ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画としての「男たちの大和」

2010-10-17 | 海軍
松山ケンイチくんのファンに「似てねえ!」と怒られそうな主人公、神尾克己の敬礼姿です。
「大和の設計図を貰う予定」と、タイタニックを貰った日に書きましたが、いつになるやらわからないものの、大和について知っておこうではないか、ということで、とりあえずこの映画から始めて見ました。
したがって、まだ大和について、一般常識の一歩も外に出ていない状態のまま、この映画の感想を書いてしまいます。
ご存知かと思いますが、これは辺見じゅん氏の「男たちの大和」が原作になっています。当然これもまだ読んでいません。その上での、純粋に映画として見た感想ですよ。

まず、配役。

海軍特別年少兵、この神尾克己役、松山ケンイチくん。(つい君付け)
いいですねえ。
テレビを見ないのでかれがどういう俳優だかさっぱりわからないまま映画を見ましたが、後から画像検索で金髪姿を見つけて驚きました。
「憑依型俳優で、まるでジョニー・デップのごとく役柄によって雰囲気が変わる」のだそうですが、この敬礼姿を見ても分かるように、ここではあくまでさわやかな好青年風です。
好みとかそういう以前に、かれは実に見るのが楽しい俳優ですね。
なんというか・・・目に快、という実に気持ちのいい作りの顔をしています。
くりくり坊主がまた恰好いいではないですか。

ただ、この醤油顔の少年が歳とって仲代達矢になるかなあ・・・。

この、いわゆる主役級の俳優が戦争映画で髪をそのままにしている、というの、なんだかしらけるんですが(君を忘れようって映画ですよ確か)さすがにジョンベラ軍団は潔く坊主です。
しかし、二等兵曹役である反町隆史、山田純大はイマイチ思い切り悪く五分刈りです。
大和艦長役の奥田瑛二が坊主にしているというのに・・・・。


この映画の主役は艦長でもなければ、士官でもありません。
年少兵であり、下士官です。
特に反町隆史が主計兵曹、というのがリアリティがあっていいかなと。

「出撃前の赤飯は一人前増やしとくわ」
「これ、芋ようかんだ。みんなに配れ。おまえの株も上がるやろ」


これを二枚目俳優が云うと、必要以上にかっこよく聞こえてしまうという不思議・・。

それから、臼淵巌大尉を演じた長嶋一茂。(ちゃんとだいい、と発音していたのでこれはよし)
激することもなく、いつも淡々と冷静に部下をさとし、歴史を引用しながら死に方を説く。
なまじ、「立派な体格のでくのぼう風(失礼)男前」であるキャラクターが、妙にこの分別臭い役にハマっています。
まるで、ちゃんと計算して演技をしているかのような・・・。
と、事実を知らず映画だけ観た人は言うでしょう。

しかーし。
臼淵大尉は海兵71期。
71期生徒はわずか9カ月で中尉から大尉に昇任しており、大尉といえど大和乗組みの時点でせいぜい二十二、三歳というところ。

あれ、二十二、三の顔ですか?

註:今朝調べたら、おそるべきことに臼淵大尉は十六歳で兵学校入学を果たした超秀才だったので、大和特攻のときはなんと

二十一歳

だったそうです。

ますます長嶋一茂ミスキャスト・・・・・・。


この映画の大和戦闘シーンは、映画中二回あります。
戦闘シーンで気付いたことですが「フィルムの回し方が速い」。
砲手たちが戦闘機の機銃で壁に叩きつけられ、あるいは砲座からそのまま転がり落ちる。
従来の映画でスローモーションを多用する、特に主役クラスの戦死や負傷のシーンも普通よりフィルム速度を速くしているのか、時として誰の戦死か分からなかったりします。
スローモーションもないわけではないのですが、早回しとの間に挟み込む形でメリハリをつけています。

スローモーションの死に慣れた私たちの目にはむしろこの映像はリアルに見えます。
実際、大和の甲板には血糊が10センチ溜まったといわれていますが、血しぶきの扱いも映像専門的にどう違うのかうまく言えませんが、実に真に迫って見えました。


さて、この映画の製作時、広報スタッフは内容が旧日本海軍を賛美するものであるという抗議の声への対応に忙殺されたそうです。

どういった層がこのような抗議をするのかは大体想像がつきますが、戦争を賛美するのならともかく、命を捨てて戦った戦士たちを賛美して何が悪いのかという個人的な感想はさておき、どう左寄りから見ても、この映画のテーマは「反戦」であり、大和の最後を悲壮に描く以外の何の意図もないと思えます。


この映画は邦画としては空前絶後の予算25億円がかけられました。
(ちなみにタイタニックが200億円、アバターは230億円です)
そのお金のかかったCG映像とセットをやはり中心に据えざるを得ない、という縛りのせいか、戦闘シーンがいつも巨大な戦艦の上のごく一部。不自然です。
そして「反戦」にこだわるあまり、どうしても登場人物の描き方が表層的にならざるを得なかった感は否めません。
まず、「靖国」という言葉が一言もないのは当時の戦士たちの覚悟を思うと実に不自然です。
各方面に気を使う余りでしょうか。
そして、破滅に突き進む総員の絶望のみを強く描き過ぎのような気もするのですが、まあ、このへんが今の戦争映画の「落とし所」なのかなあ、と。



それから、海戦シーンですが、まるで大和だけで戦っているようなんですよねこれが。
他の艦がちらっとも出てこず「壊滅した」の一言で片づけられてしまうのはどうよ、というのが個人的感想その二。


音楽はやっぱりというか何と言うかの久石譲。
ケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、ときどき、いやーそれ、合ってないんじゃない?というハズシがあるのが特徴です。妙に音楽が目立ちすぎるというか。
これは、音楽関係者だけの感想かもしれません。
しかし腐っても世界のヒサイシ、(これも失礼すぎる)映画界の今やオンリーワン、いやオンリーツーのうちの一人。
さすがの安定感でメインテーマの悲壮感はピタリと大和の悲劇的な最後にはまります。

それにしても、今の映画音楽界には久石とハンス・ジマーしかおらんのか。


もうひとつ。

川添二等兵曹役を演じた高知東生は、実際に大和に乗艦していた生存者から海軍の所作や儀礼、高角砲弾の持ち運び方の指導を受けた時の事を取り上げ、「当時を思い出されたのか、涙ぐみながら指導して頂いた事は私の役者経験の中で一番感動した事でした。」と語っています。

(これを読んで、おお高知東生、いい役者根性しているじゃないか、と見直したのですが、どこに出ているのか最後まで分かりませんでした(^_^;)どんな役してました?)

海軍式敬礼、というもの一つとっても実際の海軍出身者から演技指導を受けていたのですね。
この松山ケンイチくんの敬礼も、他の出演者の敬礼も、注意して見ると実に「海軍風」。
そうでない「現代」のメンバーが最後に海に向かって敬礼したとき、見事に三人が三人とも「陸軍式」の肘を張るやり方だったので、あらためて実際の元海軍の演技指導が乗組員を演じた役者には徹底していることに気付いた次第です。

それはいいんだけど、神尾克己の老後という設定なんだから、あの敬礼はまずいのでは?
仲代達矢が偉すぎてだれも所作指導できなかったってことでしょうか。