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バーキン片手に靖國神社

卒業記念キャンパス撮影ツァー〜アメリカ西海岸

2024-06-22 | アメリカ

アメリカでiPhone 15Proを買いました。

この機種から望遠レンズが搭載されたということで、
毎回一眼レフを持ち運ぶ必要がなくなるかと期待してのことです。

今回はなんといってもMKの卒業式というビッグイベントがあるので、
どれくらいこれがカメラに迫れるか試すチャンスでもあります。

iPhoneを買ってすぐ、MKから依頼がありました。

「友達3人でキャンパスでの記念写真を撮りたいんだけど、
一眼レフで撮影してくれない?」

前回のアンダーグラデュエイト卒業式の時には、
カメラを触らなくなってすっかり時間が経った状態で臨んでしまい、
暗い室内でのイベントを撮影するのに冷汗をかいたものですが、
この機会に本番までにカンを取り戻すことができるかもしれません。

わたしは喜んで依頼を引き受けました。

いきなり室内だった前回と違い、毎日が快晴のこの地域の昼なら
カメラがなんでもやってくれるので、気が楽です。

■「テディベア串刺しの刑の噴水」前


昔MKはこのキャンパスを利用したサマーキャンプに参加していたので、
このトレシダー付近と噴水は馴染み深いものでしたが、
ここで卒業式の帽子を被った彼を撮影する日が来るとは・・。


3人は同じ工学部で、真ん中の女子とMKは同じラボにいました。
3人とも専攻は同じ分野で、就職先も同業種となります。

まず最初のロケ地はモニュメント的噴水のある池の前。


ホワイト・メモリアルファウンテンという名前がありますが、
通称は「ザ・クロウ」(つめ)といい、大学対抗試合などの際、
ライバル、カリフォルニア工科大学のマスコットである
「Oski」を象徴するテディベアを頂点で串刺しにするのに使われます。


現場写真

ついでにこのOskiというキャラがこれ。
串刺しにされているテディベアのように可愛くないどころか・・


怖すぎ

彫刻は、ホワイトさんという金持ち夫妻が、彼らの息子二人を記念して
(亡くなったとか?)彫刻家に依頼したものだそうですが、
こんなことに使われているなんて知ったらきっと嬉しくないと思うんだが。

■ メモリアルチャーチ付近


次のロケポイントはメモリアルチャーチの周り廊下。
象徴的な場所なので、よくここも撮影に使われます。



この大学、とにかく広くて、面積は千代田区の3倍。
大学に必要な施設のほかに、ゴルフコース、乗馬場、
ハイキングコース、巨大なディッシュを備えた山丸々一つ持っています。


