
うふふ、先日の国会予算委員会、見ましたあ?
法務大臣がうっかり
「(中国人船長の釈放については)検察庁に私たちが指示しました」
って言っちゃってますよ。
この人、失言しないように一生懸命原稿を棒読みしていましたが、質問に答えるうちについ枕に自分の言葉を挿んでしまったのね。
正直な人なんでしょうねえ。
今や影の総理、老害仙谷由人は、天下りの実態とその弊害について批判して以降「苛め」にあっていることを国会で証言した官僚に
「将来がある方なので惜しまれる」
ってあらためて恫喝しちゃうし。
いやあ、何と言うかやくざ体質が隠しきれなくなってきてません?
これ、つまり
「将来潰されたくなかったらみんすのヤヴァイこと証言すんなよ」
っていってるってことでしょ?
だいたい、「天下り根絶」ってあんたらのマニフェストになかったですか?
それにしても、最近はどんなお笑い番組より笑える国会中継。
テレビも、低視聴率にあえぐならゴールデンタイムにこれを流すべき。
もっとも、これが後味のいい笑いかと言うと、全く別の話ですが。
さて、今日のテーマです。
紅茶派、コーヒー派。
なぜ「派」なのか。
どちらも好き、という人はいないのか、と思って生きてきた
「どちらも派」
のエリス中尉です。
・・・・・同じ文章を最近書いた気が・・・デジャブかな。
ある女性がお見合いのときにコーヒーを注文したんだそうです。
すると、イギリスの某有名大学卒の肩書きを持つ体重1トンの相手の男はいきなり
「どうしてコーヒーなんだ。こんなとき女性は紅茶を頼むものだ」
と怒った、というのです。
その一言でお見合いは破談。
当然向こうも紅茶を頼まない女性はお断り、と。
なんか変な話だしこの高学歴1トン男もロクなもんではなさそうですが、
「見合いのとき女性が飲むのはミルクティー」
というイメージは確かにありますよね。
片やコーヒーのイメージ、といえばジャズの名曲「ブラックコーヒー」
を思い出します。
ひどい孤独 一睡も出来ない
部屋をうろついてはドアを見つめる
ブラック・コーヒーを飲む
恋なんて使い古しの箒のようなもの
私は日曜なんて知らない この部屋にいるから
自分の影を相手におしゃべり 夜中の1時から4時まで
コーヒーを飲み煙草を吸う なかなか過ぎない時間
(Black coffee エリス中尉:訳)
このダークなイメージが、コーヒーのそれではないでしょうか。
昔知り合いが
「コーヒーや煙草する人って、なんか『悪』ってイメージだよね」
と言ったのに、単純な表現ながら感心した覚えがあります。
ささやかな悪徳、と呼ばれたりもします。
確かにこの曲の歌詞におけるデスぺレートな空気に煙草とコーヒーは似合います。
男は恋を追い求めるために生まれ
女は泣き暮らすために生まれる
そして後悔をコーヒーと煙草で紛らせる
そんなアングラ的雰囲気に憧れた若き日、何を隠そうエリス中尉もコーヒー派でした。
大学近くの喫茶店、終電までコーヒー一杯でねばって、芸術や読んだ本について語るというあのときでしかできない壮大な時間の無駄遣いをよくやったものです。
そういえば、サルトルやドストエフスキー作品を全部読破したのもあの頃でした。
しかし、時は流れ、アンダーグラウンドといえば私的には底の底ともいえるミュージシャン生活を経て、
「私の本質ってもしかしたらアウトローではないんだわ」
と堕落いや、大人になった今となっては、たかが飲み物に思想を持つこともなく、美味しい紅茶が何よりもの好物となっています。
若いころ、自分にまつわるものの全てに何か思想を絡めたかったのはなんだったのか、と改めて今考えると不思議な気すらします。
形而上と形而下のバランスに必要以上に拘泥していたっていうか。
冒頭画像はエリス中尉御用達マリアージュ・フレールの量り売り紅茶葉。
お店に行くたびに買うのが
「マルコ・ポーロ」
「ウェディング・インペリアル」
マルコはフラワリー、ウェディングはヴァニラ系。
ミルクティーに合います。
先日買ったのはこれに加えて
「アメリカンブレックファースト」
これは、名前とは裏腹に、ヴァニラ+ナッツの甘い香り。
このように、行くたびにお店の人に(なぜかここの店員さんに女性はいません。男前の男性店員ばかり。何故でしょうか)好みのフレーバーを推薦してもらいます。
画像の紫の缶は
「ルージュ・ドトンヌ」(赤い秋)
と言う新作で、この日お奨めされたもの。
マロングラッセのフレーバーなんですよ。

