ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

これもそれがしの一日でござれば~野中五郎少佐

2010-10-27 | 海軍人物伝

海軍少佐(死後二階級特進大佐)野中五郎率いる神雷部隊には、
「南無八幡大菩薩」「非理法権天」(註)という楠正成も掲げた幟がはためいていました。
隊員は誇りを込めて自らを「野中一家」隊長を「野中親分」と呼びました。
時には陣羽織を着て指揮にあたった野中親分には、
しかし、戦場で茶の湯を点てる雅(みやび)な一面もありました。

註:ひりほうけんてん。
「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」
非<理<法<権<天、つまり、
「権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越する」
皇国主義の大東亜戦争当時「天」は「天皇」とされた。



ここで似顔絵を写真から描きおこすとき、約小一時間写真を何回も眺め、細部を点検するのですが、
野中少佐の気品のある鼻筋、何か愉快なことを企んでいるかのような生き生きとした目、
そしていつも心もち持ち上げた唇の端に、
人生を肯定するかのような微笑みが漂っているのをつくづく見るに、
この「親分」に写真だけで魅了されてしまいました。

兵学校時代からその最後まで逸話の多かったことは皆さんももしかしたらご存知かもしれません。
先日堂々たる居眠りを話題にしましたが
全ての逸話が少佐の魅力を物語り、
人間に器の大きさがあるならばこれほど大きな器の持ち主はいるまいと思われるほどです。
カリスマとはこういう人のことを言うのでしょう。

搭乗員整列の合図に陣太鼓を打ち鳴らし、
号令台の上で右ひじをちょっと曲げるだけの招き猫みたいな答令をし、
「今日は滅法天気がいい。
陸攻隊の野郎ども、具合のいいところからおっぱなせ。
桜花隊の野郎ども、目ん玉ひんむいて降りて来い。
野郎どもかかれえーっ」
搭乗員たちは「がってんだーっ」

「おう、君が林くんか。てめえ、野中てぇケチな野郎でな。
まあ奥にはいんねえ。もっともあんまり奥にへえると突き抜けちまうがな。へへ」
と品のない笑い方をしました。(兵71 林富士夫大尉)



野中少佐が茶道に傾倒したのは
裏千家を学んだ搭乗整備員藤村鉱三兵曹の手前を見て影響を受けたものです。
こんにち、基地指揮所で茶を点てる少佐の写真が残されています。

少佐が茶を点てる場所はそれこそ飛行機の翼の陰、
敵弾でハチの巣になった陸攻での帰途の機内、
硫黄島での灯火管制の暗闇のなか。
戦場でありながら機会を見つけ、出陣前や帰投後、そのひとときを持ったそうです。

戦国時代、長路の道中で茶を点て、
「こんなときに」と同僚にいぶかられた武士が

「これもまたそれがしの一日(いちじつ)でござれば」

と答えた、という話を彷彿とさせます。


海兵66期、藤原弘道少佐の回想です。

「粗菓ですが召し上がれ」

隊長は何かを私の前に出してくれた。
探ってみると、丸い小さな木盆があり、何やらのっている。
それをまさぐると紙に包んだものである。
開いて口に入れてみると、何とそれは配給の熱糧食であった。(略)

いよいよ隊長が茶を点てることになった。
タバコをふかしながら茶を点てるとは不作法ではないかと思っていたが、
なつめから抹茶をすくうとき、茶碗に湯を注ぐとき、
タバコのあかりで分量を見定めるのを見て、なるほどと感心した。

静かに夜は更けていった。



あるいは、全精力注いで雷撃を繰り返し、暗夜の洋上を帰ってくる機上で、
うしろから肩を叩かれる。
ふりかえると野中少佐が黒茶碗に点てた抹茶を差し出している・・・。
それを飲むとき、隊員は「生き返った」と実感したのだそうです。

一式陸攻に吊られた「丸大」桜花ロケットに人間を乗せ体当たりさせる特攻隊
「神雷部隊」隊長だった野中少佐は、桜花を
「この槍、使い難し」と評し、出撃を命じられたとき

