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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊行事(ダイジェスト)

2018-05-13 | 自衛隊

早いもので、今年も練習艦隊出航関係の行事の季節となりました。
わたしの場合、その年の状況と自衛隊との関係によって、
参加するイベントは
微妙に変わりますが、今年はまず晴海での艦上レセプション、
そして翌日の晴海から横須賀までの体験航海に参加してきましたので、
とりあえずクタクタに疲れている今日はダイジェストをお送りします。

東京晴海埠頭に停泊している「かしま」にとって、東京での最後の夜となるこの日、
艦上レセプションが行われました。

去年は横須賀でのレセプションに参加させていただきましたが、今年は
大阪と東京でのレセプションにお招きいただくことになりました。

わたしは開始時間より1時間も早く着いてしまい、車の中で約40分、
ある程度人が入るまでこんな写真を撮りながらじっと待っていました。

バスの横にいる一団は実習幹部の皆さんで、来客につき一人、
ラッタルの下から艦内までをエスコートするために待機しています。

30分待って入ったのに、会場はまだオープンしておらず、
クロークとなっているところでしばらく待つ羽目になりました。
会場が開場されて最初に入っていったという感じです。

「かしま」の隣には「まきなみ」が係留されています。
明日の体験航海にはこちらに乗ることが決まっています。

この艦上レセプションはわたし一人での参加となったため、
引っ込み思案に鞭打って、実習幹部はじめ結構たくさんの人とお話ししてきました。
本編ではそのことについてもお話ししたいと思います。

この日は日没時間の1836、自衛艦旗降下が行われました。


明けて翌日。今日は体験航海です。
同じ場所の同じところに朝8時に到着。

「かしま」の甲板を通り抜けて「まきなみ」に乗艦いたしました。
この日晴海から横須賀まで一般人を乗せて体験航海を行うのは
旗艦の「かしま」と「まきなみ」の二隻です。
自衛隊からいただいた体験航海の案内には、

「皆さんはまきなみに乗れてラッキーです!」

と書いてあったのですが、その理由は航海中に判明しました。
まあただわたしは「かしま」に乗ってみたかったかな・・。

この写真では隣の「かしま」艦橋上に人がたくさんいるのがわかります。

この日は事情があって自分で勝手に動くことができなかったのですが、
それでも航海中全ての見所はちゃんと抑えられたと思います。

甲板上の出航準備。

タグボートは二隻やってきて、「まきなみ」を引っ張りました。
向こうに海自のタグボートがいますが、なぜここにいるかは
現場の自衛官に理由を聞いて判明しました。

格納庫から見る出航作業。

かしま」横を離岸(舷?)しました。
オランダ坂の下にいるのは「まきなみ」の救助要員です。

最初の見せ場?はなんといってもレインボーブリッジ下を通過する瞬間。

体験航海参加者のために艦内ではいくつかの展示が用意されました。
最初は搭載ヘリ SH-60Kのローターを稼働させる展示です。

この時甲板の柵が全くなくなっているのにご注目ください。

そして最大の山場?は、「かしま」が「まきなみ」を追い抜く瞬間です。
なぜ「まきなみ」に乗れたらラッキーだということになっているのか、
わたしはこの時わかったような気がしました。

艦内で次に行われたのは武器関係の動的展示です。
CIWSをぐるぐると動かし・・・・・・、

オトーメララを真上に向けたりしてくれました。
こんな角度で撃つ場面があるのかどうかは知りませんが。

アイロン・・・?

ではなく、アクアラインの「風の塔」です。
今アクアラインの真上を横切るように航行中。

今まで立ち入りを禁止されていた飛行甲板がオープンになり、
そこで喇叭の展示が行われました。

この日わたしは個人参加ではなかったため、グループに一人、
エスコートの自衛官がいて、この方が艦内ツアーもしてくれました。
食堂を見学した際、

「まきなみでは火曜日がラーメンの日」

という驚くべき事実を知ってしまいました。

続いて機関室も見学します。

観艦式でもそうですが、一般見学者が体験航海で立ち入ることができるのは
甲板下の階までなので、艦内で見るのはいつもこの程度です。

しかし、わたしたちの一団のうち、わたしたち以外は誰も今まで
自衛艦というものに
乗ったことがなかったため、周りでは
どこに行ってもすごいすごいの声が巻き起こっていました。

わたしが自衛艦内で見るもの聞くもの初めてで、何をみても大興奮だったのは、
あれは一体何年前のことだったか・・・・(遠い目)

晴海から横須賀までの航海は正味3時間。
盛りだくさんのイベントに艦内ツァーを行ううち、あっという間に
入港の準備が甲板では始まっていました。

先に行った「かしま」が横須賀港の入り口を入っていきます。

第7艦隊のアメリカ海軍の軍港をじっくり見ながら「まきなみ」入港。

我が自衛隊の潜水艦基地も、こんな近くから見ることができました。

入港が迫った時、わたしたちの団体は艦橋に登るように言われたので、
わたしは最初右ウィングにいたのですが、そこが入港準備のため閉鎖になると、
ずっと左側ウィングに張られたロープの手前に移動しました。

いよいよ着岸となった時、艦長が左のデッキに出てこられ、
操舵のための指令を全部聞くことができたのはラッキーでした。

「かしま」が一足先に着岸を行なっています。
横須賀では歓迎行事があったらしく、この時、岸壁からは
横須賀音楽隊の演奏が聞こえていました。

そして朝8時40分から12時30分までの短い航海は終わり、
わたしたちは岸壁に降り立ちました。

横須賀での「定位置」に定係された「かしま」。
今月21日にはここから遠洋航海に出航していきます。

わたしたちはこの後メルキュールホテルの上層階レストランで昼食を取りました。
横浜地方総監部を退出する頃には岸壁に実習幹部たちの姿がありましたが、
食事が終わった時には「かしま」と「まきなみ」が、
ほとんど人気のない速見岸壁に係留されているのが見えるだけになっていました。

次回からは、この一連の練習艦隊行事について、
例によって微に入り細に入りお話しできればと思っております。

 

 


「ポンプ、ポンプ、ポンプ!」〜帆船「バルクルーサ」サンフランシスコ海洋博物館

2018-05-11 | 軍艦

サンフランシスコ海事博物館にある帆船「バルクルーサ」を見ながら、
十九世紀末の帆船で働く人々について、現地の説明ボードを元に
お話ししています。

いやー、しかし、そうではないかとは思っていましたが、
このころの船ってもうブラック企業なんてもんじゃありませんわ。

ブラック企業でも一応社員は自分の意思で入社してきた人ですが、
こちらは下手したら攫われてきて仕方なく働いてたりしますから。

「バルクルーサ」甲板から遠くゴールデンゲートブリッジを臨む。
波が全くありませんが、これはこの部分が突堤に囲まれているからです。

橋の左に倉庫のようなものが見えているかと思いますが、ここは
フォート・メイソンといい、先日ご紹介した映画「ダウン・ペリスコープ」
(イン・ザ・ネイビー)のラストシーンで、主人公たちが乗っていたディーゼル艦、
「スティングレイ」が入港した岸壁です。

映画に使われた潜水艦「パンパニート」は今いるところのすぐ後ろにある
「フィッシャーマンズワーフ」の岸壁に展示されていて、映画のために
わざわざフォートメイソンまで引っ張っていったといわれています。

この説明にある「メインロイヤル」というのは、帆船で一番上に張られる帆のことです。

一番高いところにある帆ですが、その割にこれを張る仕事は
他のいろんな船上の仕事の中でも簡単な部類に属するのだそうです。

その大きな理由は、帆そのものが一番上のなので小さいことがあげられます。

高い部分なので大抵は修行中の少年が船の動きを覚え、
できるだけ早く仕事に慣れるためにそこでまず仕事をさせられます。

「ロイヤルを畳むこと」

これが船乗りとして最初にインストールするべき基本なのです。
もちろん、いきなりそんな高いところに登らされる初心者の少年は
誰しもパニックすれすれになるくらい緊張するわけですが、
そんな彼らに対し、ベテランの船乗りはこう言い聞かせます。

「一つの手は自分のために、もう一つは船のために使え。
自分の手元だけを見て、決して下を見るな」

それでは逆に、一番船員たちに嫌われていた仕事とはなんでしょうか。

それは間違いなくこのポンプ作業だったと思われます。
このころの船は、船の水を外に出すことを人力でせねばならなかったのですが、
これは木製の船の日課といってもいい厄介な仕事でした。

午後はドッグワッチの時間、あるいはそれだけで十分でない場合、
4時間のワッチ時間の終わりにも行われました。

ポンプの仕事はハードでひどく評判の悪いものでした。
ですから、強風が隙間の詰め物が強風で飛んでいってしまったりする
木造の船に乗る人は鋼鉄の船を懐かしがったものでした。

「ポンプ、ポンプ、とにかくポンプだ。
さもなければ溺れるしかない。
波風をやり過ごすために帆をたたみ、

そしてポンプを押し続けなければならない。

船がひっくりがえって怒り狂う海に飲まれ、
時間のない世界に迷い込む前に、

とにかくポンプ、ポンプ、ポンプだ」

やってもやっても終わりがない状態の時には、無益な労働を繰り返さざるを得なかった
シーシュポスもかくやと思われる
無常感と絶望感におしひしがれたでしょう。

ただし、シーシュポスと違い、彼らの仕事には
「死なないために」という最終にして最大の目的があります。


これがポンプの断面図です。
人力で動かすしか方法がなかったというのが辛いところですね。

 

しかし「バルクルーサ」がアラスカでサケ漁を行なっていた時、
こんな事件がありました。

1904年、アラスカからサンフランシスコに向かう『バルクルーサ』は
強風に見舞われ、船内に海水が浸入して左舷側に船が傾いてしまい、
とても人力でポンプを動かしていては間に合わない、という事態になったのです。

当時、「バルクルーサ」には貨物の積み降ろしのためにドンキー・エンジン
(ここの入り口に飾ってあったあれ)が搭載されていたのですが、
この非常時に、船員はこれを使うことを思いつきました。

急遽リグでポンプのベルトを作り、ポンプをエンジンの力で回すことによって、
左傾した船体から海水を汲みだし、
無事に生還することができた、というのです。

これを思いつき、実行し、成功させた頭のいい人がいて本当によかった、
と乗員は皆胸をなでおろしたことと思われますが、
それより、急遽担ぎ出したドンキーエンジンが、あっという間にポンプのクランクを回し、
水があれよあれよと汲み出されていくのを見て、日頃ポンプ仕事を

「一番嫌な仕事」

として嫌々やっていた船員たちは、一様に

「最初からこういうの作ってくれよ・・・」

と情けない思いを抱いたのではなかったでしょうか。

だいたい、世界では(日露戦争もこの頃)石炭船が主流、
そのほかにも海底ケーブルだの無線だの科学の進歩が凄まじいこの時期、
帆船でアラスカに鮭を獲りに行かせるなどという前時代的なことを
労働者にやらせていたということ自体がブラック業界だったよね。