グラムで買ってきて、詰め変えます。
いろいろフレーバーティを試しましたが、このマリアージュ・フレールのものが一番美味しいように思います。
あ、紙パックの紅茶など論外よ。
ちなみにこれはフレール兄弟の意。パリに本店があります。
一度お茶を飲みに行ったらソムリエのような
「茶ムリエ」と言うべき人がいて、好みを聴いてお茶をえらんでくれました。
さて、ダークなイメージと言いきってしまったコーヒーですが、スターバックス登場以降、あまりそういったふた昔前のアングラ的なものではなくなってきました。
コーヒー店で禁煙。
これが成り立った、ということが日本の喫茶店史を変えたとも言われています。
確かに、タバコのにおいとセットでないと楽しめなかった「外コーヒー」が可能になったという意味ではスターバックスは(スタバじゃないのよ皆さん)偉大な功績を残したと言えましょう。
コーヒーも上手く入れれば「ブラックでも甘い」というのをご存知ですか?
大抵は一流ホテルですら酸っぱいコーヒーを出してくるので、心ならずもカプチーノなどを頼んでいるのですが、これまで本当に「甘い」と思ったのは
「ホテルオークラ神戸のカフェカメリアで出すコーヒー」
今は知りません。少なくとも8年前まではいつ行ってもそうでした。
甘くてコクがあって、ミルクなど要らないくらいでした。
不思議なのですが、そのときルームサービスで頼んだら、全く違う「酸っぱいコーヒー」だったことで、いまだにカメリアのコーヒーだけがなぜあんなに美味しかったのか、謎です。
もちろん、自分で淹れてそんなレベルになるべくもないのですが、それでもときどきカフェラテを飲みたくなるので、この間ドリップ式のコーヒーを買ってみました。
いや、これ「ニッポンの隙間」のジャンルなんですが、この個別パック見て!
この画像にうっすら見える複雑な切りこみが開きます。
そしてカップの縁に引っ掛けてお湯を注ぐと。

誰?こんなの考えた人?
日本人って、何とも思わずこういう匠の技を日常に取り入れてるんですよ。
世界レベルで見て、これ、結構物凄いものに思えるんですが。
味は・・・・まあ、普通でした。
法務大臣がうっかり
「(中国人船長の釈放については)検察庁に私たちが指示しました」
って言っちゃってますよ。
この人、失言しないように一生懸命原稿を棒読みしていましたが、質問に答えるうちについ枕に自分の言葉を挿んでしまったのね。
正直な人なんでしょうねえ。
今や影の総理、老害仙谷由人は、天下りの実態とその弊害について批判して以降「苛め」にあっていることを国会で証言した官僚に
「将来がある方なので惜しまれる」
ってあらためて恫喝しちゃうし。
いやあ、何と言うかやくざ体質が隠しきれなくなってきてません?
これ、つまり
「将来潰されたくなかったらみんすのヤヴァイこと証言すんなよ」
っていってるってことでしょ?
だいたい、「天下り根絶」ってあんたらのマニフェストになかったですか?
それにしても、最近はどんなお笑い番組より笑える国会中継。
テレビも、低視聴率にあえぐならゴールデンタイムにこれを流すべき。
もっとも、これが後味のいい笑いかと言うと、全く別の話ですが。
さて、今日のテーマです。
紅茶派、コーヒー派。
なぜ「派」なのか。
どちらも好き、という人はいないのか、と思って生きてきた
「どちらも派」
のエリス中尉です。
・・・・・同じ文章を最近書いた気が・・・デジャブかな。
ある女性がお見合いのときにコーヒーを注文したんだそうです。
すると、イギリスの某有名大学卒の肩書きを持つ体重1トンの相手の男はいきなり
「どうしてコーヒーなんだ。こんなとき女性は紅茶を頼むものだ」
と怒った、というのです。
その一言でお見合いは破談。
当然向こうも紅茶を頼まない女性はお断り、と。
なんか変な話だしこの高学歴1トン男もロクなもんではなさそうですが、
「見合いのとき女性が飲むのはミルクティー」
というイメージは確かにありますよね。
片やコーヒーのイメージ、といえばジャズの名曲「ブラックコーヒー」
を思い出します。
ひどい孤独 一睡も出来ない
部屋をうろついてはドアを見つめる
ブラック・コーヒーを飲む
恋なんて使い古しの箒のようなもの
私は日曜なんて知らない この部屋にいるから
自分の影を相手におしゃべり 夜中の1時から4時まで
コーヒーを飲み煙草を吸う なかなか過ぎない時間
(Black coffee エリス中尉:訳)
このダークなイメージが、コーヒーのそれではないでしょうか。
昔知り合いが
「コーヒーや煙草する人って、なんか『悪』ってイメージだよね」
と言ったのに、単純な表現ながら感心した覚えがあります。
ささやかな悪徳、と呼ばれたりもします。
確かにこの曲の歌詞におけるデスぺレートな空気に煙草とコーヒーは似合います。
男は恋を追い求めるために生まれ
女は泣き暮らすために生まれる
そして後悔をコーヒーと煙草で紛らせる
そんなアングラ的雰囲気に憧れた若き日、何を隠そうエリス中尉もコーヒー派でした。
大学近くの喫茶店、終電までコーヒー一杯でねばって、芸術や読んだ本について語るというあのときでしかできない壮大な時間の無駄遣いをよくやったものです。
そういえば、サルトルやドストエフスキー作品を全部読破したのもあの頃でした。
しかし、時は流れ、アンダーグラウンドといえば私的には底の底ともいえるミュージシャン生活を経て、
「私の本質ってもしかしたらアウトローではないんだわ」
と堕落いや、大人になった今となっては、たかが飲み物に思想を持つこともなく、美味しい紅茶が何よりもの好物となっています。
若いころ、自分にまつわるものの全てに何か思想を絡めたかったのはなんだったのか、と改めて今考えると不思議な気すらします。
形而上と形而下のバランスに必要以上に拘泥していたっていうか。
冒頭画像はエリス中尉御用達マリアージュ・フレールの量り売り紅茶葉。
お店に行くたびに買うのが
「マルコ・ポーロ」
「ウェディング・インペリアル」
マルコはフラワリー、ウェディングはヴァニラ系。
ミルクティーに合います。
先日買ったのはこれに加えて
「アメリカンブレックファースト」
これは、名前とは裏腹に、ヴァニラ+ナッツの甘い香り。
このように、行くたびにお店の人に(なぜかここの店員さんに女性はいません。男前の男性店員ばかり。何故でしょうか)好みのフレーバーを推薦してもらいます。
画像の紫の缶は
「ルージュ・ドトンヌ」(赤い秋)
と言う新作で、この日お奨めされたもの。
マロングラッセのフレーバーなんですよ。