「湊川だよ」

宰相の愚策から、敗北を知りつつそれでも
天皇の御為に出陣した楠正成軍が全滅した戦場の名を呟いたと言われます。

自らの最後を楠公の湊川になぞらえた少佐が、いつその覚悟を決めたのか分かりませんが、
そのころ少佐は戦地から自分の茶道具を親族に送り返しています。
形見のつもりだったのでしょうか。


野中少佐の茶道具はこんにち、「非理法権天」の幟とともに靖国神社遊蹴館で見ることができます。



見事な手さばきで茶を点て、戦闘で疲弊した部下の心を慰める野中少佐は
またクラシックを愛する音楽青年でもありました。

「いやべつに、ただ俺の好みでやっているだけよ」
「野中流」の理由を尋ねられ、少佐はこう答えたそうです。

湊川となった3月21日の最後の出撃の訓示はいつものべらんめえではなく
「まともな演説」だったということでした。



「野中親分」は繊細な野中五郎が作りだした人心掌握のための鎧だったのでしょうか。
戦争という舞台がなかったら、野中五郎はこの役を演じなかったでしょうか。

「最後の一瞬、
野中は火だるまの機中で、阿修羅のように絶叫してつっこんだのであろうか。
あるいは茶を点てているときのように、穏やかな顔で莞爾として突っ込んだのだろうか。
私にもわからない」
(海兵60 足立次郎少佐)


そのいずれであったとしてもそのときのかれが本当の野中五郎だったのでしょう。



作戦として組織された特攻で散華した佐官は野中少佐ただ一人でした。




参考:「戦場での茶の湯」藤原弘道
   「剛柔二刀流」湯野川守正
   「つむじ風部隊」板倉光馬
   「指揮官先頭、共生同死」生出寿   徳間文庫 

   「海軍兵学校よもやま物語」生出寿 徳間文庫
   「最後の精鋭『神雷』一家さむらい列伝」 足立次郎    
   「神雷部隊の思い出」林富士夫 人間爆弾と呼ばれて 文芸瞬春秋編
    海軍兵学校出身者の戦歴 後藤新八郎 原書房

   ウィキペディア フリー辞書より
   「野中五郎」「非理法権天」「楠正成」
   「日本海軍戦闘機隊」大日本図書 














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10 Comments

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えっ!? 本当ですか? (G.N)
2011-12-03 20:48:31
はじめまして。拝読させて頂きました。
ぶしつけに失礼かとは思いますが、お聞かせ願いますか?
靖国神社に野中隊長の茶道具が置いてあるのですか?幟があるのは知っていましが…。茶道具は鹿屋にでも行かなければ、目に出来ないものかと思っていましたが、いつからあったのでしょう?私が気がつかなかっただけでしょうか?
もし、それが本当なら(嘘をつく必要もないのですが…すみません)明日にでも会いに行きたいと思います。
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茶道具 (エリス中尉)
2011-12-04 08:30:25
ありますよ。
わたしは遊就館の見学のときは、いつも少佐の茶道具の前で思いにふけります。
展示品は時々入れ替えるようなので、もしかしたら以前GNさんが行かれた時にはなかったのかもしれませんね。
遺族の提供がいつだっかたにもよりますから。
今日日曜日、お天気もいいので是非観てきてください。
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ありがとうございます! (G.N)
2011-12-04 08:41:37
お早うございます。早速のお返事、ありがとうございます。
私が前回靖国に行ったのは、もう6~7年前になりますから、そうなのかも知れませんね。
でも、こんなに嬉しい情報を頂き、本当にありがとうございます。
今日は本当にお天気も良くて、久しぶりに野中隊長にごあいさつして来たいと思います。
行って参ります!!
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いってらっしゃい (エリス中尉)
2011-12-04 08:52:04
昨夜コメントに気付かなくてすみませんでした。
朝のうちにお返事できてよかったです。

