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映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」ミッドウェー

2024-06-04 | 映画

映画「連合艦隊司令長官山本五十六」続きです。

前回、加山雄三演じる伊集院大尉のモデルが、「雷撃の神様」こと
村田重治大佐(最終)であるという話をしましたが、
今日のタイトル画で「友永丈一」としたのは、本作ミッドウェー海戦部分で、
伊集院大尉は友永中佐と同じ運命を辿るからです。

本作の登場人物は一部を除き歴史上の人物が実名で登場しますが、
加山雄三の役は村田大佐と友永大尉のどちらもをモデルにしているため、
唯一この役だけが創作名を与えられているというわけです。

また、黒島亀人先任参謀については、一番知られている肖像ではなく、
本作俳優(土屋嘉男)に似ている若い時の写真を挙げてあります。


真珠湾攻撃後、陸軍は「海軍だけに手柄を立てさせまいと」(黒島談)
大陸進出作戦を強く主張していましたが、
山本の目的は一刻も早く講和に持ち込むことですので、
敵艦隊を叩くため、ミッドウェー作戦を提案しました。


そんな折、劣勢を跳ね返すためのアメリカの捨て身の作戦、
「ドーリトル空襲」が起こります。

空母「ホーネット」を発艦したB29の編隊が本土を襲撃し、
このことは軍上層部をにわかに動揺させ、

「太平洋に防空の砦を築くべし」

としてミッドウェー作戦が決行されることになりました。

劇中、採用された空母「赤城」艦上における敬礼シーン(実写)
ちなみに敬礼しているのは士官のみ



ミッドウェー島への発進攻撃命令を下す機動部隊司令長官、南雲中将。


【軍歌】🎌『日本海軍・出航ラッパ』~映画版~

この時の出航ラッパは、このYouTubeで聴くことができますが、
東宝オリジナル(にしてはよくできている)なのだそうです。

帝國陸海軍喇叭集

本物はこの25番目。
ちなみに「防水」「診察」という喇叭があって驚きました。



「両舷前進びそーく」


「一航戦、赤城、加賀、出航しまーす」


「赤城」飛行隊の士官室は、皆意気軒昂そのものです。
木村中尉の幼馴染の写真(恋人でもないのになぜか持っている)
を皆で回し見して揶揄ったり、山本長官の噂をしたりと、和気藹々。



そして一航戦の飛行隊は、いよいよミッドウェーに向けて飛び立ちました。

本作の特撮模型は、船より飛行機の方がよくできているような気がします。
船はどうしても海面がうまく再現できないので限界があるようですね。

攻撃隊はミッドウェーに差し掛かると米軍の迎撃機と交戦、
その後ミッドウェー島の攻撃は予定通り決行されることになりますが、
作戦司令部には、第一次攻撃隊だけでは効果があまり得られず、
第二次攻撃隊の必要があるという打電が入ってきます。

(ちなみにこの連絡をしてきたのは、伊集院大尉のもう一人のモデル、
友永丈一大尉で、通信文は『カワ・カワ・カワ』)


しかしながら、第二次攻撃隊は敵機動部隊との交戦に備えて待機中でした。


そのとき「利根」の索敵機が、空母のない米艦隊の発見を告げてきました。
ここで機動部隊は後世に禍根を残すミスをしてしまいます。

米機動部隊からの攻撃はないと判断した草鹿は、待機していた航空勢力を
全てミッドウェーに向けてしまうことを決定したのでした。

しかも(映画では語られませんが)実はこの索敵機は、敵索敵に発見され、
近くに日本軍の機動部隊がいることを悟られてしまっていました。



そして、魚雷を陸用の爆雷に付け替えるという命令が下されます。
言うまでもなく第二次攻撃隊をミッドウェーに向かわせるためです。


模型チックな昇降機で付け替えのため甲板から降ろされる飛行機。



そのときです。
索敵機は空母2隻を伴う米機動部隊を発見しました。



「  なにい?!」

歴史に「もし」はありませんが、つい考えずにいられません。
もしこのとき、海軍が出した索敵機が、先の小規模艦隊の代わりに、
空母を伴う米機動部隊を発見していたら、結果はどうだったかと。