この上部構造物には入れないようになっていました。

ポンプの後ろにある構造物に入っていきます。
意外なくらい大きなスペースが広がっていました。

ここが昔なんだったのかはわかりません。

床はおそらく建造当時のまま。
時代を感じます。

この部屋に、「バルクルーサ」の生涯航路が地図で表されていました。

「バルクルーサ」は1886年にスコットランドで建造された船です。
1890年までは、ヨーロッパで収穫された麦をサンフランシスコに輸出していました。

その時はまだ運河が開通していないので、航路は大きく喜望峰を周り、
(ということはマラッカ海峡を帆船で超えたということですね)
太平洋を北上してサンフランシスコに到達していました。

もうこの頃には蒸気船も登場していたわけですが、優れた建造技術で
仕上げられた帆船「バルクルーサ」は、そんなことは御構い無しで
貨物を積んで世界中をまたにかけていました。

当初船員の構成は多国籍で、イギリス人が最も多く、その次に多いのがアメリカ人、
フランス人にイタリア人もいました。
アラスカでサケ漁をする頃には中国人がひどい環境で働いていたと言います。

1890年からは、「バルクルーサ」はニュージーランドにも寄港しています。
目的はイギリスのロンドンに持ち帰る羊毛と獣脂でした。

10年後には彼女はハワイ、ワシントン、オーストラリア間で
木材を主に貨物として航海を行っています。

なんども言っているように1904年からは、アラスカ・パッカーズアソシエーションが
彼女を購入し、同社のサケ漁船の一隻となり、同時に名前を

「スター・オブ・アラスカ」

と変えられました。

サンディエゴの「スター・オブ・インディア」という帆船について
ここでご紹介したことがありますが、同社のサケ漁船はその全てに
「スター」という名前がついており、自らその船を

「スター・フリート」

と呼んでいたのです。


続く。


「バルクルーサの”ピッグルーサ”ただ今トン走中」〜サンフランシスコ海事博物館

2018-05-10 | 博物館・資料館・テーマパーク

さて、サンフランシスコ海事博物館のメイン展示といってもいい、
「バルクルーサ」についてお話することにします。

バルクルーサは1860年台にイギリスで建造された貨物船です。
イギリスの旗を揚げて航行している期間、サンフランシスコには
5回、石炭と貨物をヨーロッパから運んでやってきて、帰りには
カリフォルニア産の麦を積んで戻っていったという経歴があります。

1903年から1930年までの間は、鮭缶を作る工場のために
サンフランシスコとアラスカを往復し続けました。

「バルクルーサ」は3本マスト、船殻は鋼鉄、スクエア・リグの船です。
彼女の複雑な装備と25枚の帆を海上で船を扱うには約26人の乗組員が必要でした。

さて、それでは岸壁から非常に緩やかな傾斜になるように斜めに渡された
舷梯を登って、まずは甲板と上部構造物を見ていくとしましょう。

「バルクルーサ」に乗船するための舷梯は、このように
甲板までは楽に上り下りできるようなスロープです。

帆船の気の遠くなるような数のリグを結ぶためには、
このビレイピンという独特のペグを使用します。

さすがはサンフランシスコ海事博物館の展示だけあって、今まで見てきた
展示船、展示艦の中でも説明などが大変凝っているという気がします。

手書き風のレタリングも麗しいこういった説明のボードがいたるところにあります。

で、この「ザ・カーペンターズ・シップ」というタイトルの説明ボードには。

「通常船大工は北部出身者であった」

と赤字で書いてあります。
スコットランド、フィンランド、スェーデン、ノルウェー、
ノバスコーシア(カナダ)の出身者は得てして優れた造船職人であり、
船で必要な様々な仕事において大変重用されたということです。

未完成の状態の帆柱に登って船を仕上げるような危険な仕事は
木材の伐採に関わってきた職人の得意とするところだったんですね。

ボストンで見学した「ティーパーティー」参加船のレプリカでもそうでしたが、
船の修繕を行うカーペンターズショップは甲板にありました。

甲板の上の構造物はこういう「平屋」となっていて、ここにいくつかの施設があります。

例えばその一つ、キッチン。
この写真だけ見ると、一般家庭の台所みたいです。
天井には明り採りが設けられ、明るくて何よりも風通しのいい環境。
床のタイルもオシャレですが、これは多分改装されたものでしょう。

もっとも、この船がアラスカにいるときには風通しの良さが辛いことに。

「船のコック」についての説明ボードの展示も、なんともいい感じ。
時化の船上でてんやわんやのキッチンの一コマが描かれています。

昔の船のコックはそれは大変だった。
私はその中の一人、老いたネズミのようにタフな一人を忘れられない。
彼は航海中、決して靴を履かず、ギャレーとキャビンの間を裸足で往復していた。
どんな極寒の気候であっても。
海が時化たとき、靴を履いていると転倒してしまうからというのだ。

彼は自分の鍋やフライパンなどに名前をつけて呼んでいた。
大抵は12使徒から取ったもので、ヤコブとかヨハネとか。
そして時化の時にお皿が飛んだりすると、彼らの名を罵っていた。
おそらく使徒たちもこれにはびっくりだっただろう。

 

1894年に書かれたある船長の回想です。
何に”ユダ”という名前をつけていたのか気になるところですね(笑)

昔の船は家畜、鶏や豚を積んで航海を行いました。
卵は船長や上級船員たちの口には入らない貴重な食材です。

生きたまま”食材”を連れて行くことを「ライブストック」と言いました。

ところで、1920年ごろの「バルクルーサ」にはこんな記録が残っています。
ここに入れていた豚さんが逃げ出して、乗員総出で「メリーチェイス」
(愉快な捕物)を行なったというのです。

船内報が早速出されました。

「バルクルーサのブタ”ソウクルーサ” Sowcluthaが今日檻から逃げました。
誰か彼女を見ませんでしたか?」

"sow" にはメスの豚という意味があります。
さしずめ日本なら「ブタクルーサ」「トンクルーサ」「ピッグルーサ」ってとこでしょうか。

このころのボートはこんな状態で搭載していたようです。
雨水や海水が溜まらないので方法としては頷けますが、
一体どうやって積み下ろしを行なったのか・・・・。

船内に通じる伝声管。
向こうからの声は聴こえてきたのでしょうか。

しかしこの形状、海水入ってこなかったのかな。

アラスカではこんな状態になることもよくあったようですから。

アラスカでのサケ漁に帆船が使われていた、という話を
サンディエゴの「パール・オブ・インディア」の見学で知ったとき、
なんて無謀なことをするのだと内心驚嘆したものですが、
実際にも「帆を使っての海とのバトル」は凄絶なものだったと書かれています。

激しい風雨に見舞われたとき、全ての見張り員はメイン、あるいは
前檣の帆を畳む、あるいは収納するために上に配置されました。

現場に貼られた、ぐらぐら揺れる足ロープの上に立ち、不規則に揺れる
半エーカーのカンバスを引っ掻いて指からは血が滲ませながら
彼らはガスケットが風を受けないように格闘しました。

その具体例。

「あなたが立っているところの頭上にその帆柱を見ていただくことができます」

はい。

帆柱の根元。

「コイリング・ダウン」Coiling downは「巻きおろす」作業のこと。

ここで行われていたハリヤードやクルーラインなど巻き下ろしをする作業が
絵にも描かれています。

形状と配置場所がまんまVLS(笑)

上部構造物のさらに上にデッキがあります。

この階段を登っていって上を見てみましょう。

船のトップデッキに出ました。
立入禁止区域はなく、全部をくまなく見て歩くことができます。

まずはここからの眺めを楽しみましょう。
向こう側に見えているのは左が蒸気タグボート「ヘラクレス」
右側は蒸気フェリー船「ユーリカ」です。

「ユーリカ」も今回中を見学してきましたので、またここで取り上げます。

バウスプリット越しに望むサンフランシスコの街。

タグボート「エプルトンホール」の向こうにあるのは
「CA セイヤー」というスクーナーですが、今回は公開していませんでした。

バウスプリットの上も普通に歩いていかなければならないのが船乗り。

この海に突き出た角材のことを「キャット・ヘッド」と言います。



船が入港するアプローチポイントに来ると、船の錨は
キャットヘッドから「リング・ストッパー」と呼ばれる鎖で吊るされます。

錨の反対側のチェーンはキャットヘッドにくっついていて、
「レリゴー!」・・・・じゃなく「レットゴー!」の号令が下ると、
ちょっとしたピタゴラ装置のおかげで(いいかげん)投錨が行われるのです。

キャットヘッドを全部入れるために変な角度で写しましたがお許しください。

要は錨を吊るす釣り竿みたいなものなので、両舷に突き出していて、
それが猫のひげみたいに見えるからこのネーミングだそうです。

キャットヘッド、外側から見たところ。
下部に滑車らしきものがあるようにも見えます。

上甲板から船尾側を写しました。
手前のが前檣、その後ろがメイン、一番後ろが後檣です。

「バルクルーサ」と名前の入った時鐘は長年の使用により青サビが浮いて・・・。
おそらくこれは間違いなく1886年建造時から変わらないものと思われます。

 

続く。

 

 

 


デンタル・シックベイ〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-09 | 軍艦


さて、空母「ミッドウェイ」のシックベイ、医療区画を見学しています。
続いて、医療は医療でも歯科医療のコーナーに出てきました。

あー、こんな歯医者さん、いそう。日本人でも(笑)

といういかにもな歯科医が微笑んでおります。
カーキ色の士官用勤務服の上に白衣を羽織っており、
襟につけたシルバーの「II」のようなバッジから、
階級は大尉であることがわかります。

机の上にあるバインダーは「シックコール・ログ」で、
兵員居住区の各区画から上がってきた健康に関する報告です。

ここにあるからにはただの洗面所ではなさそうです。
洗面台上の赤いプレートには

「もしまだ歯磨きとフロスをしていなければ今やってください」

とあります。
歯の診察前にちゃんと歯磨きとフロスをしていくのは常識ですが、
駆けつけた場合はここで行うのかな?

