エリス中尉、お酒を全く受け付けない体質ゆえ、
「酔っぱらって一夜明けたら知らないところで寝ていた」
という楽しげな経験が一度もございません。
それどころか、揺れる乗り物の中では決して寝ることのできない神経質ゆえ、
「起きたら降りる駅を過ぎていた」という経験もありません。
なので、この
「寝てはいけないところで眠り込んでしまった」
という話にはあまり「そうそう!」と膝を叩けないのが残念ですが、
もし、海軍で「従兵」という仕事をしたら、一度はやってしまいそうな気がするのが
「寝てはいけない上官のベッドでつい寝てしまった」
という失敗です。
従兵、という役をご存知ですか?
そういう役職名があるのではなく、抜擢されて士官の身の回りの世話をする兵を従兵と呼びました。
出世が早いのでなりたがる者はたくさんいたそうですが、誰でもいいというわけにはいかなかったようです。
やはり学校での成績が良くないとなれず、さらに方言が強すぎる兵もなれなかったとか。
いつも身の回りに気を遣う役なので、個人の相性もあり、士官はえらくなるとお気に入りの従兵を指名したりできたもののようです。
従兵の方でも士官との相性が良いと職務を超えて尽くしてくれたようで、角田和男中尉の「修羅の翼」にはこちらが恐縮するくらい、まるで奥さんのようにこまめに世話を焼いてくれた従兵の話が出てきます。
さて、「つい上官のベッドで寝てしまった」従兵の話に戻ります。
食事の世話、洗濯、部屋の掃除。
ベッドメイキングも従兵の仕事なのですが、パリパリの白いシーツを上官のために整えながら、特に艦隊勤務だと日頃ネットを吊ったハンモックで寝ている従兵が
「いいなあ、どんな寝心地なんだろう・・・」
とつい魔がさして横になったが最後、前後不覚になり、帰ってきた上官のどなり声で目を覚ます、という事例はことのほか多かったのではないでしょうか。
以前ご紹介した小泉信三著「海軍主計大尉 小泉信吉」にも、自分のベッドについ眠り込んでしまった従兵を発見する話が出てきます。
主計中尉だった小泉信吉が那智乗組だったときの家族への手紙に、自分のベッドに従兵が寝ていたのでそのズボンを「静かに引っ張り」、「ばね仕掛けのように跳起きた」従兵に静かに「こんなところに寝る奴があるか、バカヤロウ」と言い聞かせて放免したという話がこんな風に書かれているのです。
「お化けかと思ったら人間だったお話」。
これは無敵海軍の精鋭、那智という巡洋艦で有ったお話です。
那智乗組み小泉信吉さんという主計中尉が、或る日の午後、御用があってご自分の寝台やチェストの置いてあるガンルーム寝室にいらっしゃったところ、御自分の寝台からにゅっと二本の足が出ていました。(中略)
記者がこの信吉中尉にお会いしてそのときのことを伺おうとしますと、信吉さんは
「いやお話しするようなことではありません。眠いとなると、人の床に倒れてしまう人は私の知っている人々の中にもありますので、まあその気持ちが判るといったところから厳しいことを云わなかったのですよ」(中略)
と言って「ニッコリ」笑われました。何と情け深い軍人さんではありませんか。
ちなみに、この「私の知っている人々」の中にはご本人も入っているそうです。
優しくてユーモアのあるこんな士官に仕える従兵は幸運でしたね。
さて、かの井上成美大将が「比叡」の艦長をしていたとき、砲術学校高等科卒の優秀な下士官、駒形重雄三等兵曹をお気に入りの従兵にしていました。
ある日井上艦長が「今日は帰艦しない」と言い残して上陸した後、艦長の部屋のバスタブで洗濯をしていた(洗濯機はなかったのですね)駒形兵曹、疲れ果ててふと見るとそこにはおあつらえ向きに白いシーツと読書灯のついたきれいな艦長のベッドが。
ふらふらと横たわったと思ったら、そのまま前後不覚で寝込んでしまいました。
夜半、ふと目覚めた駒形兵曹、妙に体が窮屈なのに気がつきふと見ると
隣には帰らないはずの井上艦長がああああっ。
それこそバネ仕掛けのように飛び上がった駒形兵曹に井上艦長、
「いいよいいよ。もうすぐ夜が明ける。朝までそのまま寝てろ」
いや・・・寝てろ、って言われても。
「はーい、すみませんお言葉に甘えて{[(-_-)(-_-)]} ...zzZZZ 」
ってただでさえ狭い艦のベッド、艦長とくっついて寝てられますか?
