三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

北海道下川町エコハウス

2013年07月21日 05時33分51秒 | Weblog


環境省の肝煎りで全国に計画し建設された20箇所の「エコハウス」。
東大の前真之先生から、その実態についての本も出版されましたが、
タイトルは「エコハウスのウソ」。
かなり痛烈に、大開口と吹き抜けといった
「エコハウスと言えば、これだよ」的なデザインへの警告がなされていましたね。
北海道東北の4事例以外は知らないのですが、
断熱への理解がなくそういったデザインを持ち込めば、
夏は灼熱地獄、冬は寒くていられない空間になることは理の当然。
その意味では指摘は至極当然だと思うのですが、
それを寒冷地の人間が指摘しても、無視される。
東大の先生がそれを正しく指摘したから、説得力が違うのだと思います。
まことにその通りなんですが、
前述の通り、北海道東北の事例にはさすがにそういった指摘はあてはまらない。
近くにいるのに、なかなか来られなかった下川町のこの建物を見て、
そのように実感いたしました。

下川町は、北海道の北部に位置します。
旭川からさらに北上した名寄市から東に約20kmほど。
さすがに札幌からも遠いので、建設されてからかなり、3年くらいは経ちますが、
一度も訪ねられませんでした。
というか、わたしは下川町ははじめての訪問であります。
街の活性化について、たいへん熱心に取り組んできていることは聞き及んでいます。
環境省のエコハウス事業にも早くから目標を定めて取り組んで
多くのライバル自治体を制して,北海道の2箇所のひとつを占めました。
北海道のエコハウス事業では、日本建築家協会北海道支部が
プロポーザルのアドバイザー的な役割を果たし、
この下川町のエコハウス選定に当たりました。
という次第なんですが、そういった経緯は事前にいろいろ情報も入っていたのですが、
どうも「環境省によるエコハウス事業」というのが
なぜか、ピンと来なかったのです。
選定して建設するのはいいけれど、そのあと、どういう展開になるのか、
単なる事業費1億円(案件1件あたり)の
バラマキに終わるのではないかという危惧を感じていたのです。
そこに、先述の前真之先生の本が出版されて、
危惧が現実化してしまったように思っていたワケです。

というような先入観念があったのですが、
この下川町のエコハウスは、建築自体も堅牢な高断熱高気密ぶりでいいのですが、
それよりも、隣接して町の温泉施設が建設されていて
そちらは鉱泉ながら、バイオマス燃料による加温、
そして珍しい炭酸成分が含まれているということで話題にもなっている施設なのです。
そういうことなので、維持管理もうまく組み合わされていて
町からもかなり離れているにもかかわらず、
通年で、けっこうな利用者がいるようなのです。
わたしが行ってきた先週も、大人数の宿泊があったようで、
管理の方にお願いしたところ、
「宿泊の後片付けは、まだ出来ていませんよ・・・」ということでした。
利用されているのは、まことに喜ばしい。
年末12月はじめには、わたしもあるご一行に同行して宿泊するかも知れません。
建物自体は、まことにステキで、なかなかいい。
前真之先生の書かれたように、大開口と吹き抜けではありますが、
高断熱高気密の建物では、むしろ好ましいと思いました。
やはり北の森の様子が室内に飛び込んでくるここちよさは格別でした。

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Replan東北vol.41 発売!

2013年07月20日 04時56分03秒 | Weblog


さて本日は、Replan東北最新号のご案内です。
本誌は東北の地元の家づくりの現在を伝える地域住宅雑誌ですが、
高いデザイン性、質の高い空間性を訴求し、ユーザーと作り手のみなさんの
「もっといい家を」という願いが実現した実例にあふれています。
おかげさまで、こうした本作りのポリシーが浸透してきて
多くの反響が寄せられてきています。
「いい性能、いいデザイン」
東北の住まいのいまとこれからを探求する住宅雑誌、Replan東北。
きっとあなたのステキな家づくりの夢が膨らみ,実現していきます。
ぜひご愛読ください。

【特集】小さい土地、小さい家
「小さな」土地に建つ家と、延床面積が「小さな」家。
小さいからこそ、さまざまな工夫が施されていたり、それが暮らしの豊かさにつながっていたり。空間を巧みに生かした建築家住宅をご紹介します。

小さい土地/豊田設計事務所、a.m.a design建築設計事務所、エム・アンド・オー
小さい家/サルワタリ・アトリエ、SPAZIO建築設計事務所、北海道建築工房