と思ったのですが、上の「ミッドウェイ・デンタル・デパートメント」
という説明によると、ここは「口腔衛生室」。

この洗面台は、歯科衛生士による歯磨き指導が行われ、
また濃縮フッ素を塗布するためだけに存在します。

アメリカ人が口腔衛生を非常に重視する国民であることは有名ですが、
まさか軍艦内にここまでするプログラムが存在しているとは・・・。

それもそのはずで、日本ではまだ少数派に属する予防歯科という概念を
アメリカでは全海軍が重点的に推し進めているからです。

アメリカでは歯の白さはもちろん、歯並びで人間を判断するというのは本当で、
歯並びが悪いと家の貧困や教育の程度までを疑われてしまいます。

「あそこまでこだわるのは異常だ」

それを知る日本人にはこんなことを言う人もいますが、
審美的なこと以前に、口腔衛生を彼らがこれほど重視すると言うのは、
口腔の状態が悪いとそれが誘因となって病気や不健康な状態をを引き起こす、
というのが常識となっているからです。

ここは全部歯科の区画となります。
広い。とにかく広いスペースが全部歯科専門の分野です。

歯科技工士の専門のラボラトリーがありました。

ここでは歯科治療に必要な、差し歯や総入れ歯(必要な人がいれば)
から金歯、ポーセリン・クラウン(被せ物)を作ることができました。

専門の技術を学んだ二人のスタッフがここで作業をしており、
一人は主にセラミックの歯を作る技術に習熟していました。

金や銀の歯は「ロストワックス」という方法で作られ、
この部屋の奥にある遠心式の鋳造機で製造していました。

Dental laboratory casting

どんなものか具体的に見たい方はどうぞ。
時間がない方は1:30あたりからで十分です。

こちらの方がセラミックの専門家ですね。

この辺りに研磨機とか、その遠心鋳造機などがあります。
空母勤務の乗員はここが生活の場そのものなので、

「歯が悪くなったけど今度上陸した時まで我慢しなきゃ」

などということでは海軍の目指す歯の健康は保たれません。
船の上の虫歯は船の上で治す。
「ミッドウェイ」の上で全て完結してこそそれは可能となるのです。

治療室その1。

棚の上に「リングフラッシュ」というカメラが置いてありますね。
これは歯科で口腔内の状態をカルテに残すために使うカメラで、
レンズの周りにフラッシュをつけることによって、接写の際、
被写体の影が映り込むことを避ける機能を持ちます。

わたしの通っている歯医者では、Nikonのメディカルニッコールを使用していますが、
このカメラがどこのものかはこの距離からはわかりませんでした。

壁には歯科医の免許が額に入れて貼ってあります。
日本の歯科医大学を出た歯科医はあまりやらないようですが、
アメリカでは大学の卒業証書を診察室や待合室に掲げる医師がほとんどです。

日本で開業している医師も、海外の大学を出た医師はそうしています。

息子の矯正歯科医は、コロンビア大学の卒業クラスの顔写真入りの証書を飾っていて、
同級生のアフリカ系のヘアがブロッコリー風だったり、白人男性は
もみあげが妙に長かったり、という時代が感じられる写真の中に
失礼ながら今では見る影もない青年だった頃の先生の姿があります。

「アーリーミッドウェイ」というのは就役した1945年から70年代までくらいでしょうか。

 

施術室その2。

こういうのが当時の典型的な歯科治療用の椅子で、ここでも使われていました。
歯を削るのに使われたドリルはベルト回転式で5,000rpm /1分間といったところでしたが、
これでもかなり速度的に改善した方だと言います。
ちなみに現在のエアタービン式によるドリルの速さは30万〜40万rpmくらいです。


昔は麻酔していたとしてもかなり痛みがあったんじゃないでしょうか。
そして次にわたしのこの推測を裏付ける展示が現れました。

このコーナーに近づいていくと、なにやら男のうめき声が聴こえてきました。

「あう〜〜〜・・ああ〜〜〜・・」

という苦悶の声がエンドレスで流され、写真の治療中の乗員が
あまりの痛さに叫んでいるということが部屋を覗いて判明しました。

それにしても、今の歯科治療って、そんなイメージありませんよね?

わたしも過去の治療で親知らずの抜歯を含め、痛い思いをしたことはありませんし、
昔歯科矯正に通っていた大学病院で、待ち時間に歯を削っていたらしい
おじさんかお爺さんの絶叫を一度だけ聞いたことがあるという程度です。

「このころの歯医者は痛かった」

という説にはちゃんとした理由があって、まず一つは麻酔の針。
現在は大変細い針が出ていて、麻酔が歯茎に確実に刺さるため、
ちゃんと麻酔が効いてなにをしても痛みを感じなくなったこと。

もう一つは、昔は歯の接着剤が良くなかったため、詰めものがとれないように、
深く削って詰めなければならなかったのが、15年ほど前から優れた接着剤が登場し、
大きく削らなくともよくなったのだとか。

ちなみに日本製の接着剤はこの分野では世界のトップで世界に輸出しているそうです。

とにかく、この患者さんは麻酔をされても深く削らなくてはならなくなって、
治療中に大の男が大声をあげてしまっているというわけ。

この展示は渾身のできで(笑)ご丁寧にも患者さんの脚が
交互にバタバタ動いていました。

当時、せめて日本製の優秀な接着剤が世に出ていれば、
この患者さんもここまで苦しまなくて済んだのかもしれません。

治療室その3。

やっぱり何千人もが生活する空母では、1日に何人もが歯科治療に訪れるのでしょう。
治療が必要な状態になるまえに、予防歯科で虫歯を作らないようにするのが
海軍の目標である、ということのはずですが、実際はどんなに啓蒙しても
虫歯になってしまう人が出てきてしまうのが常なので、おそらく海軍は乗員に
定期的な歯のチェックと清掃を義務付けていたのだろうと思われます。

ちなみにわたしのようにミュータンス菌を生来持っておらず、
(残念ながらラクトバチラス菌はいるらしいけど)
毎日のケアに異常なくらいの熱意を払っているような人間であっても、
歯周病との戦いにおいては最近負けが込んでいるというくらい、
人間の歯というのは普通にやっていては健康を保つことが難しいものなのです。

この部屋では被せ物や義歯を患者に作るための検査と、できた歯を
装着するという作業が行われていたらしいですね。

部屋の上のこれ、今でも全く同じの使いますよね!

クラウンなどを作るためには、まず口の中を再現するために
石膏の模型を作るのですが、このシャベルみたいなのにワックスを乗せて、
口に突っ込み、そのまま固定させて何分かじっとそのままにしておくのです。

時間が来たら「んがっ」という感じでシャベルを引き抜くと、
ワックスに歯の形がそのまま残っているので、それを使って
石膏を流し込み、歯型を作って、噛み合わせを再現するのです。

どれだけの患者がこの治療を必要とするのかわかりませんが、
歯型を保存しておくだけでも結構なスペースを取ったはずなのに、
さすがはアメリカの軍艦、その手間と空間を確保していたんですね。

人工的にクラウンを作るときに必ず見せられる歯の色見本。
その奥のグリーンのものは、右上の白いトレイに詰めて、
石膏型を作るための型取りワックスです。

グリーンの横には型取をしてワックスで形を作り、鋳鉄して作った
金属の歯に降下プラスチックを貼り付けた歯が石膏型にはまっています。

患者さんが来たら、これからこの歯を装着するのです。

なんども言いますが、これらの治療を空母の上でやっていたとは驚きです。

「ミッドウェイのデンタルな野郎ども」

の顔写真コーナー。

司令官(左上)から順番に

シニア・デンタル・オフィサー(中佐)

LCDR(liutenant commander) (少佐)

CPOであるチーフ以下下士官のDT (デンタル・テクニシャン)

シーマンが中心のDN(デンタル・ナース)

という構成です。

電卓と電動タイプライターのある机。
ファイルには縦書きで

「デンジャラス・ドラッグス」
「医療計画」
「ホスピタル・コーア」(医療部隊)
「予防メソッド」「手術メソッド」

そして歯科関係の医学書などが並んでいます。

レントゲンを撮る部屋です。
毎日のようにX線で撮影を行うため、部屋は銅でシールドされていました。

これも、歯科医でX線撮影をしたことがある方ならご存知だと思いますが、
写真は、口の中に写真を撮る幹部に当てるように小型のフィルムをセットし、
(プラスチックの器具を無理無理口に抉じ入れるので痛い時もある)』
外側に器具を当ててドアの外に出て、撮影を行います。

今はデジタルですぐさま画像を見ることができますが、
この頃はいちいち現像を行なっていました。

現像室は冒頭写真の部屋の後ろ側にあります。

会計も行うのだと思いますが、チェックインもここで行なったようです。
窓の上に大きく

「カバーを外してください」

とあります。
保険証とか、IDとかのカバー?

その上には

「先にチェックインしてから座ってください」

こんなことをわざわざ書かなくてはいけないとは・・。

受付に座っているSaluta (サルタ)さんの表情がなんとも言えない
いい味を出しているので冒頭写真でもアップにしておきました。

痛いのが当たり前だった頃の歯科の受付として、
彼はこのスマイルでここに来る気の毒な人々を癒していたのでしょう。


続く

 

 


ジェネラル・クォーターズ(想定訓練)〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-07 | 軍艦

 

前回、「ミッドウェイ」の医療区画についてお話ししましたが、
今日のテーマは負傷者救助を含む訓練です。

前回こわーい警衛のおじさんが立っていたメスデッキのブースの近くに、
救急救命用のステーションがありました。

駆逐艦「JPケネディJr.」でも見たのと同じストレッチャーです。

メディックのウィスラーさんが佇んでいます。
ここはバトルドレッシングルーム、戦闘時に負傷したものの応急手当てをします。

何かあったとき、ここで怪我の程度を判断し、
シックベイに送る優先順位を決定するトリアージもここで行います。

 

バトルドレッシングルーム内部。
トリアージや搬送にかかる前に大きな十字のついた上着を上から着て、
負傷者が倒れていた場合のために器具の入ったショルダーバッグを背負います。

半裸で目を剥いた人が治療を受けていますが、ご安心ください。
これは実戦ではなく戦闘訓練中、負傷したという設定です。

訓練中、負傷者認定された乗員はメスデッキのここ、
トリアージステーションに行かねばなりませんでした。
ただし、何人かはメディックの訓練のため倒れたところで
そのまま手当を受け(るふりをさせられ)ることになります。

バトルドレッシングステーションは、広い空母の一箇所ではなく、
いたるところに点在していました。

日本語でどういうのかわかりませんが、「ジェネラル・クォーターズ」って
聞いたことがありますか?
よくアメリカの戦争映画で、(真珠湾攻撃の時とかね)

「This is not a drill. this is not a drill 」(これは訓練ではない)

という放送があるじゃないですか。
GQはこの「訓練」のことで、「これは訓練である」に続き、

「General quarters, general quarters, 

All hands man your battlestations.」

全ての(担当)者はバトルステーションに行け、
とコールするわけです。

冒頭のYouTubeは、かつてこのブログでも取り扱った映画
「ファイナル・カウントダウン」における1シーンですが、
最初に上記通りのことがアナウンスされています。


ジェネラル・クォーターズ、バトル・ステーションズ、または
アクション・ステーションズとも言われるこの警告音が鳴ると、
各々の医療ステーションには少人数のメディッククルーと医師、
あるいは歯科医が駆けつけて待機します。

海軍では軍艦に乗り込む歯科医は、全て止血と応急手当てについて
最大限の訓練を受けることになっているのです。

 

GQで発生した負傷者の傷の具合を観察し、トリアージを行うと、
この近くにある手術室に送り込む患者と、手元で治療をする患者に分け、
より重症者や一刻を争う負傷者はすぐさま手術室に搬送されます。

 

このジェネラル・クォーターズ、GQについてお話ししておきましょう。

 

GQは艦内全域が対象で、特にフライトデッキとハンガーベイを中心に行われます。
予告されて行われますが、発令された時、フライトデッキにいる者はそこに残り、
ハンガーベイにいればやはりそこに残ることになります。

