三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

護国寺の湧水利用・自噴式手洗水盤

2013年07月06日 05時11分43秒 | Weblog



今回の東京出張では、池袋に宿泊。
池袋って、周辺緑地というのがあんまり想定できない。
散歩のコースを考えるとき、みなさんはどうなんでしょうか?
ほかの都心地域では、大体どこか緑地なり、
水辺の場所など、想起されるけれど、池袋はあんまり思い浮かばない。
で、ようやくにして思い起こしたのが
「護国寺」であります。
池袋からは、地下鉄有楽町線で2駅ほどある。
ちょっと散歩コースとしては遠いので
行きは地下鉄に乗って、帰りは徒歩で歩くとちょうどいいかなと思って
行ってみることに致しました。

ホテルから駅の地下鉄ホームまでもそこそこ1kmくらいは歩くので
まぁまぁ、いい運動であります。
護国寺というのは、江戸幕府5代将軍・綱吉の生母が発願して建立した寺。
宗派は真言宗でして、わが家の宗旨でもあります。
真言宗というのは現世利益的な部分が強いので
権力側の人間が比較的に選択してきた宗派であります。
天皇家も、宗教上の免許皆伝のような「灌頂」を受けた歴史があります。
宗祖・弘法大師が、権力層に強い影響力を持っていたのは、
密教を日本にもたらしたことが大きく、
その「秘めやかな荘厳性」が、権力者の「自分だけが涅槃に至りたい」という
願望を満たす側面があったのではないかと思っています。
わが家がこの宗旨であることは、たまたま江戸期の宗門改のときの選択であって、
こういった事情とはまったく無関係ではあるようですが(笑)。
同じ宗旨なので、川崎大師にも詣ったし、
そういった親近感もあった次第であります。
写真は、その参道にある水盤であります。
縁起書きを見てみると、

「水盤は唐銅蓮葉形手洗水盤一対二基で、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されたものです。元禄十年(1697)頃に鋳造、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の製作とされています。手水舎は、江戸時代後期の「江戸名所図会」にも描かれていて、江戸元禄期から明治大正期には境内の湧水を利用する珍しい自噴式の手洗水盤でした。」

ということであります。
湧水利用というのは素晴らしい自然エネルギー利用。
この美しい蓮の形状の水盤からあふれ出る水の下に手を伸ばして
その落水で手洗いしたのでしょう。
なかなか、知恵豊かな装置だと感心させられます。
江戸期の名所になっていた大きな理由なのでしょうね。

というようなことで、厳かな気分になったのですが、
さて帰り道がなかなか大変になってしまいまして、
池袋駅周辺で、道に迷ってしまいました。
iPhoneで道案内させていたのですが、
どうも鉄道を渡る地下歩道が、GoogleMapでは道として選択できないのですね。
おいおいであります。
駅を大回りする道を教えられるばかりなので、
最後には道案内を放棄して、けものの勘を頼りにして帰着しました。
早朝散歩時間、まぁ護国寺で朝の行にも飛び入り参加もしたのですが、
総トータル時間は2時間ほどかかってしまいました。
東京は,本当に良く歩かされる街であります。ふ~~~。


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