Contents
●特集/小さい土地、小さい家
●省エネ住宅特集 宮城編
●くらしの演出家たち 1
●住まいの燃費を考えるー「太陽光発電」と「見える化」のこれからー
●リプラン主婦隊が行く!
●リフォーム特集
●モデルハウス探訪
●NPO住宅110番とReplan北海道が被災地の子どもたちに贈る100のメッセージ
 Replan北海道100人スマイルプロジェクト
  贈呈式レポート
●NPO 住宅 110番
●TOHOKU ARCHITECT
 秋田県「アトリエ付きの小住宅」花田 順 花田 直子
 宮城県「MEGURIYA~廻家~」 徃見 寿喜
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イギリスでの住宅性能へのアプローチ

2013年07月19日 07時13分22秒 | Weblog



一昨日のイギリスロンドン在住の女性建築家・末武さんの講演スナップ。
国による違いが伝わってくる部分と
どんな国でも同じようなひとびとの反応があって面白い部分と
両方が感じられてたいへん勉強になりました。
イギリスというと、ほとんど木造はなく
ひたすら石造りの家のイメージがありましたが、
やはり木の家への思いというのが広がっているそうです。
イギリスでは、伝統的な石造りの家というのは、
ちょうど日本での土塗り壁の家に相当しているようです。
同じようなことはドイツでも起きていると聞いていますから、
ヨーロッパでは、炭酸ガスを封じ込める木の家への
憧憬が、エコロジー思想と共に盛んになって来ているように感じます。
ドイツの環境建築志向の方たちが日本から
「環境先進国ドイツ」というように紹介されることにとまどって、
「いや、わたしたちは、日本の大型木造建築のサスティナビリティへの
尊敬の気持ちからスタートしているのです」と
発言されるそうですが、
木造への思いという意味では、日本は世界からそのように見られていることを
把握しておく必要があるのだと思います。

写真は不鮮明なのですが、
(やっぱりiPhone写真では限界がありますね、反省)
1980年と2010年でのイギリス住宅の熱損失部位特性を表したもの。
部位毎に熱損失の割合を表現しています。
なるほど、このようなアプローチで
住宅性能をユーザーに啓蒙しているのかと理解出来ました。
こうした手法は、新住協での鎌田紀彦先生の講演でも目にする機会があり、
どこでも同じようなアプローチで、ユーザー説得にあたるのだなと
ほほえましく感じられました。
講演後、末武さんにポスト&ビーム工法は日本の在来工法と似ているから
日本の木造の高断熱高気密手法が有効なのではないかと
お話ししましたが、そもそも大工さん自体、
木造そのものになれていない中で、高断熱高気密住宅工法を伝える困難があるようです。
案の定、そういったプロ向けの「講習会」なども開かれていて
建築技術開発そのものも、同時並行的に取り組まなければならない。
まことに、北海道の経験知そのものが、
かなり遅れたプロセスで展開している様子がわかりました。
しかし、関東以南地域では、
こういった外国の状況と大同小異なワケで、
情報刺激としてはたいへん有効かも知れないと思いました。
また、同時に日本の高断熱高気密住宅技術は
海外でもニーズはありそうだという気がします。
「あたたかく伝統的な日本の木の家」というイメージは
かなりインターナショナルな訴求力を持っている可能性がある。
そんな妄想も抱きながら、講演を聴いていました。
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国際パッシブハウスセミナー