この駒形兵曹がどのような人であったのか、写真は残っていません。
少なくともむくつけき大男でなかったことは確かでしょう。
井上艦長が
「そのまま寝ていろ」
と言ったことにそれ以上の意味は無かったとはいえ(当然)
もし、横にいるだけでむさくるしいタイプだったら・・・。
おそらく、いくら可愛がっている従兵でも朝まで同禽?は生理的に無理だったのではないでしょうか。
「今夜は帰らない」
と言ったのに帰ってきてしまって、悪かったなあ、と云う気持ちもあったのでしょうが、
疲れているんだから寝かせてやろう、と井上艦長が駒形兵曹を労わってやったのは確かです。
冷たいとか思いやりがないなどとその性格を非難する人がいる一方で全く逆の印象を持っている部下も数多くいて、この駒形兵曹もその一人でした。
この後、満州皇帝溥儀を乗せる御召し艦として比叡が徴用されたとき、この駒形兵曹は行儀の悪い中国人従兵の扱いと、従兵長としてその責任を果たすことで疲労困憊してしまったのですが、その駒形兵曹を井上艦長は
「駒形、お前大層痩せたなあ。不眠不休の勤務、まことにご苦労だった。
休暇をもらってやるから、新潟の郷里に帰ってゆっくり休めよ」
とねぎらいます。
それを聴いて駒形兵曹は思わず泣きだしてしまったそうです。
井上成美大将は、のちに「海軍生活で一番よかったのは」ときかれ、
「比叡艦長のときが最も愉快だった」
と答えています。
駒形兵曹のような相性の良い従兵がいたことも、その原因の一つではなかったでしょうか。
参考:井上成美 阿川弘之著 新潮文庫
主計大尉 小泉信吉 小泉信三著 文春文庫
ウィキペディア フリー辞書
「酔っぱらって一夜明けたら知らないところで寝ていた」
という楽しげな経験が一度もございません。
それどころか、揺れる乗り物の中では決して寝ることのできない神経質ゆえ、
「起きたら降りる駅を過ぎていた」という経験もありません。
なので、この
「寝てはいけないところで眠り込んでしまった」
という話にはあまり「そうそう!」と膝を叩けないのが残念ですが、
もし、海軍で「従兵」という仕事をしたら、一度はやってしまいそうな気がするのが
「寝てはいけない上官のベッドでつい寝てしまった」
という失敗です。
従兵、という役をご存知ですか?
そういう役職名があるのではなく、抜擢されて士官の身の回りの世話をする兵を従兵と呼びました。
出世が早いのでなりたがる者はたくさんいたそうですが、誰でもいいというわけにはいかなかったようです。
やはり学校での成績が良くないとなれず、さらに方言が強すぎる兵もなれなかったとか。
いつも身の回りに気を遣う役なので、個人の相性もあり、士官はえらくなるとお気に入りの従兵を指名したりできたもののようです。
従兵の方でも士官との相性が良いと職務を超えて尽くしてくれたようで、角田和男中尉の「修羅の翼」にはこちらが恐縮するくらい、まるで奥さんのようにこまめに世話を焼いてくれた従兵の話が出てきます。
さて、「つい上官のベッドで寝てしまった」従兵の話に戻ります。
食事の世話、洗濯、部屋の掃除。
ベッドメイキングも従兵の仕事なのですが、パリパリの白いシーツを上官のために整えながら、特に艦隊勤務だと日頃ネットを吊ったハンモックで寝ている従兵が
「いいなあ、どんな寝心地なんだろう・・・」
とつい魔がさして横になったが最後、前後不覚になり、帰ってきた上官のどなり声で目を覚ます、という事例はことのほか多かったのではないでしょうか。
以前ご紹介した小泉信三著「海軍主計大尉 小泉信吉」にも、自分のベッドについ眠り込んでしまった従兵を発見する話が出てきます。
主計中尉だった小泉信吉が那智乗組だったときの家族への手紙に、自分のベッドに従兵が寝ていたのでそのズボンを「静かに引っ張り」、「ばね仕掛けのように跳起きた」従兵に静かに「こんなところに寝る奴があるか、バカヤロウ」と言い聞かせて放免したという話がこんな風に書かれているのです。