各ショップにいる者は、訓練内容に応じて参加したりしなかったり。
冒頭のシーンでは、ショップからも全員が出て行く様子が描かれています。


乗員にとってのこの訓練目的は消火と負傷者救出で、フライトデッキとハンガーベイ、
同時に行われ、乗員はたまたまどちらかにいたら、そこでの活動に参加します。


参加の際気をつけることは、

「ズボンの裾を靴下の中に入れる」「まくってある袖はおろす」

だそうです。
訓練の行われる時間はまちまちで、午後8時から開始という場合もあったようです。

艦長から

「ミッドウェイ、艦長だ。
たった今、ミッドウェイのインテリジェンスから、イランから飛び立った
ミグ戦闘機が2機、ミッドウェイに接近中との連絡が入った。
ミサイル攻撃の可能性がある。GQに入る!」

と説明がなされると、身の毛もよだつような

グオーン、グオーン、グオーン

という警報音が艦内に鳴り響きます。

「これは訓練である。これは訓練である。
ジェネラルクォーターズ、ジェネラルクォーターズ。
総員戦闘配置につけ!」


うおおお、かっこいい!
やっぱ海軍軍人になったらこういうこと言ってみたいよね。
たとえ訓練でも。

そして、訓練は2時間各所で行われます。

たとえば、フライトデッキでは・・・。

「さあ、みんな、GQだ。戦闘配置につけ」

と、エアボスの静かで落ち着いた声がフライトデッキに流れる。
その直後、それまで真っ暗だったフライト・デッキにライトが点灯し、
デッキの上は昼間のように明るくなる。
そして、数百人がそれぞれの持ち場につき、次の指示を待つ。

が、なかには訓練の参加を嫌がり、そっとデッキから離れ、
どこかに雲隠れする不届きものも必ず何人かいる。

後でハンドラーの子分の小僧たちに見つかり、晒し首にさせられるのが関の山だ。

(J.スミス『空母ミッドウェイ』)

ハンドラーというのは中佐職で、フライトデッキとハンガーベイの責任者。
艦載機用のエレベーターなども、この人の許可がなければ作動しません。

彼の下で働いている「小僧たち(ボーイズ)」は、ハンドラーが放つ歩兵で、
ハンドラーの指示がなければ一歩も動かず、その絶対的な権限をかさにきて
皆が威張っています。
サボっている人たちをショップの「穴ぐら」からつついて追い立てる、
というなかなか楽しそうな仕事も彼らの特権でした。

GQ訓練の想定はいつも同じではなく、たまに何もなかった、という状況で
作戦本部だけの訓練に終わることもあり、皆はそれを期待するのですが、
どっこい上層部の気分によっては(たぶん)そうは行かないこともあります。

最悪のパターンというのは・・・・・

「ミグ戦闘機からミサイル発射!ショックに備えよ!」

皆デッキに伏せたり、手近なものに捕まったりして衝撃に備えますが、
訓練だからとぼーっと立っていたり無駄口を叩いていると、
黄色いシャツの小僧たちに大声で怒鳴られることになります。

アメリカ人が好きな「非常時のジョーク」も海の上ではご法度です。

そして、ミサイルが命中し、火災が発生したというアナウンスがあると、
その時は皆にとってもっとも嫌なシナリオとなるのです。

ファイアーマンである赤いシャツが消火活動を行う間に、
黄色シャツが牽引車を火災現場に急行させ、引火を防ぐために
火災現場から艦載機を移動します。

移動される艦載機にはブレーキ・ライダーという名前はちょっとかっこいいですが、
なんのことはないコクピットに乗って万が一の場合に備える係が呼ばれ、
全力疾走でフライトデッキを駆け抜けて飛び乗ります。

この全力疾走具合がエアボスのお気に召さないと、その航空部隊の
FDC(フライトデッキ・コーディネーター)は後日彼に個人的にご招待を受け、
蛇に睨まれたカエルの気分を満喫することになるのです。

FDCというのは各艦載機部隊に一人いて、フライトデッキを仕切る下士官です。
一般的に「部隊の生贄」と呼ばれており、こういう場合文字通り
生贄のカエルとなって叱られるというチーフの中でも損な役割の人です。

火災現場では、黄色シャツが主導して炎上している艦載機を
放射状に取り囲むように縦数十人の列が数カ所にできると、
黄色いシャツが前から順番に、

「消火ホースを持って位置につけ」

「消火器を持って後に続け」

「担架を持って待機」

「情報伝達せよ」

などと次々に指示を出していきます。

自分の仕事が終わると、すぐさまもう一度列に並ぶことになりますが、
短い列に並ぶとすぐに指示を出されることになるので、皆
自然と長い列の後ろを選んで並ぶのだそうです(笑)


この中でも消火活動に配置された人は不運で、2時間の間黄色シャツやボースンから

「おい、こら!なんだそのホースの握り方は!
もっと上下に大きく動かせ!」

などと怒鳴られながら、水の出ていないホースを動かして消火するふりをします。
さらに、火災が他の機体に広がり、爆発して負傷者が出た、ということになると、
負傷者に認定された者は怪我を負ったふりをしたり、死んだふりをして
デッキに横たわり、じっと救助がやってくるのを待つのです。

 

かたや救助者に認定されると、艦内いたるところにある担架を持って、
倒れている人を乗せて診療所まで運んでいくのですが、これが大変。

自衛隊で同じ訓練をしても、担架で運ぶ人の体重が重すぎる、
というようなことは滅多にないと思われますが、アメリカ人というのは
普通に100キロ超える体重の人がゴロゴロしていますからね。

倒れている人が巨漢だと、

「ちょと起きてあそこまで歩いてくれんか」

「ノー、俺は足を骨折してるんで歩けねえ。運べ」

などという会話がこそこそ囁かれ、途端に

「こらあ、出血多量で死ぬぞ!さっさと運ばんか!」

と黄色シャツから怒鳴られる羽目になります。

 

ハンガーベイでは、想定現場が自分のショップと離れていると

「ベイ2だって・・・行く?」

「ここベイ1だし、行かなくてもいいんじゃね?」

などと言いつつ、小僧たちが今にも来そうで気が気でない者がいれば、
そんな時にも現場がどこであろうとすぐに飛び出して行く愚直な人もいます。

どんな社会にもこういう二種類の人間がいるものです。


艦載機が火災になった、というお知らせは

「火災発生、ベイ1、機体番号612、HC-1、ヒーロー」

などとアナウンスされますが、これが自分のところの機だったとなると、
全員が否が応でも現場に直行することになります。

自分の部隊の艦載機が火災になるというのもかなりの低確率ですが、
下手すると1000はあろうかというコンパートメントの一つが
火災発生の想定場所で、それがたまたま自分のコンパートメントだった、
などというのは宝くじに当たるようなものだったそうです。

「神」であるところのメインテナンスコントロールのマスター・チーフは
自分のヒーローが火災になったとなると、インターホンに向かって

「お前ら全員消火活動に参加してるか?おい、こら返事しろ」

などと、もうすでに誰もいないショップに向かって怒鳴り続けるのが仕事ですが、
そんなチーフも自分のコンパートメントが火事になったとなると・・。

「火災発生、コンパートメントナンバー02、HC-1、メンテナンスコントロール」

「おっ、聞いたか、うちのメインテナンスコントロールだ!
おもしれえ!マスターチーフ、今頃慌ててるぞ!」 (空母ミッドウェイ)

などと下の者は面白がります。



1991年の湾岸戦争の前後には、火災、救出活動と同時に、化学、生物、
もちろん核兵器という
攻撃を受けた場合の想定訓練も行われました。

イラクが実際に毒ガスを使ったという事実もあり、「ミッドウェイ」では
ガスマスクの装着訓練は頻繁に行われていました。


練習はまず部隊ごとに数人のグループに分かれ、なんどもなんども、
マスクと防護服を確実に、指定された時間内に装着できるようにします。
それができるようになると、検査官のテストを受けることになります。

このテストとは、特別に訓練を受けた検査官によって行われます。

マスクをつけた検査官と防具を持った被験者が特設の小さな部屋に入ると、
電気が消されて部屋の中は真っ暗にされます。

入室時にドキドキしていた被験者も、そのうちアメリカ人らしく雑談を始め、
マスクをした検査官はダース・ベイダーの声で雑談に加わり(笑)
和やかな雰囲気になったと思った頃を見計らって、
部屋に催涙ガスのようなものが流れ込んで来ます。

シューという音にたちまちパニックに陥る被験者たち。

しかしダース・ベイダーが、

「マスクは合図があるまで装着するな」

「ひえー!目が痛い!喉も痛い!検査官、ガスが出てるぞう!」

「わかっとるわかっとる」

わかっとるわかっとるって、自分はマスクしてるじゃねーかよ!
わかってねえ、オメーはわかってねーよ、と心で罵りながら苦しんでいると、
30秒たってようやく検査官、

「よし、マスクを装着しろ」

しかし練習の段階で目をつぶったままでも装着できるようになっていたはずなのに、
慌てているのと部屋が暗いので皆思うようにできません。

訓練がこれから行われる、と心の準備ができているのと、
想定外の手順で来られるのでは全く勝手が違うということを
身を以て知るための「検査という名の訓練」だったというわけです。

 

GQの頻度は週に1度、多くて2度というものですが、訓練の内容がよくない、
と判断されると、二日、時として三日連続で行われることもありました。

もちろん連日の訓練に乗員は全員が辛い思いをすることになりますが、
そんな時にはかえって緊張感が出て結局は充実した内容になることが多かったそうです。

 

ちなみに、GQが始まって早々に負傷者になると、何もしなくていいので、
特に死亡者に割り当てられると「ラッキー」と皆が思ったとか。

 

続く。


参考:「空母ミッドウェイ アメリカ下士官の航海記」J. スミス著


シック・コール〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-06 | 軍艦

「ミッドウェイ」シリーズ、続きです。
前回の「CPOは神」シリーズ、お楽しみいただけたでしょうか。

アドミラルから始まって、各ランクのビルを飛び越す跳躍力、
機関車と比べた場合のパワー、水面を歩けるか、神との関係、
という比較対象はは少佐まではとんでもなく人間離れしていますが、
大尉から急に「犬かき」とか「壁と喋る」とか普通の人間以下になってきて、
中尉は普通に「ダメな大人」レベル、少尉になると、

ビルに入ろうとするときにドアの階段でこける;
「見てー!ポッポー!汽車ポッポー!」と喋れる;
水鉄砲で自分がびしょ濡れになる;
水たまりで遊ぶことができる;
独り言を言う

これまんま二歳児じゃないですか・・・。

しかし、これらの段階を全てぶっちぎって、CPOは神、
と自分たちで言ってしまうのがCPOのCPOたる所以なのでしょう。

つまり海軍で一番実力があるのは俺たちだぞ、と。

「少尉からCPOになれないのはおかしい気がする」

という疑問の答えがまさにここにあります。
彼ら自身は自分より一階級上の少尉を二歳児だと思っているわけですからね。

ちなみに中尉の「救命具で浮いていることができる」ですが、
原文では

「Can stay afloat~ in the Mae West」

メイ・ウェスト?そんな女優さんいたわね。
ちなみにアメリカの俗語では、救命具のことを彼女の豊満な体型にたとえて
「メイ・ウェスト」と呼ぶこともあるんだそうです。

これか。こりゃ確かにメイ・ウェスト(救命具)だわ・・・・。

またひとつ、どうでもいい知識を得てしまった。

 

さて、ここからはバトルステーションから本格的に負傷者を送り込むシックベイ、
軍艦の医療施設が集まった区画となります。

シックベイに行くには、メスデッキからさらに一階下に降りなくてはなりません。
重症者はもしかしたらさっきの担架でここから降ろしたのかしら。

だとしたら、GQ(想定訓練)では早いところ怪我するか死ぬ人が勝ちってことだ。

ここからがメインの医療施設・・・なのですが、なに?