2013年07月18日 05時32分44秒 | Weblog



「外断熱推進会議」という東京で活動するNPO団体があります。
もともとはマンションの外断熱化を推進する活動を中心に
北海道発祥の技術の波及に勤めてきた団体です。
幾人かの知人から、今回も案内を受けて取材に伺いました。
「国際」と名付けられているように、
イギリス・アメリカ・ドイツという3カ国で活動されている
女性の建築家、研究者を中心にセミナーを開催。
とくにイギリス・アメリカで、住宅建築に携わっている女性建築家2人のお話しは
たいへんわかりやすく、興味深いものでした。
ドイツのパッシブハウスがひとつの基準になって、
それぞれに国の事情がからんでの様子のお話しなんですが、万国共通の部分があって
エピソードは、微笑ましい部分も多い。
イギリスロンドン在住の建築家・末武さんの発表では、
盛んに「木造軸組」という言葉が出されていて、ちょっとびっくり。
で、発表後お話を伺うと、ポスト&ビーム工法のことで、
日本の軸組構造に大変似ているのですが、
北海道の木造住宅の「気密化」が困難だったと同様に、
さまざまな困難に直面しているようです。
彼の地では、一般的には古い石造りの住宅が多く、
断熱材が施されていないけれど、
若い年代の人たちを含めて、このような「イギリス在来工法」への愛着が強く
高断熱高気密化への説得が難しい、という状況説明がありました。
ドイツのパッシブハウス基準への対応はやや屈折した心理状況にあると
推察されました。
一方、アメリカボストン在住の岡田さんからは、
日本の気候区分以上に多様なアメリカの南北間の違いが明瞭に語られました。
北の方では、ドイツ基準でまったく問題ないけれど、
南の方では、蒸暑の気候、やはり湿度コントロールが不可欠な状況が
大変わかりやすく伝わってきました。
そんな状況から、Wufi-Passiveという独自基準が出てきて
大きな流れが出てきているようです。
しかしアメリカ在来の住宅性能の状況は、イギリスと大同小異のようで、
なにやら、日本の住宅性能の状況とよく似ているとも言えましょう。
さらに京都工芸繊維大学の芝池先生から、
埼玉での「蒸暑期」研究の内容の発表もありました。
発表内容が詳細にまとめられているので、
しっかり資料を読み込まないと、軽々しくは論じられない内容でした。
壁体内の水分コントロールについて、非常に興味を持たれていました。

蒸暑気候については、
いろいろな立場の方々がアプローチを開始されているので、
ちょうど北海道の高断熱高気密の初期の状況と近似していると思います。
さまざまなアプローチがどのように進化していくのか、
ウォッチして行かなければならないと思います。
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日本建築学会・吉野博会長

2013年07月17日 08時14分17秒 | Weblog



きのうは仙台に移動。
ある案件が急に進行していて、その作業に追われておりました。
なんですが、夕刻からは表題のように、
今年5月に選挙の結果選ばれた日本建築学会・吉野博会長の就任を祝う会に参加。
吉野先生は、住まいと環境・東北フォーラム理事長として
これまでもさまざまにお世話になっておりましたが、
その先生が今回、日本最大の建築の組織である日本建築学会のトップになったのです。
日本建築学会というのは、総数35400名という規模の日本有数の組織。
そのトップに、東北から選出されるというのは、まさに画期的。
そして先生は「建築環境」が専門分野であり、
そういった意味でも、たいへん有意義な就任と言えると思います。
きのうの会は、住まいと環境・東北フォーラムが
ごく内輪で、先生の就任を祝うという会合を設定した次第。
わたしも北海道と東北の掛け持ちで仕事をしていて
東北での出版活動では、住まいと環境・東北フォーラムの活動と
連動しながら行ってきている部分があって、
まさに「身内」的な慶事であります。

先生のようなスタンスの方が、
このような立場になるのは、日本の建築がどこに向かうべきなのかを
端的に表してもいると思います。
もちろん、東日本大震災からの復興という日本社会の
緊喫の課題に対して、建築が立ち向かってかなければならない、という
民族的な目的意識もそこには働いていると思います。
しかしそれを超えて、やはり環境の建築という志向性なのだろうと思います。
日本の建築が、断熱と真正面から向き合って
ひとびとの幸せというものに回答を示していかなければならない時代。
そんな時代意識を感じさせてくれると思います。

先生のお役に立つように、
なにがしか、できることでお応えしていかなければならないと
そんな思いで、参加させていただいておりました。
で、先生から住まいと環境・東北フォーラムの次回以降の会で
なにか、お話をしなさい、というさっそくのご指示であります。
付け足しで、「あ、講演料・交通費の類はボランティアで(笑)」ということ。
まぁ、とりあえず、頑張りたいと思います。
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北海道の街は消えることがある