少なくとも空母4隻壊滅という事態だけは避けられたでしょうか。


そのとき「飛龍」の山口多聞司令から、米機動部隊に対し
直ちに発進の要ありと認む、という打電がされてきました。

しかし、雷撃機を発進させるには、護衛の戦闘機が出払っていて手薄です。
ほとんどの戦闘機はミッドウェー隊の掩護に行ってしまっていました。



「仕方ない、正攻法で行こう!」

上空直掩戦闘機を呼び集め、再び雷装への付け替えが命じられました。


全員なんでやねんって内心ツッコミ入れながら作業していたと思う。
爆弾が剥き出しになっている今、攻撃されたらどうすんの、とか。


そこに、日本軍にとって絶望的なお知らせが。
敵機動部隊飛行隊がこちらに向かっているというのです。

この一連のシーン、草鹿参謀長演じる安部徹は汗ダラダラ流してます。


急かされまくった攻撃隊がやっとのことで発進していきました。


しかし次の瞬間、米機動部隊攻撃隊が牙を剥いて空母群に襲いかかります。


この、爆弾が甲板を貫き爆発炎上する特撮は見事です。


修羅の海に浮かんだ機動部隊上空を、
たった一機になった伊集院大尉の機が航過しました。


「加賀、沈みます!」

沈みゆく「加賀」に敬礼をする伊集院大尉。(冒頭画)


山本長官の座乗した「大和」に、戦果を伝える電報が届けられました。

「敵艦載機の攻撃を受け、赤城、加賀、蒼龍大火災」

続いて、

「山口司令官より無電、『飛龍は健在なり』」



「山口司令官宛て打電せよ。飛龍の健闘を祈る」



「飛龍」からは艦載機攻撃隊が離艦していきます。
伊集院大尉機はこれらと合同で攻撃に当たることになりました。


燃料タンクを増槽に変えると言う飛行士に、
300マイル飛べれば十分だ、と淡々と返す伊集院大尉。

「はあ?」

「帰ってもおそらく母艦は沈んでいるだろう」

実際の友永丈一機は、ミッドウェー島を攻撃したあと、
母艦に戻って給油していますが、その際左翼タンクが破損していたので、
整備を担当した兵装長が、

「これでは片道燃料になります」

と出撃を制止したのを振り切って出撃しています。

映画の会話はこの時の「片道燃料」を盛り込んでいると思われますが、
友永大尉は、米艦隊までの距離は近いから帰れると計算していたようで、
決して最初から「帰らない覚悟」を決めていたわけではありません。

そして伊集院大尉のもう一人のモデルである村田重治大尉は、
ミッドウェーでは「赤城」から「辛くも」(wiki)生還しています。


映画では、伊集院大尉の艦攻は、米空母「ヨークタウン」に対し、



「テー!」

と魚雷を命中させた後、「ヨークタウン」の艦橋に激突自爆しました。

wikiによると、友永機と思われる隊長機を撃墜したのは、
「サッチ・ウィーブ」の発明者ジョン・サッチ少佐でした。

友永機は、機銃弾を浴びせられ、両翼が炎に包まれながらも、
「ヨークタウン」に魚雷を投下するまで飛び続け、
その最後の瞬間を目撃したサッチ少佐は、

「日本の指揮官機はリブをむき出しにしながらも何とか飛行をつづけ、
海中に墜落する寸前に魚雷を投下し、
ほとんど絶望的な状況でも最後まで任務を果たそうとした。」


と感嘆称賛の言葉を送っています。

「ヨークタウン」はこの攻撃により自力による航行が不能になり、
ハワイまで曳航されることになりましたが、
結局その途中で伊号第百六十八潜水艦に撃沈されることになりました。

聯合艦隊機動部隊の中で唯一最後まで残った「飛龍」も損傷を受け、
指揮官山口多聞少将、加来止男艦長を乗せたまま、
他の3隻の空母と運命を共に自沈することになります。



大敗北が決定し、夜戦を断念した聯合艦隊は、
これ以上の攻撃の必要なしとの判断に伴い、
ミッドウェー作戦の中止を決定しました。



「陛下にはわたしがお詫び申し上げる」

鎮痛な面持ちで反転する「大和」の司令官室に一人向かう山本。


「そして三日間が経過した」

この三日の間に、山本長官は夏服に衣替えなさったようです。



渡辺戦務参謀も衣替え。
一般的には6月1日が第二種軍服着用の区切りでした。



「長良」に乗っていた機動部隊の将官が報告のため「大和」に集まりました。
ところが、この南雲と草鹿だけは第一種軍服のままです。

現実的に考えれば、着替えを乗せたまま「赤城」が沈んだからですが、
それにしても、この二人以外全員真っ白なのは何故でしょうか。



それはおそらく制作側がこの構図にこだわったからだと思います。

情報収集と作戦の不手際で大失敗し、打ちひしがれている二人。
この「戦犯」の二人をあえて「黒いまま」残すことで、
その心情と立場を視覚化したかったのではないでしょうか。

