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映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」真珠湾

2024-06-01 | 映画
 
昔、東宝映画は毎年8月15日の終戦記念日に合わせて
戦争大作を公開(8.15シリーズ)していた時期がありました。

本作「連合艦隊司令長官 山本五十六」は「日本の一番長い日」の翌年、
昭和42年最大のシリーズ超大作として制作され、大ヒットをおさめました。

本日のタイトル画は、俳優と演じた人物の写真を並べてみました。

草鹿龍之介=安部徹、宇垣纏=稲葉義男、米内光政=松本幸四郎、
南雲忠一=藤田進となります。

全体的に、最近の戦争ものより実物と似ている俳優が多い印象なのは、
当時を知る人々がまだ世間の大半を占める時代に制作されたせいでしょうか。

わたしの感想としては一番違和感があったのは藤田進の南雲忠一です。

もっとも、誰が一番本人と容姿の点で乖離していたかというと、
それは間違いなく山本五十六を演じた三船敏郎といえますが、これは
映画という表現の中では全く違和感なく受け入れられるから不思議です。

歴代の山本五十六を演じてきた俳優は、大河内傳次郎に始まって、
佐分利信、山村聡、小林桂樹、マコ岩松、役所広司、豊川悦司、舘ひろし、
加藤剛、古谷一行、香取慎吾、ともうほとんど誰一人全く似ていませんが、
おそらく役者が山本五十六を演じるとき、そこに求められるのは
容姿の問題ではなく、「存在する意義」そのものの表現力なのです。

その意味で、当時、山本五十六を直接知っていた人々から、
まるで本人が乗り移ったかのように似ている、とまで言われた三船は、
この歴史的人物を演じるに真に相応しい役者だったのだろうと思います。

■日独伊三国同盟締結



戦前のある年、新潟県加治川。



一人で観光の川下りをしている男性客がいました。



ご存知我らが山本五十六(当時海軍次官)。


船頭との会話の流れでなぜか船端で逆立ちをおっ始める山本。

加治川急流下りの船の舳先で逆立ちは実話であり、
そのほかアメリカ行きの船の中でのパーティで階段の手すりの上とか、
妙義山頂の岩の上とか、とにかく危ないところで逆立ちして
皆がハラハラするのを楽しんでいたようです。
身内からの証言もあります。

「逆立ちのおじさま」

舳先での逆立ちのエピソードは、2011年の同名映画で、
役所広司版山本五十六もやっていましたね。


そんな山本を護衛するとして現れた憲兵隊二人組。
この頃山本は三国同盟に米内、井上茂美とともに反対しており、
賛成派からプロパガンダされ、暗殺の噂さえありました。

山本は海軍芸者の巣であるレス(料亭)の宴席に彼らを呼び、

「陸軍さんは威張ってばかりで野暮だ」

などと陸軍の悪口を言うエス(芸者)に彼らを揶揄わせてご満悦です。


昭和14年8月、海軍省。


この暑苦しい顔の海軍少尉、木村(黒沢年男)は、飛行学生として
霞ヶ浦航空隊に赴任途中、山本海軍次官に挨拶に来ました。
貧しい家出身の彼が兵学校の試験の際、山本が推薦したという縁です。


次に待っていたのは、陸軍の辻政信参謀長たちとの面会です。
彼らは、三国同盟に反対する山本を説得に来たのですが、

「では、我々陸軍だけで(反対のための行動を)やります!」

と息巻く辻に、山本は口元を歪めて笑い、

「太平洋を歩いて渡るとでもいうのかね」



その日、独ソ不可侵条約が締結され、それを受けて首相平沼騏一郎は

「欧州情勢は複雑怪奇」

という名言?を残し、総辞職しています。

従来日本政府が準備していた政策をこれで全て打ち切らざるを得なくなり、
「別の政策が必要になってしまったから」
というのが複雑怪奇声明の内容で、要するに、

「国際情勢を判断できず、外交政策を立てられなくなってもうお手上げです」

という意味の総辞職であったと言われています。


当時の海軍大臣米内光政(松本幸四郎)と語り合う山本。
山本が敬語を使っているのは、米内が海兵の3期上だったからで、
法術学校教官時代で同室になって以来、二人は親友という間柄でした。