2013年07月16日 05時27分11秒 | Weblog



連休初日に行ってきた東大雪の「三俣地区」の写真です。
森林資源の大量収奪によって、戦後の一時期まで人口1500人ほどが住んでいた
集落の様子ということです。
北海道は、明治の開拓期以来、資源収奪型の植民地的な産業構造でした。
この地域でも、木材資源を採取するために
そこそこの「人件費」を使って大量の「人夫」が集められ、
まるで「金鉱開発」のような状況が現出した。
この人口規模で「女郎屋」まで出店していた、ということですから、
いかにも「出稼ぎ」的な、一時的な産業構造・社会構造だったのですね。
そういった構造は、簡単にその基盤の資源状況によって崩壊する。
ニシンの群来に湧いた西海岸地域、
石炭炭坑の盛況で夢のような大都市が出現した夕張などの
地域の栄枯盛衰が、繰り返されてきた。
こういう社会状況の中で、地域の風土性が育まれつつある。
製造業主導型の地域社会構造整備が、幾世代にもわたって積層している
本州以南地域とは、こういう点で大きな違いがあると思います。
しかし、北海道開拓も140年近い時間が経過してきている。
わたしたちのような「土着」に近い、3代目や4代目、それ以上という
年代も出現してきている。
わたしは、東京で仕事を覚えてきて
その後、北海道でその種の仕事を開業してこれまでやってきました。
本州地域、主に東京から「帰ってくる」ことには、
不安よりも魅力を感じていましたが、
わたしたちの息子たちの年代にも、やはりそういう心情もあるようです。
それが「郷土愛」であるのか、
東京という地域への絶望であるのか、
そこらへんはまだ、わからないけれど、
いくたびかの、「街が消えてしまう」経験を繰り返してきた北海道が、
それでもここに帰って来たい、という地域性を生み出しつつあるのか。
その一方で、北海道各地で本州から移住のひとびとの活力を感じる。
かれらは新鮮に北海道の素晴らしさを実体験して、
その本来的な魅力を大きく発掘している。
東京からの移住組のスタッフから
北海道の野菜のおいしさについて教えられました。
これまでは、収奪型の食品のおいしさが北海道の魅力だったように思うのですが、
野菜という、人によって「手作り」されるしかない「製造業」が
それが「魅力」になってきているのか、と
ものすごくうれしく感じさせられました。
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カムイミンタラ

2013年07月15日 05時21分46秒 | Weblog



きのうは久しぶりに層雲峡の温泉に宿泊。
連休真っ盛りなわけですが、折から夫婦でダイエット中ということで、
近くのスーパーに買い出しに行って、
なるべく低カロリーな食事を心がけておりました(笑)。
ということなので、夕食抜きという、
連休の客にしては、たぶん一番低い客単価だっただろうと思います。
ホテルさん、ごめんなさいね。
でもやはり、温泉ホテルの夕食って,異常なボリュームですよね。
あんなの、毎日食べていたらやばいです。

で、年寄りなので早く起きてお風呂に入って、
身支度をして6時から、ロープウェイからリフトを乗り継いで大雪山7合目まで。
ということで、写真のような景色を堪能してきました。
ただ、早朝から来るみなさんは、8割方はそこから時間半くらいかけて
頂上まで登ってくるのだそうです。
ホテルもたいへん涼しかった、というか寒いほどでしたので、
ジャンパーを着込んでいきましたが、好天のため、
7合目でもけっこうな日射で、汗ばむほどでした。
カムイミンタラというのは、この写真のような光景を表した言葉だそうで、
神々がお互いに遊び転げているような光景をいうのだそうです。
神々しくもユーモラスな表現で、面白いですね。
アイヌのみなさんの、自然崇拝の心情がうかがえます。
この列島のひとびとの基底的な心情として、
このような自然崇拝は抜けがたくあって、
その後、「日本」という小中華志向国家が成立してからも、
基底には、このような自然崇拝型の心情が残っているのではないかと思います。
アイヌの人たちの文化には、そういう列島に暮らした人間社会の
こころの奥底にあった心情が色濃く残っているのでしょう。
まぁ、言ってみれば縄文と弥生の相克が込められているように思う次第。
北海道に暮らすという経験を3代以上にわたって継続しはじめた
わたしたちの年代の「日本人」が、この列島社会の歴史に対して
なにがしかの経験知をもたらせられるとすれば、
きっと、このような視点から日本文化への内省をもたらせることなのかも知れない。
江戸期までの押しつけられた「儒教的価値観」、
明治期以降の「近代西欧的価値観」のどちらもが、
こうした列島社会固有の自然崇拝型の価値観とは大きく違う。
現代は、「近代西欧的価値観」が全地球を覆っているけれど、
それに対してアイヌの人々の価値観は、異質なエスニシティを持っている。

「カムイミンタラ」
いい言葉だなぁと、繰り返し反芻していました。
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東大雪の森の中へ