もしかしたら、NCさんは野中隊長をご存じか、あるいは関係のある方なのでしょうか。
「ごあいさつしてきたい」というおっしゃり方にただならぬ敬愛の様子が覗えて、思わず心が熱くなりました。

お役にたててうれしいです。
野中隊長によろしくお伝えください。

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はじめまして (村瀬)
2012-07-09 03:05:28
沖縄戦、小生の暮らす南九州は最前線基地として海軍鹿屋、串良基地より無謀極まる菊水作戦を展開、悲劇的多くの若者が犠牲となり散華されました。基地周辺に暮らす自らは、最近
基地関係について色々調べております。
 多くの遺書など拝読しては胸が震える想いを禁じえません。
 最近になり、野中隊長について、調べており、貴殿のブログ興味深く拝見させていただきました。ありがとうございます。
 余談にはなりますが、特攻隊員の遺書は、どこか幕末の志士の辞世の句を彷彿させて涙ながらに読ませていただいてます。野中隊長、強烈な個性からしてどこか高杉晋作殿を彷彿させますね。野中隊長がクラシック音楽を愛していた
逸話も興味深いです。
 
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野中隊長と銀座の楽器屋 (エリス中尉)
2012-07-09 09:24:20
銀座和光の角近くにキムラヤのあんパン屋があり、その隣に、山野楽器、はずれにはヤマハがあります。
この楽器屋に、東京出身の野中隊長は帰京の度に足を運び、レコードを買い求めたのだそうです。
時々ここに寄ることがありますが、そのときにはいつもその話を思い出してしまいます。

村瀬さん、初めまして。
拙ブログで少し触れましたが、わたしはこの春に知覧の特攻基地跡を訪れ、色々思うことがありました。
本を読み、人の考えを百読んでも、そこで目にした特攻隊の青年たちの遺書ほど、多くを語りかけてくるものはないと感じました。

今回の呉探訪でも思いましたが、自分の目で見ることは知識をただの知識に終わらせないためにも大切なことですね。
村瀬さんも野中隊長のことについて調べておられるとのこと、もしよければ検索すれば、米軍の飛行機が撮影した野中機の最後の姿がユーチューブで出てきますよ。
実に見るのが辛い映像ですが・・・。
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返信ありがとうございます (村瀬)
2012-07-09 22:40:23
返信ありがとうございます。野中隊長の事をあれこれ考えながら仕事に追われている自らに戸惑うばかりです。クラシックは、ひょっとしたらベートーベンを愛聴されてたかもと、、勝手に想像しております。ユーチューブの動画拝見しました。無声無音の状況が、よりリアル過ぎて痛々しいです。。
知覧は小生も初夏に訪れました。小生も、御遺影以上に多くの遺書に衝撃を受けました。
遺書について串良基地より多くの戦友の出撃を見送られた元特攻隊員の方がHPで、綴られておられます。http://senri.warbirds.jp/09seisin/4-56.html
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野中隊長の愛聴曲 (エリス中尉)
2012-07-10 00:21:14
わたしもベートーヴェンだったと思います。
特に、第五番「運命」の第三楽章、この主題は、なぜか野中五郎がその彼岸に向かって雄々しく歩んで行った後姿が彷彿と重なります。
よかったら聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=18LeV5IeuVs

教えていただいた手記、読んでまいりました。
「自分が犠牲になることで、親や兄弟が無事に暮らせるならばという、切羽詰まった考え方で自分の死を納得するのです」
という一文には、胸を突かれました。
返信する
野中雷撃隊の出撃風景 (しろき)
2014-02-23 20:49:15
関根精次著「炎の翼」光人社NF文庫p313をご覧下さい。
他隊の幹部に向って「高禄を食(は)む方々」と呼びかける
ユーモア、野中五郎少佐こそ日本人侠伝の誇りです。
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オーダーしました (エリス中尉)
2014-02-23 23:28:52
その本はまだ読んだことが無かったので、たった今注文してみました。
教えていただきありがとうございます。
楽しみに読ませていただきます。
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