空港で買った、アメリカの「二人の撃墜王」、ボングとマクガイアについて書かれたエース本、
ACES HIGHの綴じ込み写真です。
このページはディック・ボングの三葉の写真が掲載されているのですが、
彼の愛機であるP-38ライトニングがそのうちの二枚に写っています。
機体にペイントされているのはひとつひとつが旭日旗である「撃墜マーク」なのです。
日本でも、岩本徹三中尉、谷水竹雄飛曹長が、
機体に独特の撃墜マークを施したことで有名です。
前にも書きましたが、この本には、毎タイトルごとにその頃のボングとマクガイアの
「撃墜スコア」が掲げられています。
さすがはエースという言葉が公式に存在している国。
ボングを「ソーサ」と変えれば、そのまま「大リーグのホームラン競争」なのですが、
内容はともかく、タイトルとアオリは、ほとんど同じようなものと言えます。
ところで、ホームランなら何の問題もないわけですが、この「スコア」は、つまりが
「それだけの日本人が死んでいったということ」
綴じ込み写真を拡大にする気になれなかった私がそう思ったように、
ボングの愛機にペイントされた旭日旗の数を見て「それだけの数の日本人が・・」
と思わない日本人はおそらくいないでしょう。
本文によると「実際はこの数にとどまらず、おそらくその倍くらいだろうという僚機の証言がある」
ということで、さらに複雑な気持ちにさせられます。
ところで人間とは実に主観に支配された生きものであるとあらためて知る気になったのは、
谷水飛曹長の「星の撃墜マーク」とこの旭日旗を、
明らかに違う目で見ている自分に気がついたときです。
アメリカ人が、もし星の撃墜マークを見るときは、同じように感じるのでしょう。
ボングが撃墜数において一次大戦の撃墜王リッケンバッカーのそれに並んだとき、
アメリカ陸軍はボングを特令により一時帰国させています。
これは「エース」保護のための措置だと言われており、
さらにこの人材を失わせないため、かれに実戦を禁止し、
戦地復帰の際にはわざわざ教官の任務を与えますが、
ボングは自衛のためという理由のもとに禁令を破って飛び続けます。
再び帰国命令が出たボングの最後は、国内でのテスト飛行での事故によるものでした。
ボングが命令を無視しても飛び続けた理由には、
同じ陸軍のパイロットであるマクガイアへのライバル心があったことは否めません。
後世のノンフィクション作家が言うところの「撃墜競争」は、やはりあったのです。
戦争であり、やらなければ自分がやられるのであり、
お互いそうすることを国によって余儀なくされた時代だったと言ってしまえばそれまでですが、
それにとどまらず「数を競う」という行為を是ということは、この世の誰にもできないはずです。
むろん、それを断罪する人間もいていいはずはありません。
南京で「百人切り競争」の濡れ衣を着せられ、処刑された二人の日本の軍人がいました。
荒唐無稽で、例えば刀が一人人を斬ったらどうなるかということや、
日本刀の信じられない重さを知っているだけでも失笑してしまうような「創作」ですが、
その「戦意高揚のための新聞記者の捏造」を戦犯の証拠にされてしまったのです。
それにしても・・・。
ここで断罪された百人を切り殺す(ありえない)競争と、百機飛行機を撃墜する競争。
戦争と言う異常事態の中でも前者は処刑に値する犯罪であり、
後者には正当性がある、と神ならぬ身でありながら言いきることができるものでしょうか。
ましてや怪しげな創作である前者に対し、後者は「まぎれもない事実」でもあります。
撃墜数。
飛行機を降りれば一人の血の通った人間であるボングやマクガイアににとっても、それは「ただの数字」ではなかったと信じます。
いわんやそれによって失われた「撃墜数分の一」であるひとりひとりの命においておや。
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