いつぞや豊橋で再会した坂井三郎と西澤廣義編をお送りしましたが、
今日はこのマーチン・ケイディン作、「サムライ!」から、笹井醇一中尉について
とんでもない暴走をしている記述をお送りしましょう。
前回、あることないこと織り交ぜてドラマティックな話に仕立てられた「サムライ!」の一部を初めて読まれた方は、その奇想天外なやりたい放題の創作に驚かれたかもしれません。
逆に言うと、あれだけの誇張と創作であったればこそ、汎世界的な共感を得たと、
まあ、言えないこともないのかもしれませんけれども。
あの本があれだけヒットし、現在でも版を重ねて出版されている
(因みに私が今回買ったのは今年六月に重版で発売されたものです)というのは、
よくも悪しくもそう解釈するしかなさそうです。
この英語版を読んで笹井中尉のファンになった、という読者は、
世界中に少なからずいるのではないかと思われます。
マーティンは、笹井中尉を
「全人格的な、人格高潔、海軍のしきたりや旧式のしがらみにとらわれない人格者であり、
かつ愛情を惜しみなく部下に注いだ名隊長」という書き方をしており、
まるで禅でもしているような物静かで冷静な、悟りきった人物像を貫いています。
実際の笹井中尉がそういう人物であったかどうかはともかく、
少なくとも坂井氏の供述からはそこまで読みとれないことまでをも断言しており、
ある意味かれが恣意的に人物をキャラクター化している様子が端々に現れているのです。
それでは始めましょう。
例によってエリス中尉拙訳でお送りいたします。
しかし、私の戦闘生活の中で最も忘れ得ぬ人物は、
直接の上官でありおそらく日本最強の搭乗士官であった笹井醇一中尉である。
笹井中隊には、西沢、太田、高塚、そして私という撃墜王が名を連ねていた。
隊のみんなは誇張でも何でもなく、
この若い中尉を守るためには死ぬことを躊躇もしなかった。
バリからラバウルまでの酷い旅の間、かれの個人的な看病が私をどんなに救ったか、
あらためて書いておきたい。
一度ならず私はかれが私に身をかがめ覗き込んでいるのを幻影のように感じられていたのだが、
それが訝しかったのはそれは先例のないことだけではなく、
分隊長が部下の病床に付き添うなどというそのステイタスを損なう行為自体が
信じられないことでもあったからだ。
しかしながらこれが笹井中尉のしたことだった。
また後日、坂井氏の最初の著書である「坂井三郎空戦記録」を手に入れたので、
それについて書く予定なのですが、実は坂井さんが船中病気になり、笹井中尉が看病した、
ということはたった一言「新分隊長笹井中尉が看病してくれて助かった」と書かれているだけです。
後日あらゆる出版物に見られる感動的な看病の様子は、
このときすでにマーティン・ケイディンの手によって書かれていたのです。
ところで、ここで坂井さんから話を聞いたフレッド・サイトウもしくはマーティンは、
笹井中尉について決定的な間違いを犯しています。
・・・大げさかな。
二十七歳で独身であった笹井中尉は戦地で源義経のイメージを守り抜いていた。
義経とは日本の伝説的な武将の名前である。
もう、冒頭からいきなり間違ってるし。
ラエ桟橋で
「あなたは義経のように戦ってほしい」
と、坂井さんが言った、というのは、後年「大空のサムライ」において初めて登場するエピソードですが、
この時点でマーティンなりフレッドなりが「ヨシツネ」をどこから引っぱってきたのかは謎です。
因みにこのとき笹井中尉は二十四歳です。
笹井中尉は海軍の階級制度を押し付けられることを唾棄しており、
他の搭乗員に対しては着ている制服の違い以上の関心を払っている様子もなかった。
何度も言うがこれはこの点は些細なことであるようで、日本の士官の規則にとっては
巨大な問題でもあったのだ。
ラエについた後、私は笹井中尉が部下搭乗員の健康管理に親身になるのを目撃し
感嘆することになる。
誰かが熱帯の地でマラリアに罹ったり、体が腐ってしまうような悪質な浮腫を患ったときも
笹井中尉は誰よりも先にその傍にあり、慰め励まし、衛生兵と一緒に
その地獄のような状況でも部下が看病を常に継続して受けられるようにはかった。
かれは部下を救うためであれば聞いたこともないような病気に彼自身の身をさらすことにも
まったく怯むことはなかった。
・・・・・・・・・・。
いえ、わたくしとて笹井中尉の熱心な支持者、熱烈なファンの一人。
笹井中尉がこのように描かれることに不満を持つものでは決してないのですが、
これはやりすぎではないですか?
