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最後の打電

2010-10-25 | 海軍

ある方が今日25日に愛媛西条市で行われる特攻隊慰霊祭についての情報を下さいました。
誰でも参列可で、自衛隊も協力して華やかなものになるということだったので、
息子の学校の秋休みをこちらにすべく、かなり策謀をめぐらしたのですが、
大阪滞在がかなり前から決まっていて、行けませんでした。

10月25日と言う日は、関大尉以下敷島隊の五人が、
初めて「組織された特攻」として出撃した日です。

この慰霊祭もその日に合わせて行われるものなのですね。




特攻隊となって出撃した搭乗員が、志望段階から出撃、
そして最後の瞬間までどのように考え、どんな心理状態だったかについては、
戦後あらゆる国の人々がそのときの彼らの心の中に分け入り、想像しています。

カミカゼによって当時計り知れないほどの精神的ショックを受けた
アメリカの歴史家や作家はもちろんのこと、
フィリピンで特攻隊と接触のあった人や、フランスの哲学者が、
その心境と彼らの意義を語り、解析を試みています。

そのとき、人はどのような心境になるのか。
最後の瞬間、搭乗員は何を思うのか。

司法長官であったロバート・ケネディの息子でJFKの甥である、
マックスウェル・テイラー・ケネディもそれを知ろうとした一人です。
かれは東洋学を専門とする立場から、
空母バンカーヒルを戦闘不能に陥れた二機のカミカゼ・パイロットについて
"Danger's hour"というドキュメンタリーを書き、
その中で日本文化から歴史までひもときながら、特攻の背景やその瞬間、
攻撃を受けたバンカーヒルの乗組員たちの「自己犠牲」を語っています。



今日はその一部を紹介したいと思うのですが、その前に、先日記事にした
「青春天山雷撃隊」から、肥田真幸大尉が見送った特攻隊についてお話ししましょう。

肥田大尉の六〇一空は、硫黄島への特攻作戦を行いました。
彗星爆撃隊を主力とした総員六〇名からなる大編隊の特攻です。
肥田大尉は天山機隊長であったため、志願したにもかかわらずこの攻撃の隊長には選ばれず、
それを無線で確認するということになるのです。


この特攻は、作戦説明後それを受ける者のみが部屋に来るように、
という方法で志願者を募ったのですが、全員が志願し、肥田大尉を驚かせます。

さらに、海兵出身者は自動的に参加、と決めたことに対し、ある予備士官は
「我々大学出の士官には志願しろとは何事ですか。
われわれも海兵出身者に負けるものではありません」と血書を手渡したそうです。


そして、この作戦の零戦直掩隊は、雷撃隊が魚雷発射後体当たりした成果を見届け、
父島に帰島したのち、爆装して再び突入するという過酷な命令を受けていました。
しかし、肥田大尉によると彼らの士気は高く、
作戦を成功させるために部隊ごとに綿密なブリーフィングを行うなど、
絶望的な様子はなかったようです。

部隊が出発したという知らせを受けて、肥田大尉は電信室で戦果を待ちます。



特攻機が突入するときは、まず自機の符号を発信し、続いて突入する目標を示します。
そして、突入中はキイを押したままです。
この長符が切れた瞬間が、突入の一瞬、すなわち搭乗員の命が無くなった瞬間なのです。


『トト・・・・』(突撃せよ)――「やった!」
思わず口走る。午後四時四三分である。
「ユタです。三番機!」
電信員が鉛筆を走らせながら叫ぶ。――『われ輸送船に体当たり』である。
また符号が入った。
「あっ、村川隊長機だ!」


村川弘大尉海兵70期、特攻第一号となった関大尉と同期です。
肥田大尉に「先任隊長は残るべきだ。私でもじゅうぶんにやれます」と指揮官を譲らず、
結局彗星が主流であったこの隊の隊長に選ばれたのはこの村川大尉だったのです。


『われ航空母艦に突入す』―続いて長符『――』
送信機を押さえている音である。まさに胸が張り裂けんばかりの緊張感を覚える。と、間もなく電波は切れた。



このときの大特攻は全員が熱烈な志願であり、非常にうまく計画された共同攻撃であったため、
まさに特攻史上最大の戦果をあげる結果になりました。


肥田大尉は
「おそらく本人たちも満足して死んでいったに違いない」
と記すのですが、このように彼らの死を以て判じることができ得るのは、
肥田大尉自身がその特攻に参加を決意していたからに他なりません。




このように、「本望であった」に違いないと思われる特攻は、戦局も終盤になり、
学徒兵を半ば強制的に志願させて体当たりする技術だけを促成で教え込み、
死地に追いやるようになってくるとまれなものになって来ざるを得ません。
 「死の意義」がどんどんと軽くなり、敵基地の滑走路や橋などに体当たりを命じられ、
異議を唱えるも顧みられなかったという例もあります。


いまや国は、そして軍は、自らの死を決して唯一の、貴重なものだとも思っていない、
それどころか自分の命は使い捨ての消耗品なのだ・・・・。
そのように感じた隊員は、しかし国のためではなく愛する人のために自分の命をささげるのだ、
と自らを慰撫しながら飛んでいくようになります。


あるとき、突入の最後の瞬間の打電に
「海軍のバカヤロー」と打つ搭乗員がいたそうです。


突入の戦果を確認する直掩機さえつけられず、
ただ爆弾を抱いた飛行機の一部となって死んでこいと送り出される搭乗員が、
最後の瞬間そう打電したとしても、誰がそれを責めたり嗤ったりすることができるでしょうか。


「率直に言って、現在の状況は上層部の無能力と愚かさからきた結果だと思う。
彼らは今や若者の熱心な忠誠にのみ頼りきっている。
特攻隊員には象徴的価値がある。
しかし、戦争を始めたのは若者たちではない。
この小説を書き始めた指導者たちは、もはや何のひらめきも得られず、
徒にに終わらせようとし、しかも若者たちは物語の構想に精通してもいないのだ!

言ってみれば我々は身代わりだ。
だが不平がいったい何になる?
我々は負わされた命令に従うしかない。

君も僕も無神論者だ。
あの世でで再会し喜びあうことなどないだろう。
君の攻撃が成功しますように。幸運を祈る。
そして、永遠にさようなら」


("Danger's hour" Maxwell Taylor Kennedy より、エリス中尉訳)



この遺書を出撃の二、三日前に書き、同じ特攻隊の友人に遺した
Fujisakiという士官搭乗員(書かれていませんがおそらく予備士官だと思われます)は、
突入の瞬間、定められている長符を打とうとはしなかったのだと言います。


かれが最後にモールス信号で打電したのは妻の名前だったそうです。





参考 青春天山雷撃隊 肥田真幸 光人社
   特攻長官 大西瀧治郎伝 生出寿著 徳間書店
   特攻の思想 大西瀧治郎伝 草柳大蔵 グラフ社
   "Danger's hour" Maxwell Taylor Kennedy   Simon & shulster Paperbacks