歴史家・網野善彦さんの「日本の歴史をよみなおす」を読んでいて、
きのう書いたこととのつながりで、強く感銘を受ける部分があった。
日本の歴史教科書では、中国から、とくに律令国家として古代に成立した世界国家
唐から輸入した「律令制度」について考察されている部分がありました。
そこでは、「律令」の基本骨格思想は、儒教であり、
さらにその根本は「天命思想」と「易姓革命」思想である、とされているのです。
そして、その当時ようやく成立した新興国家である「日本」は、
この律令を導入して、唐に真似た古代中華思想国家を立国するに際して、
注意深く、その「易姓革命思想」を排除してきたというのです。
ちょっと衝撃的な記述だと思いました。
網野さんの思想的な立場の評価は別にして、しかしこの指摘はすごい。
ものすごく根源的な部分でのこの国家の有り様を規定してきた
非常に大きな問題なのではないかと気付かされた視点でした。
中国の「天命思想」と「易姓革命」思想とは、
そもそも支配者は、どうして支配者であるかについて
簡潔に、その支配者が天命を体現しているからであり、
しかし支配者が天命を失えば、新たに天命を受けたものが、
「易姓」して、社会を支配するのだという論理をあきらかにしている。
~注/「易姓」とは、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易わる)
というのが基本的な考え方~
それに対して、日本では、そもそも天皇家は「姓」を持たないとして、
「易姓革命」思想への巧妙な予防線を張っている。
その上でこの部分を矮小化させ、
皇統内での流れの交代程度にとどめる考えが貫かれている。
というような内容の記述なのです。
不勉強で、なぜ皇室には姓がないのか、について
考えたことはありませんでした。
それに対して、簡潔明瞭な解明をあきらかにされているワケです。
「易姓革命」思想に対して、
そもそも姓がなければ、「易姓」しようがない、という論理構築。
強大な小・中華思想志向国家にして、「易姓革命」を排除した国家。
まことに巧妙な国家樹立思想と言わざるを得ませんね。
やはり、天武帝が開いた国家体制「日本」は、
その基盤的な部分で、中国文明を受けての対応が独特だったと言える。
日中韓3カ国での「歴史認識」での論議でも
たぶん、こういった日本王権の特異な仕掛けが論議されるべきなのかも知れません。
中国大陸では、儒教と律令体制がしっかりあるのに
権力移動の実体は有為変転きわまりなく、
そうした状況を日本国家中枢部の権力者たちは冷ややかに見つつ、
「かの国では高々皇統は100代程度、それに比してわが皇統は万世一系」
というように、後の「神国日本」思想に繋がるような発想法が
支配的になっていったとされている。
まことに目の覚めるような視点で、
じっくりと頭を整理しながら、考えを進めていきたいと思わされた次第です。