このとき山本は、ミッドウェー作戦失敗の全ての責任は自分にあるとして、
彼らに批判的だった黒島亀人に対しても、

「南雲・草鹿を責めるな」(wiki)

と釘を刺しています。

おそらく自分に全責任があるということを痛感していた山本は、
部下だけに今回の敗戦の責任を取らせることができなかったのでしょう。

そして、汚名返上の機会を与えてほしいという二人の願いを聞き入れ、
再編された空母機動部隊の指揮を引き続き執らせました。

このような明らかな責任者への処分に見られる「身内に対する温情主義」、
さらには、ミッドウェーの敗戦を世間に対し隠蔽したこと、
作戦失敗の原因追及等、反省と今後への対策が全く行われなかったこと。

これらもまた、日本をその後の運命に導く一因になったと言われています。

続く。




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5 Comments

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温情主義 (Unknown)
2024-06-04 07:31:46
>「太平洋に防空の砦を築くべし」としてミッドウェー作戦が決行されることになりました。

山本大将の構想としては、開戦劈頭のハワイ攻撃ではアメリカの継戦意思を挫くには不十分で、ミッドウェイ島を占領、根拠地として、次にハワイ占領を目指すつもりだったようです。そこまで出来れば、確かにアメリカと講和もあったかもという気はしますが、実際には、ミッドウェイ海戦での大敗で再起不能になったので、そうは行きませんでした。

艦隊同士の戦闘はいかに先に相手を発見して、攻撃を仕掛けるかで決まります。ミッドウェイ海戦では、米海軍が先に日本海軍を探知し、迅速に攻撃を仕掛けた。この時点でアメリカの勝ちです。日本の索敵機が先に米海軍を探知出来ていたら、艦載機自体の練度は(多分)日本の方が高かったので、全く違った展開になっていたんじゃないかと思います。

山口中将の「二次攻撃を必要と認む」で、直ちに攻撃(発艦)に掛からなかったのは、当時の発着艦が同時に出来ない空母では、先行した第一次攻撃隊を収容してから、第二次攻撃隊を発艦させないと、第一次攻撃隊は着艦待ちの間に燃料切れで墜落する可能性があるからだと思います。戦術判断優先で、味方を見殺しにはなかなか出来ないものです。

山本大将がすごいと思うのは、なけなしの空母をすべて出撃させるという判断が出来たことです。太平洋戦争のいくつかの海戦で、砲戦がありましたが、ほとんどは遠距離での撃ち合いに終始して、有効射程にまで突っ込んで撃ち合っている例はほとんどありません。たとえ、軍人であっても、やっぱり、自分の身内がかわいいからで、なかなか、火中の栗を拾うようなふるまいには出られません。その点、山本大将はかなりドライな判断が出来ています。この方に匹敵するのは、日本海海戦で、当時の有効射程の半分に突っ込むまで射撃開始を我慢出来た東郷大将くらいだと思います。

