
ノックアウト。
世紀の嫌われ女を描いた伝記映画の傑作。愚かしくもパワフルな人間ドラマ。方向性は違えど、有無を言わさぬ疾走感は「セッション」に似ている。音楽の選曲、編集のセンスが光る。登場キャラの個性は全員強烈。類は友を呼ぶ究極系であり「バカしか登場しない物語」は喜劇であり悲劇といえる。トーニャ・ハーディングを正当化することも非難することもしない視点が貫かれ、真相は結局のところ闇の中であるが、この映画を前にして実話というラベルさえも気にならない。栄光と転落、華麗にリンクの宙を舞うのも、殴られリングの宙を舞うのも、どちらもトーニャの生き様だ。製作を兼ねたマーゴット・ロビーの覚悟を感じた熱演に圧倒される。
1994年のリレハンメルオリンピック。女子フィギュアで競技中に「靴紐の調子が悪い」と審査員に訴えたトーニャ・ハーディング。そのみっともない泣き顔をよく覚えている。フィギュアスケートに関心はなかったものの、ライバルを襲撃した黒幕として連日のように報道されていたのを思い出す。しなやかで美しいナンシー・ケリガンに対し、品がなく勝気でズングリ体型なトーニャ・ハーディングは世間の敵だった。それから時がたって、映画を頻繁に見るようになってからトーニャ・ハーディングの物語はいつか映画化されると思っていた。
パンフ情報によると、本作はトーニャ・ハーディングをはじめ、事件の関係者のインタビューをもとに描かれたオリジナルの脚本とのこと。多くがトーニャの証言から構成されており、本作の真相はあくまでトーニャの見解が強いようだ。なので冒頭「異論があるだろうが。」とわざわざ字幕が出てくる。ただ、この物語がフィクションであったとしても「ありえる話」として飲み込むことができるし、真実かどうかはこの際どうでも良くなるほど、面白い。
本作の大きな軸は、トーニャと母親の関係性だ。「甘ったれのクソガキ」と、母親は幼少期よりトーニャをけなしまくる。血の繋がった実の子どもなのだが。貧しい生活環境のなか通っていたスケート教室では、練習中トーニャが「トイレに行きたい」と言えば、「金を払っているのはこっちだ、時間を無駄にする気か」とつき返す。結果、リンクの上で失禁してしまえば、今度は「恥をかかすな」と何度も殴りつける。家庭内でも同様で、日常的に精神的、肉体的暴力でとことんトーニャを圧する。その常軌を逸した子育てに開いた口が塞がらない。トーニャの子役時代を演じたマッケナ・グレイスが愛くるしいため、劇中での虐待シーンを見るにつけ、その非道さがことさら強調される。
母親には信念があるようだ。わが子は叩いて伸びる子だと。大成するかどうかはまだ先の話だが、トーニャの性格形成には早々に影響をきたす。暴力的で排他的、周りの人間は敵で、その敵を倒してこそ勝利を手に入れられる。陰口を叩かれれば、相手に中指を立てればよい。本作はフェイクドキュメンタリーの形をとっていて、過去を振り返るトーニャのインタビューシーンで連発する言葉は「わたしのせいじゃない」。呆れるほどの性悪女で、他者に対する思いやりが明らかに欠如している。暴行を受けたナンシーに対しても「私なんて暴力は日常茶飯事よ」と言うだけ。お母さん、娘は逞しく成長しました。
褒められることがなかった人生で、彼女は求められ、認められることを強く欲するようになる。今でいう「承認欲求」というやつだ。スケートで頂点に立つこと、そして、人から愛されること。後者は結婚という形で実現するが、トーニャの人生に大きな悪影響を及ぼす。愛してくれた人はDV男でした。普段は愛妻家の優しい男だが、口より先に手が出るサイテー野郎。トーニャの顔面には生傷が絶えないが、彼女も彼女で、やったらやり返すタチである。暴力を振るわれては別れて、寄りを戻し、暴力を暴力を振るわれては別れて、再びまたくっつく、の繰り返し。病的にも見える腐れ縁だ。その2人の間にさらに誇大妄想症の夫の友人(サイコー爆笑キャラ)が加わり、彼女の人生が狂い出す。カオスな泥沼な人間関係。同類は同類から逃れられない運命なのか。トーニャの才能を信じたコーチの良心が一服の清涼剤だ。
その後、ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相、トーニャがリレハンメルオリンピックで泣いた背景が描かれる。どれも知られざる話で驚かされたが、彼女の生い立ちから辿ると起きるべくして起きた事態と思える。それでも、彼女を一方的なヒールとして見ることはできない。彼女のファンだという幼い少女に羨望され心から嬉しがるシーンや、彼女にとって最大の悲劇となる裁判の結果など、彼女の心情を思いやることは必至で、あれだけ距離を置いて眺めていたのに気付けばすっかり感情移入をしてしまっている。かといって、本作はトーニャを美化することも避けられていて、特異で強烈な個性を最後まで持続させる。シニカルな笑いに満ちたインタビューシーンの編集も面白く、笑いとドラマの波状攻撃に終始やられてしまう。不確かな材料を組み合わせ、これだけの娯楽作に仕上げた脚本が素晴らしい。
母親を演じオスカーを受賞した、アリソン・ジャニーの怪演が最大のインパクト。救いようのないサイコキャラかつ、映画の動力源という点で、「セッション」のフレッチャー教授と双璧をなすかも。狂気と天才の表裏というキャラ設定も近い。2人は「ジュノ」で素敵な夫婦役を好演していたが、その後、まさかこんな鬼役を演じることになるとは誰が予想したか。その母親と対峙するマーゴット・ロビーも負けじと凄まじい。自身の美形を捨て、異形なるトーニャの執念と悲喜を鮮やかに体現する。演技派女優としての飛躍を示した堂々たる名演だ。現在「アベンジャーズ」でサノス軍団と戦っているバッキーこと、セバスチャン・スタンは口ひげの胡散臭さが絶妙で、自覚なきサイテー男を巧く演じている。
トーニャが事件後、ボクサーに転向していたことは何かのテレビ番組で観ていた。キワモノ人間の末路と蔑みをもって見ていたが、本作での彼女のモチベーションはかなり違っていて認識を改めた。殴り殴られるリングの上だが、スケートリンクと同じ喝采を浴びるステージなのだ。殴打で倒され、彼女の血反吐を捉えたショットにしびれた。
【80点】

でしたね!
何度でも見たくなる、そんな一本になりました(笑)