
「映画化は困難!?」。いやいや、これほど映画向けな原作はそうないのではないか。実写映画を観て改めてそう感じた。巨人が人間を捕食するために町を破壊し進撃を続ける映画なんて面白いに決まっている。
原作は5巻まで既読、アニメは映画(ダイジェスト版)のみ視聴済みだが、これほど熱狂的なファンを持つ理由を理解できていない。原作にハマっていない自分にとっては、原作をどうイジってくれようが、面白い映画にしてくれたら文句はなし。しかし結果、苦笑からの爆笑が続く映画だった。あれは狙い?原作のパロディのよう。巨人の描写は最高。
映画のストーリーラインは、ほぼ原作のままだ。アレンジされているのは登場人物たちのキャラ設定とその描き方だ。映画の製作過程においては原作者も深く関わっているようで、「お気に入り」のキャラをもつファンたちの期待を半ば裏切る形での変更と、決断の大胆さは原作者の後押しあってのことだったと頷ける。しかし、そのキャラ変更の理由がいただけない。脚本を担当した映画評論家の町山氏によると、「実写のキャラとしてリアリティを出すため」と「日本人の名前として逸脱しないため」と挙げていた。
前者の理由について、主人公のエレンの大幅なキャラ設定は自分は違和感がなかった(無駄に喧嘩っぱやいのは不思議で笑えるが)。ダサいのは、群像劇としてみた時の個々の人物描写。「実際に若者たちがこういうシチュエーションに置かれたらこうなるよね?」と言いたいのだろうか。わかりやすい例を挙げれば、廃墟でカップルが体を求め合うシーン。あれは完全に笑いを取りにいったと思いたい。「シキシマ」がエレンを呼び出し、ミカサとの関係をわざとらしく臭わすあたりもズッコけた。狙いすぎた結果、カッコ悪いー。イケてない日本映画の典型だ。
後者の理由についても、「日本人名(当て字)として無理があるから」と原作で一番人気のキャラ「リヴァイ」を外したのもどうか。主人公の「エレン」しかり、現状のキャラクターたちの名前も十分、日本人っぽくないし、それを気にするような世界観でもない。「リヴァイ」を外した理由は他にもあったのかもしれないが、原作ファンを思えばきちんと登場させるべきではなかったか。リヴァイの代役に近い位置づけで登場する「シキシマ」がまるで魅力的でないのも痛い。原作ファンではなく、映画ファンとしては、日本人キャストで原作の世界観を再現させるのが難しいのであれば、「人間VS巨人」というプロットはそのままに、全く違う物語であっても全然OKだった。巨人が東京を進撃するという物語を構想していた、中島哲也の監督降板が悔やまれる。
ドラマパートについては何一つ共感できるものがなかったが、巨人のシーンは期待を大きく上回るものだった。ひたすらに気持ち悪いのが素晴らしい。その迫力も相まって歓声を挙げてしまいそうになる。巨人たちの表情と捕食シーンはホラーに近いもので、人間たちの恐怖を駆り立てる。一方、エレンの化身となった巨人は逆にカッコよく、巨人たちの肉体を拳1つで粉砕するシーンに熱くなった。洋画には叶うことのないCG技術で勝負するのではなく、日本が伝統的に得意とする特撮をもって巨人たちを描いた点も成功している。あの独特な生々しさとスケール感は特撮ならではの魅力だ。軍艦島のロケは、背景色を人工的に着色しているため、その利点は活かされておらず、グリーンバックでの撮影と変わらない印象。
キャラの魅力不足とともに、演じるキャストたちも全く光らない。イメチェンに近いキャラを演じた石原さとみも、キャラのモチベーションが語られぬまま進むので、そのハイテンションぶりがよくわからなかった。シキシマ演じた長谷川博己のスカしっぷりはもはや気持ち悪い。
9月に公開される続編を見るかどうかは微妙なところだ。「巨人を見るだけ」という目的は達成された。原作を読み進めて面白そうだったら見に行こうと思う。原作ファンの皆様すみません。
【60点】
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