんが
一同に壇上に上がって、結束をはじめるというように宣言されていました。
いわゆる「業界的」にはニュースなのかも知れないけれど、
さて、一般消費者にはどのようにこのことが伝わるのか、
疑問も感じました。

そもそも、わたしどものような新規弱小地方出版から見ると、
日本の既存出版システムは、
守るべきものであると言うようには必ずしも受け取れない部分があるのです。
これまで戦後70年間続いてきた「既得権益構造」の側からは
「たいへんすばらしい既得権益の蜜の園」だったようです。
既成大手出版社+流通事業者+全国書店という
鉄のトライアングルからすると、
この構造は非常に魅力的な「既得権益まみれ」のマーケット構造であり、
そこに魅力に満ちたコンテンツさえ流し込めば、
経営的安定性を得られる事業環境だったと言うこと。
日本の出版社業界くらい安定した事業環境はないのは事実として明確です。
戦後一貫して、小学館・講談社・集英社などなど、
「大手出版社」というヒエラルキーが固定化されてきている。
そういった構造を維持するための装置になっていて、
たとえユーザーから、その固定化について異議申し立てがあっても、
事実としては、押しつぶしてきたのが実体なのではないかと思われます。
というよりも、そういったガラパゴス的な環境に慣れて
上手に対応するだけで、ほとんど「競争」という概念がなかった。
そういった意味では、
IT事業者による業界破壊もまた、やむを得ない部分なのかも知れない。

そんなような雑感を感じながら
壇上でお話しされているみなさんの姿を追っていた次第です。



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茅輪~ちのわ~くぐり

2013年07月03日 04時46分26秒 | Weblog



きのうから東京に来ておりますが、
なんでも札幌の方が暑かったと言うことだそうではありますが、
避暑にやってきた、というわけではありません(笑)。

その前日、7月1日、いつものように北海道神宮に朝、お参りしていたら、
なにやら門の前で多くの人がぐるぐると、なんべんも回っている。
いつもの静寂はありません。
なにごとかと思って見てみたら、表題のようなことなんだそうです。
萱には古来、病疫を祓うという言い伝えがあり、
その輪をくぐることで、健康長寿の験があるのだという神事なのだそうです。
そういわれると素直に信じて、多くの善男善女がくぐっておりまして
もちろん、そういうことにはきわめて素直なわたしも、
言われた作法通り、くぐっておきました。
これでことし後半分、健康で過ごせると思うと、さわやかな気分であります。
神社というのは、
いろいろなことを考えて、ひとびとの参詣を促すのがビジネス。
まことにご同慶の至りであります。

さて、きのうは東京都内で数カ所を訪問しておりました。
久しぶりにはじめて訪問する会社もあって、
昔の広告営業マン時代を若干、思い起こしました。
まぁ、ふだん札幌ではクルマで移動しているのですが、
一応、面倒ながらもブレザーくらいは着るので
やや年齢を感じ始めているわが身には
だいたいが歩きの東京での移動は、この時期、なかなか大変です。
そういうなか、いつの時代にも、営業マンさんたち、みなさん頑張っている。
ある訪問先で待っていると、そんな頑張っている営業マン氏を発見。
まことに誠意をみなぎらせた風情がこちらにも伝わってくる。
要件を終えて、最寄りの渋谷駅までと思っていたら、
帰りも同じ時間になったので、話しかけたら同道もしてくれて、
「あ、こっちです。あ、電車はこっちの方が便利ですよ」
などと、初対面なのに親切に道案内もしてくれました。
いやぁ、若さはすばらしいなぁと思わされました。
これから東京での営業マンは厳しい季節になりますが、
その分、仕事が終わったら、楽しくビヤガーデンなどもいい。
昼間の汗が、一気にクールダウンしていくのど越しはたまらない。
なにごとも人生の大切な1ページだと思いますね。
こちらも、茅輪~ちのわ~くぐりで、神さまも付いてくれている(笑)。
健康にはまだ、自信もあるので頑張りたいと思います。

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竹の家

2013年07月02日 05時24分12秒 | Weblog



沖縄では、あまりふんだんには木材は採取できない。
本土のように、高い山もないので、針葉樹が生育していない。
今回取材してみて、改めて沖縄のこういった特異性を思い知った。
冬という明確な季節区分がないので、
「年輪」が形成されず、
樹齢というものの価値尺度がないのだという。
そんなことから、建築材料には昔から、琉球石灰石を加工成形した
ブロックがよく使われたりしている。
沖縄本島でもこうした状況なので、
離島地域ではもっと木材資源が少ない。
そんなことから、それ以外の建築材料を使うことになる。

竹という素材は、
東アジアモンスーン気候地域に普遍的に存在するそうで、
おおむねイネの分布地域と重なるのだそうです。
ただし、北海道ではほぼ自生していることはない。
本州地域ではこれを使って壁の塗り壁下地を作りますが、
沖縄では、伝統的家屋でこのようにまったく建材そのものとして利用される。
まさに蒸暑地域らしい素材だと思います。
屋根には厚く断熱性の高い萱などを葺いて
その下は、希少な木材で構造を造作してから、
床壁天井を竹で編むように作っている。
屋根で太陽日射を出来るだけ遮り、
その下では、通風を最優先にして造作している。
実際にこのなかにたたずむと、外気温対比でマイナス3℃くらいの
涼感が感じられます。
たぶん、屋根の断熱が効いているのも大きい。
こういった住宅は何回か見ているのですが、
居住性はほんとうによく考えられているなぁと感じます。
仕掛けられた「自然温度差」が、空気の流動を促しているに違いなく、
室内では、床下地面からの気化熱による蒸散を感じます。
エスニックな住まいは、自然の摂理を謙虚に利用させていただいている感じが
たまらなく心地よいと思えます。
住宅性能、考えているのは、むしろ、伝統的な住まいであったりしますね。

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