いや、笹井中尉がやり過ぎという意味ではなく、
笹井中尉の人物像をあまりに高潔に作り込み過ぎている、という意味のやりすぎです。
台南空の誰がこんな酷い伝染病に罹ったのかはわかりませんが、
百歩譲ってそういうことがあったとしても、笹井中尉だって数少ない分隊士として
「ペーパーワークに忙殺されていた」(本人談)あのころ、
時間的にもこのようなことは無理だったのではないでしょうか。
人情家でで部下思いの笹井中尉像を描こうとするあまり、
まるでマザ・ーテレサのようなことになってしまっています。
坂井さんの看病はしたでしょうが、さすがにこれは・・・。
さらに筆を情熱に任せて聖母のような笹井中尉像を捏造、いやつい創作してしまうマーティン。
あなたは何か?
「聖人笹井中尉伝説」でも書いているのか?
と思ったらば
我々にとってかれはほとんど伝説になりつつあった。
原文 To us he became almost legendary.
・・・・・・・・・・orz
してるよ。伝説に。
男たちは笹井中尉の実績を見ていたから、かれのためにも恥知らずな戦闘をする輩は
殺しかねなかったし、この若い士官に対して永遠の忠誠を誓っていた。
ある晩、我々は笹井中尉が病院に入って行くのを見て不思議に思ったのだが、
かれは浮腫のため痛みが容赦なくその肉を苛んでいるある搭乗員の傍らに
付き添っていたのだった。
誰もそれが伝染性のものであるとも何とも云えず、ただそれは恐ろしかった。
しかし、その不運な男を覗き込むようにしていたのは、笹井中尉だった。
かれのため睡眠さえ犠牲にしていたのは、笹井中尉だった。
かれを力づけていたのは、笹井中尉だった。
この奇病に罹った搭乗員には全く申し訳ないのですが、
最後の三行でエリス中尉、吹き出してしまいました。
しかし、何故ここまで笹井中尉が神格化されたかというと、坂井さんの語ったエピソード
「看病をしてくれた」
「マラリアの薬を率先して飲んだ」
この二点を元にした壮大なる解釈によるものなのですね。
因みにマラリアの薬を率先して飲むエピソードは、どちらかというとユーモアを交えて語られ、
微笑ましいものとなっているのですが、この「サムライ!」によるとこうなります。
笹井中尉はキニーネをこっそり捨てている男たちをまるで子供のように扱った。
かれはその猛烈に苦い薬を口に入れ、噛んで見せた。
普通の人間なら我慢できずに吐いてしまうところだが、笹井中尉はそれをしなかった。
キニーネの苦さに文句を言う上官はいても、
笹井中尉のようにする上官を誰も見たことはなかったのだ。
二人きりの時に、私は笹井中尉にあんなありえない方法で薬を飲んで見せることが
なぜできるのかを尋ねたことがある。
「俺を偽善者だとは取らないでほしい」
笹井中尉は静かな口調で説明した。
「俺だってみんな以上にあんなものはご免こうむるよ。
しかし、俺の部下をマラリアにならせるわけにはいかん。
実は、あれは俺が幼い時に母がしてくれたやり方でしただけだ」
偽善者だなんて誰も思いませんとも。
少なくとも坂井さんは「頼まれたってあんなことはごめんだ」って言ってますが、
笹井中尉の気持ちはみんなに伝わっていますよ、きっと・・・・・。(涙)
よくマンガや小説で書いているうち
「キャラクターが独り歩きしだす」
ということがあるそうです。
作者の当初の意図とは違った方向に人格が育って、思わぬ展開になってしまうことをいうのですが、
作者の広兼憲史氏によると、「島耕作シリーズ」の主人公島耕作もそうらしいですね。
最初は調子のいい普通のサラリーマンだったのに、だんだんヒーロー化して大会社の中枢に躍り出る。
全く当初の作者の意図とは違った展開なのだそうです。
創作された人物ならともかく「実在の人物」でありながら、
明らかにマーティン・ケイディンの描く笹井中尉は人格を得て独り歩きしています。
またいずれ別の日に御紹介しますが、たとえば西澤廣義などにもかれは思い入れがあったようで、
我々の全く知らない西澤飛曹長がそこでは生き生きと?命を得て活躍しているのです。
もしかしたら、これらの「キャラクター」に筆者はかなり惚れこんでいたのかもしれません。
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