写真は、道北地域に立地している、ある公共的建築物の内観です。
外観的にはすごく雰囲気があって、期待感を持たせてくれたのですが、
っていうか、建築は外観があっても、結局は内部のデザインというか、
どのような利用目的で、どのような自由闊達な利用が想定されているか、という
人間の暮らしようの方が、大きなテーマになるものなのだなと再確認した次第。
内観を見ていて、そういう「いごこちの良さ」について考えさせらました。
この写真で言えば、階段の吹き抜け部分の面積、配分が気になった。
階段はまっすぐの階段なので、この吹き抜けは
用途から見ると、吹き抜け面積の大きさが気になった。
この食堂テーブルの床面積の少なさは、そのようにすることで
周辺の眺望に否応なく視線が向かうように意図されているのだと思われます。
そこから得られる眺望の開放感に意識が向かうのだけれど、
それにしても、それで床面積が小さくなって行動半径が狭められることを考えると
設計意図が貫かれていないように思う。
こういった「やや窮屈な」座り位置だと、
なんとなく閉じ込められたような印象を持たざるを得ない。
そこに座れば、自由が得られないように思わされる。
個人の建て主であれば、この吹き抜けには同意しないのではないでしょうか。
階段の真上にしても、吹き抜けは半分程度もあればいい。
この部分の吹き抜けは、たぶん1/4くらいに面積は縮小させてもいいと。
そうすると2階の行動スペースに自由度が生まれる。
この食卓スペースの背後の床面が、
1 食卓への座り、立ち上がりのための行動スペース
2 そこを通り抜けて2階手前側の寝室から1階への移動スペース
という2つの重要な機能を果たさざるを得ない。
そのようにまで考えると、この吹き抜けの大きさはどうしても気になる。
いごこちの良さって、いわば過不足の無さが基本ではないのか。
行動する場所、定置する場所の区別と連関性に
大きな意味があるように思います。
たぶん、いろいろな制約性の中で設計者の意図を離れ
このような配置計画のやむなきに至ったのだと思いますね。
せっかくの公共的施設なのに、残念だなぁと思って見ていた次第です。
いや、もっと言えば、たぶんこの建築はコンペであったとは言え
その後、詳細な設計プランについては、各公共団体が定める
公共施設としての制約条件のようなものとのすり合わせが大きな領域になって、
十分に「使う側の視点・意見」的なものが見えにくくなったのではないかと推測します。
具体的な「使い勝手」の基準、いわば「設計意図」が
徹底できなかったのではないのでしょうか。