「帽子を取ってください」

だと・・・?
医療関係者、特に医師に敬意を表しましょう、ってことでしょうか。
ドアに直接貼り付けた注意書きなので、当時からあったのだと思いますが、
わざわざこんな大書しなければいけなかったのでしょうか。

それと「これは演習である」のGQの時にはもちろん無視でいいんですよね?

毎朝8時と夕方の4時、1日に二回、水兵たちは健康診断をして、その
健康診断書をシック・ベイに繋がるラッタルの下からピックアップする仕組みでした。
これを「シック・コール」と言います。

彼らは医師か医療軍曹にスクリーニングを受けるため、順序を待ちます。

もし咳が出るとか、捻挫、縫合が必要な切り傷、微熱が出たと言った場合には
最優先で手当をしてもらえます。
もし甚だ深刻な状態であれば、検査のためもう一度診察を受け、
場合によっては入院して治療を受けることになります。

一度そのような手当を受けた患者は、治れば元の配置に戻りますが、
「制限されたデューティ」、ベッドで休むことを含む軽い労働に回され、
危険だったり重労働の職場には、医師の許可が出てからでないと戻れません。

二段ベッドに風呂釜のようなもの、奥の青いドアには

「PATIENT HEAD」

とあります。
患者の、・・・・?

下には掃除を1000から1100の間に行うこと、とあります。
ということは、これは患者様のトイレということですね。

アメリカ海軍ではトイレのことを「ヘッド」と呼ぶ、ということは
このブログでもなんどもお話ししてきていますが、あくまでもそれは
隠語的な名称であって、まさかこんな堂々とヘッドと称してるとは思いませんでした。

なんども説明しておりますが、なぜヘッドというかというと、帆船時代
トイレは舳先に設けてあり、そこから自動的に色々を海に落下させる作りだったからです。

ここで治療を受けるのは海軍軍人以外にいないので、表記もこうしているのです。

下の方にバスと書いてあるので患者用の風呂であることは間違いありませんが、
問題はこんなお風呂にどうやって患者を入れるかですね。

いくら脚の長いアメリカ人でも跨いで入ることはできないだろうし、
そもそも患者という状態の人がそんなことできるのか?

疑問を解く鍵はバスタブの左にある器具だと思います。
覗き込んでみれば何かわかったのかもしれませんが、先を急いでいて
その余裕がありませんでした。

先ほども言ったように、「ミッドウェイ」の医療機関は大変充実していて、
1日2回、「シックコール」と呼ばれる乗員の健康報告がなされていました。

そして空母ほど大きな船となると、バトルドレッシングステーションはあちこちにあり、
ヘルスサービスが、必要に応じていくらでも受けられました。

写真は練習か本物かわかりませんが、手術中です。

手術室です。

船の中という極度に限られたスペースでありながらも、「ミッドウェイ」では
事故や戦闘で受けた外傷に幅広く対応できる手術室をふんだんに備えています。

荒天時にはあたかも航空部隊が飛行作業を中止するように、艦内で手術中、
艦長はできるだけ艦体が動揺しないような操舵を命じます。

実際にそういうことがあったかどうかは記録にありませんが、
おそらく想定訓練の時にはそういうことも訓練されたのでしょう。

検査室のようです。
船の上では人間の、例えば兵員の持ち物ロッカーひとり分のスペースなどより
ずっと大きな薬棚があります。

シャーレに入れたものを拡大する電子顕微鏡は作り付けです。
片目で覗き込むアナログのとは全く違う形をしています。
直接写真も撮れる機種ではないでしょうか。

こちらは可動式の電子顕微鏡ですが・・・メーカーはオリンパスだ!

皆さんの中には、オリンパスがカメラの会社だと思っておられる方もいるかもしれませんが、
実は1919年に高千穂製作所が創業した時から顕微鏡などの理化学機器が専門で、
現在も国内医療光学機器のシェアは70パーセントを超えるのです。

余談ですが、オリンパスという名前は、最初の社名に使った「高千穂」が
神々の山だったっことから、

ギリシャの神々の山=オリンポス→オリンパス

ということで戦後になって「オリンパス光学」を社名にしたのだそうです。

実際に「ミッドウェイ」がオリンパスを使っていたのだとしたら、
これは横須賀時代に導入されたという可能性もありますね。

薬品とビーカー、フラスコなどの器具が並んだ戸棚。
特にガラス戸などは付いていないようですが、船が動揺したとき
棚から物が落ちたりしなかったのでしょうか。

それとも空母はよっぽどのことがないとそんなに揺れない?

こちらはガラスの扉の中に薬が並んでいますが、よく見ると
サーモンから取った骨粗鬆症の薬だったり、ケトロラックトロメタミン
(非ステロイド性消炎鎮痛剤の経鼻用スプレー剤)だったりと、
言っては何ですが、大した薬はありません。

この辺りは明らかに展示用にどこからか調達してきたものだと思われます。

薬剤師の資格を持つ乗員(准尉とか?)がお仕事中。

無影灯があるのでここでも手術は可能です。
手術用器械を置くスタンドも用意してあります。

手術室がいくつもあるということは、そこで稼働できるだけの
医療関係者も乗艦していたということになります。

殺菌棚には緑色の手術着が4着スタンバイ。

「SCUTTLEBUTT」(スカットルバット)というのは「噂」という意味です。
(今息子にこんな言葉使う?と聞くと、古すぎて使わないといっています)

このウォーターファウンテン、水飲み器はもう使われていませんが、
その「噂」によると、本当に「ミッドウェイ」に乗っていたものだとか。

70年代からずっと「ミッドウェイ」の上にあって酷使に耐えてきたというのですが、
それが「噂」になるということは、これ即ち展示されている機器の類は
ほとんどがオリジナルではない、ということの証明でもありますね。

診察を受ける部屋には医師の姿なし。
右手を怪我してしまった水兵さんだけが待たされている間腹筋運動をしています。

彼の座っている診察台には紙がしいてありますが、これはアメリカの医療機関で
今でも普通に見られ、一人の患者を見終わったら、ロールを引き出して
新しい紙に取り替えてしまうという衛生的なものです。

息子をボストンのチルドレンズ・ホスピタルに(ほとんど物見遊山で)
治療に連れていったときに受けた診察室もこうなっていたのですが、
先生はわたしたちに説明しながら盛んに紙に落書き(本人は説明に使っている)
していて、そこは診療が終わればそこは捨ててしまう部分なので、
実に合理的?な仕組みだと感心した覚えがあります。

そういうことをするために使い捨て紙にしてるんじゃないとは思いますが。


こちらはレントゲン室。
何とこの乗組員、足を骨折してしまったようです。
緑のシャツを着ているということは、彼の仕事は

射出・着艦装置士官
貨物操作員、ヘリ着艦信号下士官
地上支援機材修理係

のどれかということになりますが、士官ではなさそうなので、
貨物の操作という、もっとも怪我しそうな部署の人だと推測します。

貨物の操作していて脚を骨折って、何をやった・・・・((((;゚Д゚)))))))

 

 

 

続く。



サンフランシスコ海事博物館

2018-05-05 | 博物館・資料館・テーマパーク

 

サンフランシスコに住み、毎年訪れているにも関わらず、
フィッシャーマンワーフにあるこの海事博物館をわたしは今まで
ちゃんと見学したことがありませんでした。

以前「ジェレマイア・オブライエン」について書いたときに、

「ここにはバルクルーサという帆船も展示されているよ」

と教えていただいていたので、前回の訪問の時に行ってまいりました。

いつ行っても激混みなので、フィッシャーマンズワーフのお店には基本昼間入ったことがなく、
どんな店があるかも全く把握していなかったのですが、ここも
それなりに新しいお店に入れ替わっていっているようです。

スシアンドバー、フライング・ニンジャ。

ニンジャはわかるとしてなぜ「フライング」なのか。
こういうネーミングをする寿司屋はまず間違いなく日本人の経営ではありません。

メニューの見本写真が、全く海苔を外側に巻かない
(アメリカ人は黒い海苔が巻いてあると食欲が湧かないらしい)
いわゆるカリフォルニア巻きといわれるものばかりですが、
これも非日本人の経営する店であることを物語っています。

さて、サンフランシスコ海事博物館は、フィッシャマンズワーフの外れ、
埠頭側の一角全てを使って船舶と海事に関するものの展示を行っています。

これは海側からチケット売り場(右手建物)を見たところで、
サンフランシスコ名物の坂道が前方に続いていきます。

「There's more to see」(こんなものもあります)の看板で
隠されている部分から、ハイド・ストリートの坂は急斜面となり、
そこでは車は
道路に対して直角に停めなくてはいけません。

(縦列駐車では転がる危険があるので)

赤い囲みがエントランスの写真の部分ですが、これを見て
ここにまだ行ったことがない「マリタイム・ミュージアム」があることを知りました。
写真左下の3番の部分です。

今度行ったら訪ねなくては・・・。

それにしても海事博物館の規模の大きなこと。

エントランスからまっすぐ歩いていくと、係留された船を見学することができる
岸壁が現れるのですが、その光景の中にあるものを発見。

「人が・・・・泳いでる・・?」

泳いでるむっちゃ泳いでる。
それもぷかぷか背泳ぎや平泳ぎなんかではない、本気のクロールだ。

まあもっとも、この辺は水温が異常に低いので(アルカトラズ監獄から囚人が
どうしても海を泳いで脱出できなかった理由の一つ)、
ちんたら泳いでいたら体が凍えて溺れてしまうこと確実。

ちなみにこれは8月の映像ですが、フィッシャーマンズワーフは夏場でも風が強く
寒いので、
こんな風に砂浜で裸になっている人を見たら、大抵は

「この寒いのになんて物好きな・・・・」

という気持ちになること請け合い。

木の桟橋もあり、ゴムボートが干してあります。

砂浜に下りて泳いでも、船に乗っても咎める人はいないので、
子供達がこうやってボートごっこで遊ぶこともできます。

アメリカ映画の農場風景で見たことがあるような機械がありました。
サイロのようなボイラーのような・・・。

これは何かと言いますと、

スチーム・ドンキー・エンジン

です。
ドンキーというのはその通り、ロバのことで、その語源はwikipediaによると、
語帆船に設置して荷の積み下ろしを行うウィンチを動かしたり、帆を揚げたり、
ポンプの動力となった小さなエンジンのことを「ドンキー」と言ったから。

・・・・というのですが、それってなぜドンキーなのかという説明になってないよね。

現地の説明には

「昔は馬がやっていた仕事が置き換わったから」

いやだからなんでロバなんだよー!