「お化けかと思ったら人間だったお話」。
これは無敵海軍の精鋭、那智という巡洋艦で有ったお話です。
那智乗組み小泉信吉さんという主計中尉が、或る日の午後、御用があってご自分の寝台やチェストの置いてあるガンルーム寝室にいらっしゃったところ、御自分の寝台からにゅっと二本の足が出ていました。(中略)
記者がこの信吉中尉にお会いしてそのときのことを伺おうとしますと、信吉さんは
「いやお話しするようなことではありません。眠いとなると、人の床に倒れてしまう人は私の知っている人々の中にもありますので、まあその気持ちが判るといったところから厳しいことを云わなかったのですよ」(中略)
と言って「ニッコリ」笑われました。何と情け深い軍人さんではありませんか。
ちなみに、この「私の知っている人々」の中にはご本人も入っているそうです。
優しくてユーモアのあるこんな士官に仕える従兵は幸運でしたね。
さて、かの井上成美大将が「比叡」の艦長をしていたとき、砲術学校高等科卒の優秀な下士官、駒形重雄三等兵曹をお気に入りの従兵にしていました。
ある日井上艦長が「今日は帰艦しない」と言い残して上陸した後、艦長の部屋のバスタブで洗濯をしていた(洗濯機はなかったのですね)駒形兵曹、疲れ果ててふと見るとそこにはおあつらえ向きに白いシーツと読書灯のついたきれいな艦長のベッドが。
ふらふらと横たわったと思ったら、そのまま前後不覚で寝込んでしまいました。
夜半、ふと目覚めた駒形兵曹、妙に体が窮屈なのに気がつきふと見ると
隣には帰らないはずの井上艦長がああああっ。
それこそバネ仕掛けのように飛び上がった駒形兵曹に井上艦長、
「いいよいいよ。もうすぐ夜が明ける。朝までそのまま寝てろ」
いや・・・寝てろ、って言われても。
「はーい、すみませんお言葉に甘えて{[(-_-)(-_-)]} ...zzZZZ 」
ってただでさえ狭い艦のベッド、艦長とくっついて寝てられますか?
この駒形兵曹がどのような人であったのか、写真は残っていません。
少なくともむくつけき大男でなかったことは確かでしょう。
井上艦長が
「そのまま寝ていろ」
と言ったことにそれ以上の意味は無かったとはいえ(当然)
もし、横にいるだけでむさくるしいタイプだったら・・・。
おそらく、いくら可愛がっている従兵でも朝まで同禽?は生理的に無理だったのではないでしょうか。
「今夜は帰らない」
と言ったのに帰ってきてしまって、悪かったなあ、と云う気持ちもあったのでしょうが、
疲れているんだから寝かせてやろう、と井上艦長が駒形兵曹を労わってやったのは確かです。
冷たいとか思いやりがないなどとその性格を非難する人がいる一方で全く逆の印象を持っている部下も数多くいて、この駒形兵曹もその一人でした。
この後、満州皇帝溥儀を乗せる御召し艦として比叡が徴用されたとき、この駒形兵曹は行儀の悪い中国人従兵の扱いと、従兵長としてその責任を果たすことで疲労困憊してしまったのですが、その駒形兵曹を井上艦長は
「駒形、お前大層痩せたなあ。不眠不休の勤務、まことにご苦労だった。
休暇をもらってやるから、新潟の郷里に帰ってゆっくり休めよ」
とねぎらいます。
それを聴いて駒形兵曹は思わず泣きだしてしまったそうです。
井上成美大将は、のちに「海軍生活で一番よかったのは」ときかれ、
「比叡艦長のときが最も愉快だった」
と答えています。
駒形兵曹のような相性の良い従兵がいたことも、その原因の一つではなかったでしょうか。
参考:井上成美 阿川弘之著 新潮文庫
主計大尉 小泉信吉 小泉信三著 文春文庫
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