2013年07月14日 05時31分14秒 | Weblog



きのうは朝から遠出であります。
連休を利用して、東大雪の森の中でミユビゲラという絶滅危惧種の鳥を
豊かな自然の中で復活させたいプロジェクト、に取り組んでいる方の取材に。
ミユビゲラというのは、キツツキさんの仲間で、
ほかの種が4本指なのに、この種だけが3本指だという
絶滅危惧種なのですね。
でも絶滅したと言われたのに、先年の十勝岳の噴火で、ふもとのこの地域でふたたび
確認されたのです。まだ生き残っていたのですね。
そのミユビゲラをずっと観察し続けている方がいるのです。
詳しくは、Replan北海道の次号102号の掲載しますので、ご覧ください。
あ、とはいっても、エピソード的な1コマ程度の扱いですので
見過ごされてしまうかも知れません。
そういうネタにも、手抜きなく、しっかり取材をしております(笑)。

北海道も広いとはいえ、60年以上生きてきたので大体は知っている気がしていましたが、
しかしさすがに東大雪地域というのは、わたしも未踏の地でした。
見方によっては、知床などよりも秘境かも知れません。
札幌からは道東道を通って、音更帯広のインターで下車後、
北上していってたどり着きましたが、
森の中をクルマを走らせていると、ときおり鋭い野鳥の鳴き声が響き渡ってくる。
その鳴き声の強烈な印象が胸を強く打ちます。
で、いっとき森の中でクルマを止めて、
自然の音だけのなかに身を置いてみる。
実にさまざまな森の呼び声、生き物と自然の音楽が全身に迫ってくる。
取材後、そこから層雲峡方面に抜けていく途中、
三国峠で見返してみると、眼下に大樹海が広がっております。
やはりこの列島、まだまだすばらしい自然が残っていると実感します。

この高原地帯の中で、
地域で豊富に産出される木材資源採取のために集落が形成された時期があり、
その集落が「三俣」と言われる地域だったのです。
一時期1500人を超えた人口だったそうで、
木材資源の搬出のために鉄道も帯広から敷設されていた。
その鉄路建設に際して、いくつかのアーチ状の「鉄橋」痕跡が残っていて
一部は「北海道遺産」として登録されている。
そのアーチ跡を湖越しに遠望できるポイントがあると聞いて
深い森の中に分け入っていきましたが、
そこで見たのが写真のような看板。
まぁ、東大雪地域、かれらの方が、人間より数が多そうです(笑)。
本来はかれらの天地であって、
わたしたちは、遠慮しながら行動させてもらう、ということなのでしょう。
持参したiPhoneからiTunesの楽曲を奏でて
かれらに「ご挨拶」しつつ、見学してきた次第。
連休初日、豊かな森の中で過ごさせていただきました。
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革命思想を抜きにした律令国家

2013年07月13日 05時13分43秒 | Weblog



歴史家・網野善彦さんの「日本の歴史をよみなおす」を読んでいて、
きのう書いたこととのつながりで、強く感銘を受ける部分があった。
日本の歴史教科書では、中国から、とくに律令国家として古代に成立した世界国家
唐から輸入した「律令制度」について考察されている部分がありました。
そこでは、「律令」の基本骨格思想は、儒教であり、
さらにその根本は「天命思想」と「易姓革命」思想である、とされているのです。
そして、その当時ようやく成立した新興国家である「日本」は、
この律令を導入して、唐に真似た古代中華思想国家を立国するに際して、
注意深く、その「易姓革命思想」を排除してきたというのです。

ちょっと衝撃的な記述だと思いました。
網野さんの思想的な立場の評価は別にして、しかしこの指摘はすごい。
ものすごく根源的な部分でのこの国家の有り様を規定してきた
非常に大きな問題なのではないかと気付かされた視点でした。
中国の「天命思想」と「易姓革命」思想とは、
そもそも支配者は、どうして支配者であるかについて
簡潔に、その支配者が天命を体現しているからであり、
しかし支配者が天命を失えば、新たに天命を受けたものが、
「易姓」して、社会を支配するのだという論理をあきらかにしている。
~注/「易姓」とは、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易わる)
というのが基本的な考え方~
それに対して、日本では、そもそも天皇家は「姓」を持たないとして、
「易姓革命」思想への巧妙な予防線を張っている。
その上でこの部分を矮小化させ、
皇統内での流れの交代程度にとどめる考えが貫かれている。
というような内容の記述なのです。
不勉強で、なぜ皇室には姓がないのか、について
考えたことはありませんでした。
それに対して、簡潔明瞭な解明をあきらかにされているワケです。
「易姓革命」思想に対して、
そもそも姓がなければ、「易姓」しようがない、という論理構築。
強大な小・中華思想志向国家にして、「易姓革命」を排除した国家。
まことに巧妙な国家樹立思想と言わざるを得ませんね。
やはり、天武帝が開いた国家体制「日本」は、
その基盤的な部分で、中国文明を受けての対応が独特だったと言える。
日中韓3カ国での「歴史認識」での論議でも
たぶん、こういった日本王権の特異な仕掛けが論議されるべきなのかも知れません。
中国大陸では、儒教と律令体制がしっかりあるのに
権力移動の実体は有為変転きわまりなく、
そうした状況を日本国家中枢部の権力者たちは冷ややかに見つつ、
「かの国では高々皇統は100代程度、それに比してわが皇統は万世一系」
というように、後の「神国日本」思想に繋がるような発想法が
支配的になっていったとされている。