写真は1920年ごろ撮られた、ここサンフランシスコの港での荷積み風景。
ここには「二つのドンキーがある」と説明があり、わたしは最初、
中央に写っている動物がロバなんだと錯覚していました。

もちろんこれはドンキーエンジンのことです。

1800年代終わり頃登場したドンキーエンジンですが、使用期間は
せいぜい1920年までと大変短い流行であったようです。

この機械は特に説明がなかったのですが、後ろに「ロープ」の
宣伝看板があるところを見ると、ロープを巻き上げるウィンチかも。

これはディズニーシーに行ったことがある人なら知ってるはず。
蒸気船の後ろで推進する水車のようなホイールですよね?

こういうのを英語では「リバーボート」「パドルボート」「パドルホイーラー」、
日本語では「蒸気外車線」「外輪船」などと称します。

中でも、これが船尾に一つついたタイプを「スターンホイール」と呼びます。

サンフランシスコ湾を内陸に北上していくと、「ペタルマ」という街があります。

このホイールは、今のように橋と陸上交通で都市間が結ばれていなかった19世紀、
そこを拠点としてサンフランシスコ湾(正確にはサンペドロ湾)
の内陸の交通に活躍したスターンホイーラーに装着してあったものです。

ここの説明によると、この地方の交通がスターンホイーラーに依存していたのは
103年間、まる一世紀の間であったということです。

海に浮いて動かすことができるので、これは何かというとボートです。
しかし、ボートというよりは家。ハウスボートです。

波が穏やかで転覆の心配のないサンフランシスコのベルヴェデア湾付近では
このような家が流行った時期がありました。

「アーク」というのは普通に「ノアの箱舟」のことですが、
そこで暮らせるだけの設備を持った箱舟は「アーク」と呼ばれました。

もちろん香港の人たちのようにそこにずっと住むのではなく、
あくまでも「サマー・ハイドウェイ」(夏の隠れ家)です。

つまり当時のリッチな人たち専用のお遊びみたいなものですね。

このアークは1900年に作られ、何人かのオーナーを経て
1960年代に海事博物館に寄付されました。

それでは中を見ていきましょう。
絨毯は豪華ですし、椅子の手すりにライオンが彫刻されているのが目を引きます。

足踏みオルガンも当時の最高級品のように思えます。
コーナーにあるのはコートハンガーでしょう。

なんと、船内に暖炉があります。
暖炉の煙突は背後から外に出ているのでしょうか。


転倒しないように低い本棚には、本がたくさん。
当時のアメリカ人の余暇の過ごし方というのは読書に音楽、
デッキから釣り糸を垂らしたり、泳ぐこともあったのでしょうか。

寝室のベッドは作りつけです。
キルトのベッドカバーが可愛らしいですね。

こちらキッチン。あれ?コンロは使わなかったのかな?

シンクに向かって調理台が傾斜していますが、これがもし
水はけを良くするための工夫ならちょっとすごい。

ダイニングルーム。
やはり船の上なので大仰な家具は置かないものなんですね。

右側にシャワールームがあります。

船ではバスルームのことを「ヘッド」と称することが多いですが、
このハウスボートでは普通に「バスルーム」で、
湾岸に係留されてビーチコテージにされていた時期もありました。

つまりあくまでも家主体で「船扱い」ではなかったということです。

 

食品棚、あるいはもしかしたら冷蔵庫(氷を入れて使う)でしょうか。


ハウスボートの見学を終わると、そこに工房がありました。

SHIPWRIGHT SHOP とあります。
見てもわかるように、シップライトとは「船大工」を意味します。

 

サンフランシスコベイエリアの多くの船大工は、彼のシップヤードを
しばしば高い木が多く生えている森の中に作ったという話です。

木工するのに必要な材料の輸送の必要がなかったという理由だったとか。

この木工ショップは展示などではなく、実際に展示する船の部品などを
ここで調整したり復元したりしています。

 

ショップの奥に「バルクルーサ」と書かれた何かがあります。
「バルクルーサ」はサンディエゴの「パール・オブ・インディア」の仲間で、
やはりアラスカでサーモンなどを採っていた帆船です。

この近くで展示を行っています。

「ボニータ」という名前のついたなんの変哲も無いボートがありました。

この小さな船は積荷(主に木材)を地上から船へ、船から地上に下ろすための
ワイヤ敷設を行っていたようです。

スチームによる動力で外車が回転し推進する「パドル・タグ」。
エップルトン・ホール(EPPLETON HALL )。

その気になれば船内を探索することもできましたが、先が長いので見送りました。

1914年にイギリスで建造された石炭運搬船専用タグボートです。
タグボートというだけあって、上の写真下図にも見られるように
エンジンは2基搭載されていて、それらは両翼のパドルに繋がっており、
独立して右だけ、左だけと動かすことができました。

このエンジンを「サイドレバー・エンジン」、しばしば
「メルトホルツ・エンジン」「グラスホッパー・エンジン」などと称します。

あと大きな特徴としては、ボイラーを海水で使用できるように特別に鋳造されていることです。
もともと河川などの淡水で使用されるために作られたこのタイプのボイラーは
6週間ごとに取り外し、蓄積された塩をすすぎ落とされなければならなかったのです。

高いところ(向かいのフェリーの甲板上)から見た「エップルトン・ホール」
煙突とホイールのケースのデザインがリンクしているのもおしゃれです。

なんと1967年まで、人員輸送に使われていたという記録があります。

最後のオーナーはスクラップにするために(一応鋼鉄製ですから)
売り払われましたが、縁あってここの展示の一つに加わることになりました。

係留中に何者かが忍び込み、火災を起こして内部が全焼したにも関わらず、
彼女はイギリスのシーハムからサンフランシスコに自力でやってきたそうです。

マストも一つしかないし、なんか同じ船だと思えませんね。

この後わたしたちは「バルクルーサ」を見学したのですが、それは
別の項で詳しくお話しするとして、岸壁にはこのような、
主に子供の体験学習用の展示もあります。

セイラーたちは、重たい荷物をどうやって船に積んだのか、というとそれは滑車ですが、
滑車に通すロープと持ち上げるために持つ部分の本数の割合が
左から1:1、2:1、4:1となっていて、さてどれが一番楽でしょうか、
というのを実際に確かめることができます。

少々危険なので、係りの人がいないと動かすことができないようですが、
タルの重さは20パウンド(約9キログラム)なので、9歳くらいから
このクエストにチャレンジすることができます。

舫の結び方を紹介し、それをやってみることができるこんな展示も。

「フィギュア8ノット」、文字通り「8の字結び」です。

これが舫の結び方の王道とされる「もやい結び」。
船乗りなら何を結んでもこのやり方にいつの間にかなってしまう、
というくらいポピュラーな結び方で、英語では「ボウライン・ノット」と言います。

 

日本では「巻き結び」と呼ばれている結び方です。
昔の日本では徳利を吊るす方法として使われたので「徳利結び」とも言ったそうです。

もやい結びよりこちらを「結び目の王」であるとする専門家もいるとか。知らんけど。

小さなボートをリングや部位に係留するときにこの方法で結びます。
「ラウンド・ターン&2ハーフ・ヒッチズ」の日本語での呼び名は・・・
わかりませんでしたが「錨結び」とかかな?

さて、これからここで見学した船について、引き続きお話ししていきたいと思います。

ところで・・・よくみると「遊泳禁止」の看板があるような・・。
やっぱりあの人たちは違法だったのか・・・?!
(その答えはかなり先)

 

続く。

 

 


CPO(先任伍長)は神である〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-03 | 軍艦

CPOの中でも先任の執務室にお邪魔しました。

椅子から立ち、ご挨拶してくれています。
ゴミ箱に紙くずがいっぱい入っているのがありがち。

横須賀を母港としていた時代手に入れたものでしょうか。

「流水不争先」

流水先を争わず。

日本の本因坊高川格(たかがわ かく)が信条としていた言葉で、
読んで字のごとく「流水は先を争わない」という意味です。

人を掻き分け、人に先んじて自分が先に出ようとする心を
戒め、自然に身を委ねることを説く意味があると思われます。

もちろんこれを手に入れたCPOは、(名札によると名前はモストラーさん)
この言葉の意味に感銘を受けてここに掲げていたのでしょう。

空母って結構いびつな形なのね、と思わせる空母型のボード。
結構大きいんですが、何に使うんでしょう。

個室に洗面台は「艦内特権階級」の証。

壁に貼られているポスターは、水兵さんが魚雷に乗っていて
(まるでロデオのように)、

海軍に来たれ!戦う男たちの職場へ

と勧誘しています。

元あった室内の装備は全部運び出されてしまったらしい部屋。
鏡の扉は洗面台の上にあるアメリカおなじみの薬棚だと思われます。

最先任チーフならではの一人でのお食事。
まるでリッツのような青いグラスにバラの一輪挿し。
後ろに謎の人影?があり、パイプむき出しの部屋とはいえ、
最大級に特権階級をエンジョーイ!しておられます。

この区画も時鐘で時間を知らせていたんですね。
取っ手が永年の使用黒ずんでいます。

どこか海外にいった時に屋台のお土産(貝殻があるので多分海沿い)を
難しい顔で物色しているCPO?

「CPOとして、上陸した時のパトロール任務の時、私はいつも
我々の水兵たちと地元の商人の間にいざこざが起こらないか見て歩いた。
とにかく彼らは何かと水兵から暴利を貪ろうとしたものでね」

つまりこれは物色しているのではなく、

「こんなものをうちの乗員に高値で売りつけているんじゃなかろうな」

とお店を調査して歩いているといったほうがよさそうです。
彼の右腕にはパトロールを表す「P」が縫い付けられています。

売り場のおばちゃんがむっちゃ怯えてる〜〜(笑)

ここがCPOのメス、食堂です。
床のタイルの配色といい、固定椅子の色といい、
アメリカンダイナー、って感じですね。

朝ごはんのトーストを焼いたりジュース、サラダを取る台は皆ほぼ同じ。

出たー!「サーフ&ターフ」のステーキとロブスターが!
これをどちらも食べるなんてカロリー取りすぎじゃね?