映画では山本の海軍次官の職を労うような発言がされていますが、
これは逆で、米内を海軍大臣に推したのが当時次官だった山本です。

三国同盟には山本と共に反対の立場でしたが、その理由は

「海軍力で及ばない英米をはっきり敵に回すことになるから」

という「海軍の論理」によるものであり、
決して大局的な観点からのものではなかった、とする意見もあります。



模型特撮はお馴染み円谷英二の手によるものですが、
CGのクォリティの爆上がりした昨今、この当時の特撮を見ると、
なんだか物悲しい気持ちになるくらい、作り物感が拭えません。

ちなみにこちら戦艦「長門」でございます。



旗艦「長門」の聯合艦隊司令官室で書をしたためていた山本の元に、
山本のお気に入り参謀、渡辺安次少佐がやってきました。



演じているのは平田昭彦。



この有名な写真で一番右に写っているのが渡辺参謀です。

本作撮影現場で、平田昭彦、三船敏郎に挟まれて座る渡辺氏

一般人と並ぶと三船も平田もレベル違いの超イケメンであると実感する写真。

平田は、じゃなくて渡辺参謀は、陸軍が三国同盟締結のため、
反対している米内に海軍大臣を辞させるという情報を持ってきました。
そして、後任の海軍大臣は賛成派の及川古志郎に代わります。



海軍首脳会議で、山本は最後まで三国同盟の危険性を訴えます。

及川新海軍大臣(中央)に、もし同盟を結んだら、
英米の勢力圏から輸入している生産物資が途絶える危険があるが、
どうするつもりなんですか、と詰め寄りますが、
もう締結は決まったことだから・・・・と及川むにゃむにゃ。

ちなみに及川の左の白髪は永野修身軍令部総長。(似てない)


昭和15年9月27日、締結は正式に決定されてしまいました。

■真珠湾攻撃


真珠湾攻撃の艦載部隊がそのための訓練を行ったのは、
オアフ島と地形の似ていた鹿児島湾でした。


訓練に参加している艦爆の指揮官席には、木村中尉がいました。
操縦員の野上一飛曹を演じるのは往時のアイドルスター、太田博之です。



後席から思いっきりやれ!と野上をけしかけたら、よりによって
「雷撃の神様」伊集院大尉の飛行機とニアミスしてしまいました。


木村中尉は真っ青になって伊集院大尉に謝りに行ったところ、
さすが神様、大尉(加山雄三)は鷹揚に部下のミスを許します。

伊集院大尉のモデルは、おそらく真珠湾攻撃の際
「赤城」飛行隊長だった、村田重治大佐(最終)と思われます。

ちなみに、支那事変の際、アメリカ海軍の砲艦「パナイ」を誤って撃沈し、
国際問題になりかねない「パナイ号事件」を起こした本人でもあります。

劇中、伊集院はこの訓練の意図がさっぱりわからないとして、

「市街上空は高度40m、海に出るなり高度5mの『雑巾掛け』、
しかも標的は動かない停泊中の船・・・はて?」

と呟いていますが、軍機となっていた真珠湾攻撃の内容を、
村田だけは上から聞かされていたと言われており、おそらくそれは本当です。



「(アメリカとまともに戦っても勝てないから)
先制で打撃を与えて早期講和に持ち込む」


という山本の真珠湾攻撃の企画意図並びに開戦に関する考えは、
本人ではなく、黒島亀人先任参謀の口から永野修身軍令部総長(白髪)、
伊東整一軍令部次長(その右)に説明されています。

「開戦劈頭、一挙にアメリカ太平洋艦隊を撃滅して
早期講和の機会を掴む以外に道はないのです!」




いよいよ開戦は避けられないとなったある日、
戦艦「長門」における作戦会議では、新型魚雷の採用、
真珠湾に至るコース(北回り)などが確認されていました。


これが最終的に決定されたコース。(棒で押さえているところが単冠湾)


草鹿龍之介参謀長南雲忠一機動部隊司令長官は、
大艦隊が秘密裏に真珠湾にたどり着くことの困難さを挙げ、
副案の検討を提案しますが、山本はそれを切り捨てました。

「国力の違うアメリカと四つに組んで戦うことができないからには、
先制攻撃で敵の奥深くに切り込むしかない」


それに対し、今後反対論は述べず、作戦実行に全力を尽くす、という草鹿。


その後、近衛文麿首相(森雅之)に海軍としての勝算を問われ、山本は

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。
然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。
三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は
日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」