グラムで買ってきて、詰め変えます。
いろいろフレーバーティを試しましたが、このマリアージュ・フレールのものが一番美味しいように思います。
あ、紙パックの紅茶など論外よ。
ちなみにこれはフレール兄弟の意。パリに本店があります。
一度お茶を飲みに行ったらソムリエのような
「茶ムリエ」と言うべき人がいて、好みを聴いてお茶をえらんでくれました。
さて、ダークなイメージと言いきってしまったコーヒーですが、スターバックス登場以降、あまりそういったふた昔前のアングラ的なものではなくなってきました。
コーヒー店で禁煙。
これが成り立った、ということが日本の喫茶店史を変えたとも言われています。
確かに、タバコのにおいとセットでないと楽しめなかった「外コーヒー」が可能になったという意味ではスターバックスは(スタバじゃないのよ皆さん)偉大な功績を残したと言えましょう。
コーヒーも上手く入れれば「ブラックでも甘い」というのをご存知ですか?
大抵は一流ホテルですら酸っぱいコーヒーを出してくるので、心ならずもカプチーノなどを頼んでいるのですが、これまで本当に「甘い」と思ったのは
「ホテルオークラ神戸のカフェカメリアで出すコーヒー」
今は知りません。少なくとも8年前まではいつ行ってもそうでした。
甘くてコクがあって、ミルクなど要らないくらいでした。
不思議なのですが、そのときルームサービスで頼んだら、全く違う「酸っぱいコーヒー」だったことで、いまだにカメリアのコーヒーだけがなぜあんなに美味しかったのか、謎です。
もちろん、自分で淹れてそんなレベルになるべくもないのですが、それでもときどきカフェラテを飲みたくなるので、この間ドリップ式のコーヒーを買ってみました。
いや、これ「ニッポンの隙間」のジャンルなんですが、この個別パック見て!

この画像にうっすら見える複雑な切りこみが開きます。
そしてカップの縁に引っ掛けてお湯を注ぐと。

誰?こんなの考えた人?
日本人って、何とも思わずこういう匠の技を日常に取り入れてるんですよ。
世界レベルで見て、これ、結構物凄いものに思えるんですが。
味は・・・・まあ、普通でした。