こんなカリカチュアもありました。

「ネイビーチーフ、〇〇から見れば・・・・?」

左回りに行きます。

上半身が全部口でできてるモンスター;水兵たちから見れば。

シャツからお腹が見えてるだらしない男;所属部隊の士官から見れば。

手のつけられない赤ん坊;彼の妻から見れば。

粋でダンディ、ちょいワルでスマート;自分から見れば。

「靴ばっかり磨かせやがって!」;彼の直属の部下から見れば。

「何でもかんでも持ち出すんじゃねえ!」;補給士官から見れば。

壁には先ほどのカリカチュアと並んでこのような文言が。

チーフはいつも正しい

彼は間違った思い込みをしてるかもしれないし、
不正確で、頑固で、
気まぐれで、無知で、
おまけにありえないくらい馬鹿者かもしれないが、

しかし!決して間違っていない

とほほ・・・・。
水兵の皆さん、士官の皆さん、御愁傷様です。



そして、その横の「ネイビー・ストラクチャー」ですが、面白いので全部訳しました。

「アドミラル」

高層ビルを飛び越えることが出来る;
機関車より力強く、弾丸より早い;
水の上を歩くことができる:

神に対して説教することが出来る

「キャプテン」大佐

中くらいのビルなら一回のジャンプで飛び越える;
スイッチエンジンよりもパワフル;
水の上を歩くことが出来る。もし海が穏やかなら;
神と話すことが出来る。

「コマンダー」中佐

低いビルなら助走をつけて風の勢いを借りれば飛び越える;
ほとんどスウィッチエンジンと同じくらいパワフル;
スピードのついたBB?よりは速い;
室内プールの水の上なら歩ける;
もし特別に望みを聞き届けられれば神と話せる。

「ルテナント・コマンダー」少佐

かろうじてとても低い建物なら飛び越える;
機関車と綱引き(tug-of-war)出来る;
スピードのある弾丸を撃つことができる;
ほんの時々、神に呼ばれることがあれば話せる。

「ルテナント」大尉

飛べば低層のビルの高いところまで届く;
機関車を追い越すことができる;
自分を怪我させることなく銃を持つことができる;
プールで犬かきができる;
動物と話すことができる。

「ルテナント・ジュニアグレード」中尉

ビルを掃除するためにそこまで走っていくことができる;
3回のうち2回は機関車だとわかる;
弾薬を支給されない;
施設が許せば救命胴衣を着て浮かんでいることができる;
壁と話すことができる。

「エンスン」少尉

ビルに入ろうとするときにドアの階段でこける;
「見てー!ポッポー!汽車ポッポー!」と喋れる;
水鉄砲で自分がびしょ濡れになる;
水たまりで遊ぶことができる;
独り言を言う。


「CPO」先任伍長

ビルを持ち上げ、さらに歩くことができる;
機関車をひと蹴りして遠くに飛ばすことができる;
歯で弾丸を受け止め、さらにそれを噛み砕くことができる;
人睨みすれば、水をも凍らすことができる;

彼こそが、神である。



続く。







CPO「俺たちがスタンダード」〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-05-02 | 軍艦

何回調べても、アメリカ海軍の階級、特に下士官のそれは複雑で覚えにくいものです。
特にEnlisted Personnel の下士官(Non-Commissioned Officers )の中だけで、下から

OR-4 三等兵曹

OR-5 二等兵曹

OR-6 一等兵曹

OR-7 上等兵曹

OR-8 上級上等兵曹

OR-9 最先任上等上級兵曹

          部隊等最先任上等曹

    艦隊・司令部最先任上等兵曹

OR-9 海軍最先任上等兵曹

と6段階にこれだけの階級があるわけですから、階級を聞いただけで
どの地位にあるのかなどとはピンとこないのが当たり前でしょう。

上級兵曹の上に「シニア」をつけて上等上級兵曹とかいうのもわかりにくいです。
指揮体系と給与体系の関係でこういうランクづけをしているのでしょうが。

 


存在感のあるこの洗濯板はCMCという立場のチーフです。
東洋系ですが、名前が「KEETCH」。

キーチ・・・・・・喜一?

とにかくこの喜一さんは

「ミッドウェイ」のCMC(コマンド・マスター・チーフ)

CMCというポジションは、ベトナム戦争時代から運用されています。
給与体系でいうとE-9、下士官の最高なので、名称はこれに「ペティ・オフィサー」が付きます。

日本語だと、

「部隊等最上級兵曹長」(Command master chief petty officer)


役割を一言でいうと「艦長の特別なアシスタント」であり、具体的には
クルーのモラルとか勤務状態をモニタリングして統制し報告をあげたり、また、
艦上での生活全般のクォリティを向上させるために広聴を実施する役目です。

「ミッドウェイ」のCMCは特に、航海中の水兵の家族をアシストし、
心配がないように頻繁な配慮を行うことを留意していたという話があります。


 CMCには立派なオフィスがありますが、勤務中の彼は艦内をくまなく周り、
必要とあれば乗員と話をするなどして、彼らの状態を把握すると同時に
対処していたので、彼が実際にオフィスにいることはあまりなかったかもしれません。

それでは上記ランキングの中でCMCはどこに所属するのでしょうか?

OR-9(NATOランク)の海軍最先任上等兵曹のことは

「Master Chief Petty Officer Of The Navy」

といい、これが一番近い気がするのですが、それではこの
MCPON(マクポン?)とCMCではどちらが偉いんでしょうか。

ついでに記述しておくと、下士官の最高ランク、E-9にはCMCの他に

  • 最上級兵曹長(Master chief petty officer)
  • 艦隊/司令部最上級兵曹長(Fleet/Force master chief petty officer)
  • 海軍最上級兵曹長(Master chief petty officer of the Navy)
などの役職があります。
 

ところで、海軍というところは士官に向かって話す時には語尾に
「サー」を付けますが、この「サー」を間違ってチーフやマスターチーフに
使ってしまったらえらいことになるといわれています。
 
「サーだとお?バカにするなあ!
俺は将校じゃねえぞ!」
 
と怒鳴りつけられること間違いなし、なんだそうです。
つまり下士官というのは「士官ではない」ということを誇りにしているのか、
それとも叩き上げ特有の「エリートコース」に対する反発なのか知りませんが、
士官に対するような扱いをされることを嫌がる傾向にあるらしいんですね。
 
一般に「チーフ」と称する人種は敬礼をされても怒るというくらいで、
どうもアメリカ海軍では敬礼される対象は”士官だけ”というのが常識である模様。

今回は「ミッドウェイ」のCPOカントリーを見学したのですが、そのエリアに
こんなカリカチュアがあったのでご紹介しておきます。

左の陸軍軍人が

「チーフは少尉になれるのに、少尉はチーフになれないってちょっと変だと思うんだ」

右のお魚模様のコーヒーカップを持ったCPOが

「俺らが基準だから

どういうことかというと、海軍では「チーフ」と呼ばれるチーフウォラントオフィサー、
そしてやはり「チーフ」であるCPOには絶大な権限を持たされていて、それは
ペーペーの少尉がそれでも彼らより軍隊の階級が上とはとても信じられない、
と言いたくなるほどだということなんだと思います。

どこの軍隊でも(もちろん自衛隊でも)士官学校を出た士官は、どんな若造でも
洗濯板のような功労賞を腕に付けた下士官より階級だけは上です。

しかし持たされている権限も責任も、勿論海軍の飯を食った年数などははるかに
下士官のチーフは上、ということで、ついこのような疑問を抱きたくもなるのでしょう。

そして下士官たちは、自分たちが基準であり、士官の階級というのは
おまけか表面だけのこと、少なくとも初級士官なんぞ階級バッジだけの
取るに足らない存在、と考えているということに他なりません。

たぶんですけど。

武器庫エレベーターを過ぎると「空母の歴史」コーナーがありました。
「未来の空母」として「ジェラルド・フォード」が紹介されています。

CVN-78 「ジェラルド・R・フォード」は去年の 2017年7月22日 就役し、
現在はノーフォーク海軍基地で慣熟訓練中だそうです。
「ジェラルド・R・フォード」級で予定されている2番艦は
今年進水式が予定されているCVN-79「 ジョン・F・ケネディ」。
就役は2020年予定です。

3番艦は今年起工が予定されているCVN-80 「エンタープライズ」。
またエンタープライズか、と思うわけですが、フォード、ケネディときて
なぜいきなり人名でなくなるのかちょっと不思議ですね。

ネタ切れかな。

ここに制限区域の始まりがありました。
怖い顔をした警衛のおじさんが睨みを利かせています。
そしてここにも横須賀時代の名残り、日本語での警告が・・・。

「制限区域につき立ち入り禁止

許可された者のみ立入可
許可無き者の立ち入りについては即刻厳罰に処せられます」

怖い。奈良東大寺の仁王像みたい。

こちらの階段を降りるとCPOメスがありますよ、の看板があります。

海軍の艦船は十分な収容スペースがあったので(!)
士官を含む「チーフ」の付かない乗員がオフリミットの、
「CPOだけの区画」を、艦内にいかようにも設けることができ、
特別の住人からの招待状がないと、何人たりとも(勿論士官も)
ここに立ち入ることはできないということになっていました。

海軍用語ではここをCPOメス、あるいは冗談(tongue in cheek)で
「ゴート・ロッカー」とも呼ばれていました。

つまりCPOは「ヤギの集団」ってことになりますが、一般に英語圏でヤギというと
おなじみ「スケープゴート」の意味の「身代わり」以外に、
なぜか「好色な男」という意味があるのだそうです。

「ヤギのように強情」とか「馬鹿な真似」という場合にも使われます。
どれがメインの理由なのかは、英語圏でないものにはわかりませんが、
まあ、全員がヤギっぽかったってことなんでしょう。

さて、士官や下士官兵のギャレーやメスのある階を見学し終わると、
順路は階下のCPOカントリーへと続いていきます。

おお、階段の壁ですら木目があしらわれ、ちょっとゴージャスな雰囲気?

無機質がスタンダードであるはずの軍艦の中で最大限に「潤い」を
インテリアに求めた結果が、これ。

全面木目の壁に角をなくしたカーブ、布のソファ。
個室の床はなんと白黒のアール・デコもどきの配色タイルです。

ボードには今日の彼らの夕食メニューが書かれています。

サーフアンドターフ(ロブスターとステーキ)

ベイクドポテト

グリーンビーンズ サラダ

パイとアイスクリーム

サーフ(海、ロブスター)とターフ(牧草地、牛)とはまた
思いっきり力技なメニューですが、まあ要するにCPOとは
こういういいものを
しょっちゅう喰っていた連中なのでしょう。

そして本日上映される映画は・・・

「THE PLAINS MAN」

一瞬「平野の男?」と思ったのですが、ゲイリー・クーパーの

「平原児」1936

でした。
西部開拓史上の伝説的ガンマン、ワイルド・ビル・ヒコック(クーパー)と
カラミティ・ジェーン(ジーン・アーサー)を描いたものです。
兵員のギャレーでは「トータルリコール」という最新映画を観ているのに、
古い西部劇をチョイスするあたりがいかにもCPOらしいのかもしれません。

ボードに映画の制作年を1900年とありますが、それだと
ゲイリー・クーパーはまだ生まれてないっての(彼は1901年生まれ)

それと「ウォルター・ブレナン」はこの映画に出演していません。
ブレナンはガンマン俳優なので、あの人確か出てた!って感じで
調べずに適当に書いちゃったのね・・・。

CPOの執務室一例。
メスの経理関係の部屋ではないかと思われます。

壁のカーブに沿って作り付けのゴージャスな布のソファーに、
脚を組んでやたら態度のでかいおじさんが!