なんと呼ぶのか知りませんが、ガウンの首にかけているフードの色は、
所属学部を表し、オレンジがエンジニアリング、工学部です。


当大学は毎日学生がガイドを務める観光ツァーがあるのですが、
ツァー客がみんなでこのときのMKたちの写真を撮っていました。

おそらくガイドが、

「あちらに見えますのが、今週日曜の卒業式に出席する学生です」

というようなことを説明したのかもしれません。



スクールカラーは赤で、フードの内側に見えています。

ところで、この写真の右側に見えているサークル、今まで何度も
通行車両を事故に陥れてきた通称「デス・サークル」なんだそうです。

ちなみに学内には基本信号はなく、交差点は全てサークルですが、
この方式、実に合理的で安全なので、わたしは高く評価しています。

しかしここは、周りに街灯がなくてサークルがあることが分かりにくく、
初見の人がここに突っ込んでも無理はないというデンジャラスな雰囲気。

「デス」とまで言われるものをなんとか対策しろよという気がしますが、
驚くことにこういうことには全く無頓着なのがアメリカ人です。


せめて運転者に見えるような看板一つ立てれば解決するのになあ。


廊下はこのメモリアルチャーチに続いています。
チャーチ前の広場には夜のレセプション?のため、
テーブルや機材が雑然と並んでいて、前での撮影はできませんでした。



メモリアルチャーチ内部は観光客のために解放されており、
わたしも初めて中に入りました。



石柱の根元には、当大学開学のきっかけとなった創始者の息子、
訪欧中の急病で夭折したリーランドの名前が刻まれています。

■ ロダン作「カレーの市民」前


お次は、前にも紹介したオーギュスト・ロダンの彫刻での撮影。
三人ともこれがやりたかった模様。



作品名は「カレーの市民」。

百年戦争の際、イングランドに兵糧攻めにされたフランスのカレーで、
市民の命を救う代わりに、六人のカレー市指導者が処刑されました。

この像は、飢えで痩せ衰えた彼らが出頭のため城門を出る姿を捉えています。


ガウンのせいかぴったりキマってます。


メモリアルチャーチ前のクヮッドと言われる広場です。
チャーチ前のごちゃごちゃを隠すように撮影しました。

女性がガウンの下に白いドレスを着ているのは、
なんとなくこの大学ではそういうことになっているからだそうです。

■ ジャンプ写真(一眼レフvsiPhone Pro)

冒頭写真は、当初彼らの撮影計画にはなかったのですが、

わたしが「ここはタワーが綺麗に入る」と提案したところ、
彼らもここが気に入ったので撮った「帽子投げジャンプ写真」です。

さて、わたしがNikon810、TOにiPhoneを担当してもらい、
ほぼ同じシーンを両者で撮影した結果ですが、基本的には
やっぱりと言うかなんというか、Nikonの圧勝でした。

iPhoneのAI機能は、概ね効果的で、わたしがNikonのデータを
時間をかけてソフトで調整するのをほぼ一瞬でやってくれます。

がしかし、比べてみるとやはり色の深みというか、
わたしごときが言うのもなんだけど表現力が違うのです。

というわけで、カメラ機能に定評のあるProですが、
やはり餅は餅屋って感じかな、という結論に達しました。

とはいえ、iPhoneがその能力をここぞと発揮することもあり、
それがこのジャンプ写真でした。
冒頭写真はNikon、そしてこちらがiPhoneです。


(これを見たMKの最初の一言『俺ジャンプすげー』)

細部を見ると確かに重みの点でNikonが優れているのですが、
状況を捉えるのが巧みで、効果的だと思いました。



参考までにもう一度Nikon。
ちなみにこの写真、帽子を際立たせるため、
わたしは時間をかけてソフトでマスクをかけてマス


ここもわたしの提案で選んだポイント。
MKはこの写真が一番気に入ったそうです。
ポイントはひるがえるガウンの袖?


最後のロケポイントは噴水池で。
流石にキャッキャと水を掛け合うシーンはありませんでした。


最後に、MKと紅一点女子のラボで記念写真。

このソファは10年以上「一度もクリーニングらしいことをしていない」ので
「おそらくとてもとても汚い」代物。
そんなソファの横には、明らかにここで寝るための毛布が・・。


研究に没頭していて帰る時間がなくなった学生用でしょうか。

MKと彼女にとっても、この研究室は、
大学院生活において最も長く過ごした空間だった違いありません。

そしてこの週の日曜日、卒業式が行われました。

続く。





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2 Comments

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サークル (Unknown)
2024-06-23 06:00:49
>ところで、この写真の右側に見えているサークル、今まで何度も通行車両を事故に陥れてきた通称「デス・サークル」なんだそうです。

日本には北海道に少しあるみたいで、確かに合理的ですが、慣れないと苦労しますよね。ここくらい径が小さいと、標識がないと真っすぐ突っ込んでしまうと思います。

パリの凱旋門は多分、世界最大の「サークル」だと思います。交通量が多いので、三車線になっていて、一番内側を走っているクルマなんか、よく思ったところで出られるなーと思いますが、ちゃーんと出て行きます(驚)
返信する
FFM (お節介船屋)
2024-06-25 09:34:14
大学院ご卒業おめでとうございます。

話が違って申し訳ないですが海自FFMの話題です。
6月24日護衛艦FFM9番艦が三菱長崎で命名進水しました。
艦名は仙台近傍の名取川から「なとり」です。
海自初艦名ですが旧海軍に初代がおりましたので2代目となります。竣工予定は来年度です。
7番艦「によど」が三菱長崎、8番艦「ゆうべつ」が三菱マリタイムシステムズで艤装中であり、本年度竣工予定です。10番艦が三菱長崎で建造中で本年後半で命名進水予定です。