というあの有名な発言で返します。
井上茂美海軍大将はこの発言は失敗だったという考えで、

「優柔不断な近衛さんに、海軍は取りあえず1年だけでも戦える、
間違った判断をさせてしまった。
はっきりと『海軍は(戦争を)やれません。戦えば必ず負けます』
と言った方が、戦争を回避出来たかも知れない」


と戦後語っています。
そして山本本人はというと、この時の近衛に対して、

「随分と人を馬鹿にした口調で、現海軍大臣と次官への不平を言ってたが
あの人はいつもそんな感じだから別に驚かない。
要するに近衛公や松岡外相等を迂闊に信頼して海軍が浮き足立つのは危険」


嶋田繁太郎に当てた手紙に書いています。
その後首相は近衛から東條英機に代わりました。


そしていよいよ作戦発動に向け・・

「攻撃命令は『ニイタカヤマノボレ』!」


機動部隊は単冠湾を抜錨し・・・。

・・・って、このシーンの特撮は残念すぎ。
予算のなかった「ハワイ・マレー沖海戦」の方がよくできていたような・・。
白黒の方がアラが目立たなくて良かったのかも。



模型のスケールも「ハワイ・マレー沖」より小さそうですよね。
キャスティングにお金を使いすぎて特撮にあまり回せなかったのか?



そしてここ「赤城」艦橋では・・・・

「ニイタカヤマノボレ、イチニイゼロハチ」

頂きました。


開戦の命令を受け、山本は藤井茂戦務参謀に、
開戦の通告が攻撃以前に手交されることを念押ししています。



これに対し、藤井参謀(藤木悠)は心配はいらないと返事しますが、
実際はいろいろアクシデントがあって攻撃後になり、
日本が騙し討ちをしたというイメージになってしまったのはご存知の通り。



ちなみにこの写真で山本の右側にいるのが藤井参謀です。


マストにZ旗が掲揚されます。

「皇国の荒廃この一戦にあり。
各員一層奮励努力せよ」



「かかれ!」


時々実写の映像が混じっています。



「オアフ島だ・・・攻撃態勢作れ」



「全軍突撃せよ!」
「テー!」
「命中!」

オアフ島の山間を縫うように進んだ機動部隊攻撃隊、
真珠湾攻撃の幕が切って落とされました。



結果を待つ司令部の元に届いた電報を通信参謀(佐原健二)が読み上げます。

「我奇襲に成功せり!」



喜びに沸く司令部の中で、一人重い表情の山本五十六。
戦果報告の中に空母が一隻もなかったことを憂えているのでした。



世間は初戦の勝利に対するお祝いムードに沸き立ちました。

軍内ですら、あらゆる機関で戦勝祝賀会が行われる有様でしたが、
山本はそれらの招待を厳しい表情で全て断りました。

アメリカがこのままで済ませるとは思っていなかったからです。



しかし、機動部隊の面々には全員に休暇が与えられました。
早速故郷に帰った木村中尉は・・



幼な馴染み矢吹友子(酒井和歌子)と姉澄江(司葉子)に再会しました。
この二人は単なる華添えキャストで、物語の筋にはなんの意味も持ちません。

姉澄江は両親のいない木村をお針子をして働いて育て、
最終的には兵学校にまで入れた苦労の人です。



日本軍はその後しばらくは破竹の進撃を続け、
太平洋地域においてアメリカ、イギリス、オランダを駆逐し、
南方支援地帯を確保するに至った・・・と思われました。


山本はここですかさず講和の道を探るべきだと考えました。



が、なまじ初戦で連戦連勝してしまったため、国中のムードが
停戦を良しとしないというところまで暴走しつつありました。

「平和など言い出そうものなら国賊扱いだよ」

と米内。
それではもう一度講和の機会を作るにはどうしたらいいか。

相手がそれに応じずにはいられない状態とは、更なる打撃を与えること。
山本に言わせれば、それは空母部隊を撃滅することに他なりませんでした。

そして、このとき講和の機会を求めて深追いした結果、
日本はミッドウェーで敗戦への道に足を踏み入れてしまうことになります。


続く。