
客層が若い。そして「進撃の巨人」の予告編が流れると劇場からどよめきが起こった。何とわかりやすい反応。圧倒的な期待感。これが現代の若者たちにとっての傑作漫画なのか。一巻で挫折した漫画だけれど、自分も流行に乗ってもう一度トライしてみようかな。。。
完結編となる映画「寄生獣」は期待ハズレだった。
シンイチとミギーの仲良しバディームービーになってしまった等、前編を観て原作とは別モノとして捉えることを決めた。なので、実写化による映像の面白みに期待するしかないのだが、完結編は原作が持つテーマ、その世界観の再現に挑もうとする。それを果敢な挑戦とみるか、無謀な挑戦とみるかだが、個人的には半々といったところ。原作に忠実であったアニメ版の放送時間は合計で10時間近い。それを半分以下の時間でまとめるわけだ。何を切って、何を残し、どうアレンジするのか、その力量が問われる。
「切って」「残す」編集は良く出来ていたと思う。原作と同じストーリーラインを時短で再現するために、取捨選択するだけでなく、複数のイベントを同時並行でみせる。市役所のイベントから、一気に「後藤」との決戦に繋げたのも正解だったと思う。
但し、それによる代償も当然あって、原作にあった、後藤への恐怖に駆られ、「生への渇望」に目覚めるシンイチの姿はバッサリと切り捨てられる。それ自体は仕方のないことなのだが、問題はその後の里美とのラブシーンだ。生への渇望があってこそ、里美とのラブシーンが成立する原作に対して、映画版では、里美の優しさに触れ、温もりを欲した結 果として描かれる。原作を知る身としては何とも味気ない動機だ。そしてその描き方が眼に余る酷さだ。2人で一生懸命、相手の服を脱がせ合う(笑)。そして、橋本愛演じる里美が「来ていいよ」と顔で合図し、コトが始まって恥じらいもなく声を漏らす。橋本愛を脱がすことがそんなに大事か!?無駄に尺を取り過ぎであり、その描写の必要性を全く感じない。ラブシーンも一緒に切り捨てるべきだった。染谷君のプヨプヨな乳首を再び見せられては、原作とのギャップに興冷めするばかり(演技は巧いのだから脱がせてはダメ)。山崎貴という人にラブシーンを撮らせてはダメなのだ。
しかし、期待ハズレの最も大きな要因はアクション描写の不足にある。そもそも映画のドラマパートには期待していない。しかし、映画は前述のとおり、原作のテーマ性の訴求に躍起になるあまり、映像の表現に比重を置こうとしない。特に残念だったのは、最強「後藤」の怪物性を知らしめるアクションを大幅にカットした点だ。個人的に、完結編の最大の楽しみにしていたため、なおさらこたえた。全体的に見てもアクションのボリュームだけでみれば、前編よりも少なくなった印象だ。予告編で観たアクションシーンが映画の本編になかったのは気のせいだろうか。初見だっただけに新鮮に映ったミギーの造形や、触手(?)による鞭のようなしなやかな動きもすっかり見飽きた。その代わりに、ディテールを表現できない日本のCGクオリティだけが目につく。クライマックスの後藤との決戦も頭でっかちになり過ぎである。もっとアクションに振り切れてほしかった。ハリウッドの手によって映像化されていた方が幸福だったかも、と改めて考える。昨年の「GODZILLA ゴジラ」が良い例だ。
救いは「田宮良子」演じた深津絵里の迫力の演技だ。原作が持つテーマ性を一定水準までに引き揚げたのは、彼女の功績に他ならない。キャラクターの個性を完全に我が物にしていて、全く隙がない。それどころか、原作キャラには感じられなかった、人間性に近い温もりが絶妙に足されており、より共感性の高いキャラクターに仕上がった。おかげで田宮良子が発する人類への「啓示」がより響いて聞こえてくる。日本人俳優の演技で心底痺れたのは久しぶりのことだ。彼女の演技を観るだけでも価値のある映画といえそうだ。
昨日発表された先週末の興行収入をみたら、本作、完結編の興収は前編の8割スタートだった。最近の2部作の映画は、だいたい後編がロケットスター トになるのだけど、本作は違ったみたい。前編を観た観客が離れたか、前日に放送したテレビ放送がマイナスに作用したのか。いずれにせよ、ヒットメーカーの山崎貴映画としては誤算だっただろう。
【60点】
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