指揮官への処罰が全くなかった点は、ご指摘の通り、禍根を残したと思います。話は全く変わりますが、今の自衛隊では陸自のセクハラ事案以来、膿を出し切るという全省上げての取り組みで、こんなのまでと思われる程度のものまで上げられており、将官でさえ降格で、即刻退職という人まで出ていますが、この風潮も陸自のセクハラ事案がなければ、ここまでは行かなかっただろうと思います。やっぱり、日本の組織はなかなか自己革新が出来ないのでしょうか。
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ミッドウェー敗因 (お節介船屋)
2024-06-04 09:56:41
色々な文献に要因が記載されていますがミッドウェー海戦3ヶ月後の1942年9月1日付けで作成された米海軍無線情報部記録が米海軍勝利の原因を明らかにしています。
1942年4月から5月日本海軍発信の暗号電報をほぼ解読していました。5月2日には新作戦の重要な動きを掴みました。5,6日には諸作戦計画中で航空要員の大規模交代も掴みました。8~12日サイパンとグアムの海域を進撃する作戦が開始され12日トラックへの爆弾の積み出し、14,15日MIがミッドウェーであることが分かり、22日には諸部隊の編制、攻撃方法も知ることとなっています。16,17日には第1航空艦隊の飛行機群がミッドウェー北西50マイルから攻撃することも知りました。18日には索敵用の潜水艦配備位置、21日燃料補給、24日飛行機と搭乗員の空母への交代要員発令、25日ミッドウェー攻略部隊への命令、26日攻略部隊船団の予定と位置、28日暗号変更で解読出来なくなりましたがここまで詳細に分かっていれば対応策が実施できました。
それでも珊瑚海海戦での被害分析や使えなくなった第5航空戦隊の代わりにアリューシャン作戦部隊の角田部隊を加えればわが航空部隊の編制に余裕や対応ができたのではないでしょうか?
天候も我に災いして第1航空艦隊近傍を前線が移動し天候が良くはありませんでした。
それでも索敵を十分実施していれば掴めていたはずですが利根と筑摩の索敵が中央部の最重要部分であったのに発艦が利根機は30分遅れました。カタパルトの不調と言われていましたが現在では故障もなく、ただもたもたとして遅れたことが分かっています。また8分遅れた筑摩機は予定の索敵線の半分くらいで雲が多くなり雲上飛行としてしまい索敵を実施していません。この海域に米艦隊が居たことは航路図等からその後分かりました。予定より30分遅れの利根機が索敵線の先端に達して折り返しの時「敵らしきもの十隻発見」発信でしたがこの遅れも位置誤認も幕僚が認識していませんでした。
慢心と敵はミッドウェー攻撃後出てくるとの勝手な都合主義で己が撒いた失敗の連続となりました。
参照光人社「写真太平洋戦争」、吉田俊雄著「戦争を動かした30人の提督」、中公文庫千早正隆著「連合艦隊興亡記」、朝日ソノラマ奥宮正武著「太平洋戦争と十人の提督」
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ミッドウェー島攻撃部隊 (お節介船屋)
2024-06-04 13:47:14
飛竜飛行隊長友永丈市大指揮
零戦36機、九九式艦爆36機、九七式艦攻36機計108機で友永指揮水平爆撃隊と加賀分隊長小川正一大尉指揮急降下爆撃隊で滑走路等攻撃、飛竜分隊長菅波政治大尉指揮零戦隊が米軍機40機撃墜しましたが零戦2機、九九式艦爆2機、九七式艦攻3機損失しました。

敵攻撃に備え零戦36機、九九式艦爆36機、九七式艦攻(雷撃)36機計108機を空母上に待機。

3空母被害後飛竜から小林道雄大尉指揮零戦6機、九九式艦爆18機、友永大尉指揮零戦6機、九七式艦攻(雷撃)10機を米空母攻撃に発艦。敵空母ヨークタウン大破、敵戦闘機10機撃墜しましたが両指揮官ととに零戦5機、九九式艦爆13機、九七式艦攻(雷撃)5機が帰りませんでした。

航空機の被害は二式艦偵2機,零戦105機、九九式艦爆84機、九七式艦攻95機でしたが、その前の珊瑚海海戦で艦上機100機以上の損害もありました。
ミッドウェー海戦での戦死者は3,500名、搭乗員は航空戦、艦上で零戦39名、九九式艦爆33組、九七式艦攻37組と言われております。

その後のガタルカナル攻防戦の海戦、陸上攻撃、泊地攻撃で遥かに多くの航空機、ベテラン搭乗員を失いました。特に空母搭乗員を2度も再建中に陸上航空部隊としてつぎ込んで消耗したことで空母航空部隊は遂に再建できませんでした。
参照朝日ソノラマ奥宮正武著「海軍航空隊全史」「さらば海軍航空隊」
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因縁 (Unknown)
2024-06-05 10:26:00
1996年の今日(6月5日)射撃訓練中の海上自衛隊の護衛艦「ゆうぎり」が米海軍のA-6イントルーダー(標的曳航機)をCIWSで誤射、撃墜しました。奇しくもミッドウェイ海戦と同じ日で、因縁を感じます。
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ラッパ (Unknown)
2024-06-05 19:03:58
ラッパを全部、聞きました。ほとんどはもう使われておらず、今、使われているのは、速足行進、巡検、配置に就けだけです。
起床は今と違うメロディで、今は陸軍のものを使っていると思います。
配置に就けは非常呼集に使われています。
速足行進は、江田島(一術校及び幹部候補生学校)の課業行進時に、一術校航海科の学生が生演奏しながら行進します。
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