いやー、なんかこの佇まい、いかにもCPOって感じ。

マネキンではなく、服ごと人形をこのためだけに作ってしまったようです。
確かに凝った人形ですが、ご予算はこの人一人で力尽きたようです。

ちなみに彼は勤続12〜14年のCPOで、鷲の羽の上に二つ星があるので
階級ランクでいうと

マスター・チーフ・ペティ・オフィサー
Master Chief Petty Officer (MCPO)

であり、「ミッドウェイ」下士官界の最高峰にいる人となります。

道理で偉そうだと思った。

彼のすぐ上の階級は少尉となりますが、確かに昨日入ったばかりの少尉より
この人の方が階級が下だなんて、「ODD」、つまり奇妙だと思いますよね。

そして綺麗に揃えた髭を立てているのもCPOのお約束です。

髭は一説には「男らしさの誇示」の意味がありますから、叩き上げで
海千山千の海の男たちの上に立ち、彼らを率いていくCPOが、見かけを
まず
「manly」にキメる傾向にあるのは至極自然なことのような気がします。



続く。





映画「深く静かに潜航せよ」〜伊潜との対決

2018-05-01 | 映画

 

この映画が潜水艦映画の名作であるという評価は決して大げさではありません。
要らない要素を一切廃して、ただ復讐に燃える男とそれに共鳴する男が
潜水艦という極限の兵器での限界に挑むその姿を、リアリティに裏打ちされた
戦闘描写で骨太に描いている「本気の戦争映画」だとわたしも思います。

そして、さらにその映画に深みを与えているのが、宿敵である「アキカゼ」や
「ナーカ」と戦う日本の潜水艦の緊張までを丁寧に描写していることです。

というわけで、最終日の冒頭イラストには、この潜水艦の艦長を描きました。

日本人役の俳優は誰もクレジットされていないのですが、調べまくったところ、
この俳優が

TERU SHIMADA(島田テル)

という名前であることを突き止めました。
「007は二度死ぬ」にも出演していた人ですね。

セリフを聞く限り、この人は日本語が母語であったらしいことがわかります。

「アキカゼ」の艦長役も日本語で育った人だと思いますが、こちらは
とうとう名前すらわかりませんでした。

てか、ちらっとしか出てこないアメリカ人は全員クレジットされていて、
日本人の名前が全くないってどういうことよ(怒)


その時、潜航中の「ナーカ」にまた再びあの音が聞こえてきました。
沈没を装って「アキカゼ」から逃れた直後に聞こえてきた、通信音です。

それを聞くなり、瀕死のはずのリチャードソンはベッドから起き上がり、
急速潜行を命じるのですが、その時・・・・、

近くで「ナーカ」を狙っていた帝国海軍の潜水艦がありました。

艦長「××××」

通信員「フタフタマル」

艦長「射程」

通信員「距離イチゴーマルマル」

この映画の評価できる点は、敵の潜水艦や駆逐艦を描くのにも、
余計な印象操作をせず、むしろリスペクトを感じさせる描き方を
して見せてくれるところだと思います。

この潜水艦内のカットなんか、日本の潜水艦映画もお手本にして欲しいくらい。

そう、この人口密集度ですよ。
日本の潜水艦映画って、時々だだっ広いところにポツンと
潜望鏡があるみたいなセットだったりするのよね。

この点、わたしが評価するのは「人間魚雷出撃す」だったりします。

ただしこの艦長、「撃てーい」と実に普通というかお気楽モードで号令し、
係は復唱もせず、これまた至極あっさりと魚雷レバーを引きます。

おそらくこれが正しいかと言われると多分違うと思うのですがどうでしょうか。

で、この艦長がかっこいいんです。
最後にちょっと出てくるだけなのに、思わず冒頭画像に描いちゃったよ。

謎のピーピー音を聴いたリチャードソンは寝床から起き上がり、日本の潜水艦がいることを告げます。
艦の指揮を取られて寝てるだけではわしのプライドが許さん!というか、
ベテランの知恵袋ってやつを披露したかったのだと思われます。

ということはこのピー音、伊潜のピンガーかなんか?(適当)

いきなり伊潜が平常心のまま放った魚雷は、危ういところで「ナーカ」の艦体を逸れ、
両者は互いに無音潜航しながら異常接近し、ギリギリをこのようにすれ違います。

これ、大きい方が「ナーカ」でしょうか。

「聞こえました」

「うん、機関停止」

しかし、よく見ると通信員の帽子も艦長の階級章も全く違う。
特に帽子に錨のマークには肝心の桜がありません。

この頃はインターネットもないし、正確な資料に基づいて
軍服をちゃんと検証して作るということが難しかったのだと思われます。

そしてまたもや潜水艦映画おなじみの行き詰まる心理戦が始まりました。

両者ともに機関停止して、無音での「にらめっこ」です。

ちなみに冒頭画像はその時の一シーンなのですが、艦内の深度計が
「ナーカ」の深度計と同じ118を指しています。

しかし、当時は(今もそうですが)日本の計器はメートル法表記だったはずなので、
日米が同じところを指しているというのはおかしいと思います。

「ナーカ」で使っているアメリカ製の深度計に、
「塩水」「深さ」と日本語で書きたしただけに見えますが、どうでしょうか。


しかしいくら潜水艦でも、機関停止したまま深度を維持するのは無理です(よね)。
いずれは必ず動かさないといけませんが、このように睨み合いになってしまったら
先に動いた方が負けなのでは・・・・・

ナーカでもこんなセリフが密かに囁かれます。

「彼らが先に動いてくれることを期待しましょう

かたや伊潜では・・・

「早くエンジンをかけなれば潜航てわかてきます」

ちょっと意味わかんないんですけど、それに答えて艦長が

「敵潜航艇の方が早くエンジンを発動するのを祈る方がなんとか」

あのね、どうでもいいけどこれだけ聞き取るのに何回聞き直したと思う?
島田テルさんだけは比較的日本語を日本語として聞こえるような発音をしてるんですが、
それでもヒソヒソ声になると何言ってるか全くわかんないのよ。

はい、ここで緊張に耐える両潜水艦の様子を並べてどうぞ。
うっかり咳をした人を皆ものすごい勢いで睨んだりしてもう最高です。

この間、しょうもないBGMは全くなく、本当に無音なのも
映画の手法として高く評価できます。

と こ ろ  が (笑)

ここでいきなりリチャードソンが、

「相手潜水艦の最後の方位がわかっているなら、浮上させて海面で戦う」

そしてまだ海上にいるはずのさっきの日本の船団をそこで2隻ほど沈めろ、
と言い出します。

いきなりエンジン始動した「ナーカ」の気配に気づいた伊潜の艦内では、

艦長「フゴー!」

乗員「フゴー!」

だからフゴーってなんだよフゴーって。
それをいうなら浮上だよ。(怒る気力なし)

ここでついに島田テルさんですら日本語でおkな人だったとバレてしまったのでした。
ほかのアメリカ映画と同様、日本人から見るとこの映画、この点が画竜点睛を欠き、
作品そのものに対する評価がだいぶ低くなってしまうんですよね。

大変残念なことですが。

それはよろしい。よくないけど。
「ナーカ」はあっさりと浮上し、都合よく現場海域に浮かんでいた輸送船に魚雷発射!

なぜか先般護衛艦がやられたのに1ミリも動かずそこにじっとしていた輸送船団は、
あっさりと魚雷の餌食になってしまいました。

そこに「ナーカ」を追いかけて浮上してきた件の潜水艦。

「あそこにいるぞ!」

この時英語では

「There he is.」

と潜水艦を男性の代名詞で呼んでいます。
船は女性扱いというのが常識ですが、潜水艦ってもしかして男性形だったの?

その『彼』の艦橋では・・・

「あそこにおる! 全速力!」

「ゼンソクロク!」

・・・だから『あそこにおる』はないでしょうってば。
もう少しそれらしい何時何分に潜水艦発見、とかなんとか、
かっこいい台詞をお願いしますよ・・・ほんとにもう。


潜水艦は「ナーカ」を追いかけてフゴーじゃなくて浮上してきて、
海面の船団を守るのかと思ったら、前半で艦長が「船底の浅いデコイ船」と言っていた
船の後ろに隠れようとします。(あのセリフは伏線だったのか)

日本の潜水艦ともあろうものが自国の船を盾にして隠れたりするかね、
という微かな不快感が
日本人の感覚としては沸き起こるのを正直否めません。

普通に撃てば船の下を魚雷が通過して、後ろに隠れている潜水艦に当たるよね?

ってことで、ブレッドソーは誰が命令してもヒット確実の魚雷発射の命令を
ふらふらのリチャードソンにやらせ、
最後に華を持たせてあげることにしました。

いいやつだなあ。

「5番魚雷発射!」(Fire five.)

「6番魚雷発射!」( Fire Six.)

船の下を通過して向かってくる魚雷を発見した艦橋では

艦長「取舵一杯、緊急最大速力!」

乗員「取舵一杯、緊急最大ソロク!」(りょ、って外人には難しいのね)

しかし時すでにお寿司。
潜水艦は魚雷を回避することはできず、伊号潜水艦轟沈です。


そして、リチャードソンが最後の命令を下します。

「クリア・ザ・デッキ・・・・・・」(潜航)

これが艦長としてだけでなく彼の人生最後の言葉にもなりました。

魚雷発射室で転んで頭を打ったのが原因で、お亡くなりになったのです。

危険海域を脱し、真珠湾に帰投する「ナーカ」の甲板で
P .J. リチャードソン艦長の海軍葬が行われることになりました。

「亡き戦友の魂を万能の神に その肉体を海に委ねます。
願わくば永遠の命に生まれ変わらんことを。
海がその死者を次の世に送り出されんことを」

∠( ̄^ ̄) ∠( ̄^ ̄) ∠( ̄^ ̄)

 

リチャードソン艦長のこの映画における描かれ方については、
最後の最後まで
正直海軍軍人としてどーよ、と言わざるを得ません。

潜水艦艦長として指揮を執りながら壮絶に死ぬというラストシーンは、
それまでの失態を文字通り水に流すためなのかとすら思えます。

 

ただし、この映画が彼を英雄的軍人としてではなく、怨讐に突き動かされる
弱い一人の人間として描くことを最初から意図していたのなら、
これは単なる戦争映画ではなく、複雑な陰影を持つ人間ドラマでもある、
ということになり、また評価も変わってくるのかもしれません。

それならば、そういう人間を演じることもまた俳優としての本懐であるはずですが、
クラーク・ゲーブルという人はおそらく戦争映画というカテゴライズにおける、
「良い軍人、ダメな軍人」の二択で言う所の後者としかリチャードソンを捉えられず、
スタアとしての彼の美意識がどうしてもその軍人像を受け入れなかったのでしょう。


説得されて結局現場に戻った彼が、どこまで自分の美学と折り合いをつけたのか。


ゲーブルが59歳という若さで亡くなったのは本作品出演の僅か3年後のことでした。

 


終わり