先代の「名取」は旧海軍「長良」型軽巡6隻中の3番艦で同じく三菱長崎で大正11年9月15日竣工。
基準排水量5,170t、全長162.15m、幅14.2m、蒸気タービン90,000馬力、速力36kt、14㎝単装砲7基、12.7㎝連装高角砲3基、61㎝4連装魚雷発射管2基、乗員450名
昭和7年射出機装備、水上偵察機搭載、その後戦時中にかけて対空機銃等増備、乗員は100名以上増加したと思われます。
太平洋戦争で第3艦隊第5水雷戦隊旗艦、フィリピン攻略作戦従事、続いて蘭印作戦、昭和17年3月1日バタビア沖海戦で重巡「最上」等と協力、米重巡「ヒューストン」豪軽巡「パース」撃沈。
ただこの海戦は陸軍第16軍司令官今村均中将指揮の西部ジャワ攻略部隊への連合軍攻撃にたいして護衛部隊第3,5水雷戦隊、第7戦隊等重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦13隻の戦闘でしたが遠距離魚雷攻撃で多くの魚雷を発射しましたがほぼ当たらず、最悪は「最上」発射魚雷で味方の輸送船団護衛
の第2号掃海艇及び指揮官今村中将座乗の輸送船「竜城丸」を含め輸送船3隻を撃沈破してしまいました。
幸いにも今村指揮官は海中を泳いで救助されましたが揚陸中の人員や装備品等多くが失われました。
その前のスラバヤ沖海戦でも遠距離砲戦、魚雷戦で多くの砲弾、魚雷の無駄弾があり、あれほど猛訓練で高命中率を誇った海軍が連合軍より多い兵力でありながら実戦で?が付く遠距離攻撃でした。

その後南方海域で諸作戦に従事、昭和18年1月9日アンボンで米潜水艦、爆撃機の攻撃で中破。シンガポール及び舞鶴で修復、その後ダバオ等で輸送任務、昭和19年8月18日パラオ付近にて米潜水艦「ハードヘッド」の雷撃で戦没。
沈没時約450名の生存者があり、有名な「名取短艇隊」がフィリピンまでの約300海里のサバイバルでした。暴風雨、食料、水の欠乏、オール亡失等を乗り切りましたが、内火艇、救命筏は行方不明、3隻のカッターが死亡者を出しながら29日陸軍の哨戒船第11昭南丸に発見され、曳航、30日スリガオ入港、182名が生きて帰ることが出来ました。第3カッター指揮官高射長久保保久大尉の著書「軍艦名取短艇隊生還記」に詳しく記述されています。それにしてもカッター1隻に90人近く乗船し、糧食乾パン100食分等、水筒3個等2日分しかなかったのに協力して等分に配布等厳正な行動で耐えましたが死亡者も多く、13日の辛い、苦しい生存行動でした。

参照光人社「写真日本の軍艦軽巡Ⅰ」、海人社「世界の艦船」No754、1022、新人物往来社「太平洋戦争海戦全史」

FFM5番艦「やはぎ」が5月21日、6番艦「あがの」が6月20日竣工し、舞鶴の第14護衛隊に配属されました。
なお掃海隊群直轄であったFFM1番艦「もがみ」2番艦「くまの」は2年間に渡る掃海の実用試験が終了し、本年3月横須賀の第11護衛隊に配置替えとなりました。ただUSV,UUVによる浅海域での探知等があまり芳しくなかったような噂があります。浅海域以外では艦底に機雷探知用ソナーがあり、自走爆雷EMDでの処分は実用可能でしょう。UUV等の発達で改善がされるよう願っています。
あと3番艦「のしろ」4番艦「みくま」は令和4年度竣工して佐世保の第13護衛隊に配属されています。就役艦は艦橋前のVLSは全艦まだ未装備ですが予算は取得されており、VLS製造に合わせて、おそらく各艦の検査修理時期に装備されるものと思います。
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