いつか配信してほしいと待ち望んでいた韓国映画が、先月よりアマプラで配信開始された。通勤電車のなかでタブレットを隠すように鑑賞。聞きしに勝るS度500%の鬼映画。同時に、悪、暴力、罪の在り方を問うたインテリ映画だった。傑作。
連続殺人鬼に婚約者を殺害された主人公の男が、復讐するという話。主人公は刑事であり、犯罪を司法に委ねる役割であるが、その職務をあっさり放棄し、復讐の鬼と化す。よくあるプロットであるが、本作を描く上で特異な要素は大きく2点あって、1つは、連続殺人鬼が常軌を逸したサイコでありつつ常識的な判断ができるということ(実際あまりいないタイプでは?)、責任能力は十分で、好色で卑劣、救いようがない悪人。もう1つは、主人公が圧倒的に強く「殺人鬼<主人公」のパワーバランスが崩れないこと。
非道の限りを尽くす殺人鬼に対して、復讐を果たす主人公という構図は痛快そのものだが、主人公が掲げる「復讐」は、婚約者が受けた恐怖、痛み、苦しみを10倍にして返すことである。殺そうと思えば、簡単に殺せる、しかしそれでは不十分。拷問に近い暴力を与え、瀕死の状態まで追い込んだのち、治療して回復させたのち、再び、痛みを与え、活かす、この反復を繰り返す。主人公の残酷さは回を追うごとに増していく。「まだまだこれかれだ」、容赦ないバイオレンス描写が続く。韓国映画のバイオレンスはしっかり痛覚を刺激するから、北米映画のそれとは異質だ。
テレビドラマを中心に、コメディ、ロマンス、ヒューマニズムという韓国エンタメに浸っていた昨今、久々に「らしい」韓国映画の凄みを味わう。「悪」の描き方がぬるくない。主人公が追う殺人鬼もそうだが、途中出てくる「仲間」もそうだ。主人公による襲撃は脅威のはずだが、恐怖よりも興味が先立つ。殺人鬼の回復力が異常に強いなど、ツッコミどころもあるが、悪こそ生き延びる不条理を体現しているとも思える。
「どうせ強い」主人公だが、毎回の殺人鬼とのバトルにスリルが伴うのは、アクション描写に妙があるからだ。空間、アイテム、撮影カットを含めた演出が見事。同じアジア圏かつ10年前の作品なのに、日本のアクション映画ではまだまだ到達しえない領域にある。主人公演じるイ・ビョンホンと、殺人鬼演じるチェ・ミンシクの憑依型演技も大いに見もの。心臓を鷲掴む迫力。
本作のミステリーは、タイトルにある「悪魔」は誰かということ。流れからすれば「悪魔」になった主人公と察するが、終盤、本当の悪魔が正体を現す。暴力を見世物にしたわけではなく、あくまで「罪」であることを示す。暴力の果てにあった代償と、想像し得なかった悪の深さ。主人公の殺人鬼に対するこれ以上ない「おもてなし」と、果たされた約束も、押し寄せる虚無感に全てがかき消された。
【80点】
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