まことに目の覚めるような視点で、
じっくりと頭を整理しながら、考えを進めていきたいと思わされた次第です。
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東アジアのなかのニッポン

2013年07月12日 06時48分55秒 | Weblog



韓国の大統領が、日本の安倍首相とは首脳会談には応じたくないそうですね。
就任からかなり経っていて、アメリカではオバマさんとの首脳会談を成功させ
その後、中国とも友好関係をアピールする首脳会談を行った。
であるのに、日本の安倍さんとは会談する気分になれない、ということ。
最近のアメリカのオバマさんの対応を見ていると、
アメリカも、日本の現状の政治家たちの「国粋主義」ぶりに手を余しているように思われます。
例の大阪市長さんが、とても有力政治家とは思えない暴走発言をしていましたが、
どうも日本の、いま支持されているとされる政治家の
国際感覚の無さ、幼稚さは、一体なんなのでしょうか?
大阪の市長さんに至っては、唖然とさせられる小児病ぶりだと思います。
しゃべればしゃべるほど、底の浅さを露呈させている。
唯我独尊そのもので、ちょっと都合が悪くなると
ひたすら悪役を仕立てて、権力と立場を利用したいじめとしか思えない反応を見せる。
原発への姿勢とその豹変ぶりなど、
とても責任ある政治担当者とはいえない危うさが丸出し。
アメリカににらまれたと知って、あわてて訪米スケジュールを発表したけれど
アメリカから徹底的に無視されて、訪米も出来なくなった。
いまや、ほとんど裸踊りに近い状況に追いやられている。
アメリカは今後とも、かれをブラックリストから外しそうもない。
かれを押し上げてきた日本のテレビ的なポピュリズムにはやはり危険がある。
このような国際感覚のない政治家が跳梁跋扈する現在の政治の状況に対して、
コントロールしてきたアメリカ自身が、手を余してきている。
場合によっては、日本に対して反省を促してきているようなサインも送ってきている。
そうでなくても、韓国からのてひどい対応を招いてしまっている状況は、
アメリカからしても、困ってしまう事態ではあると思います。
「同盟関係」に大きくヒビを入れてしまっているのだと思います。

こういったエセ「国粋」的な傾向と、古来の神社信仰とはまったく相容れないと思います。
出雲大社から北海道神宮に至るまでの神社の成り立ち、
楽しく神社を参拝させてもらっていますが、
触れる度に、神社信仰の奥行きの深さに思いが至ります。
たぶん、日本列島に王権が発生した経緯を、この神社信仰は表しているに相違ないと思います。
そして本質的に日本は連合国家的な、
「八百万の神」の連合体がその母型であって、
その後、天武帝の壬申の乱以降、日本という国号が定まり
その後の東アジア諸国家との関係の中から、「万世一系」という
はじめて「国粋」的な色彩が現れてきたのではないかといわれています。
<保立道久「東アジアと平安日本」から>
国家関係に於いて、その優位性を誇示するというのは、ある意味、自然だとも言えるけれど、
「おまえらは高々100代だろう、おらっちは万世一系の王権だぜ」
というようにニッポンは、東アジアと対峙し続けてきた。
そういった「唯我独尊」性は、
むしろ中国的な「中華思想」そのものだったのではないかと思います。
どうも、そういった危うさは、ニッポンは繰り返し
持ち続けているのではないでしょうか?
最近の日本外交の孤立ぶりに、やや危惧の念をもつものです。

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