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毒ガス戦と「名前のない1914年」〜ウィーン軍事史博物館・第一次世界大戦

2019-10-10 | 博物館・資料館・テーマパーク

ウィーン軍事史博物館の展示より、第一次世界大戦のパートをご紹介しています。

右側の帽子は、帝国下ウクライナ兵のもの。

左は第一次世界大戦当時のKuK、オーストリア=ハンガリー帝国軍の軍服です。
ポケットのフラップの装飾に特色があります。

この写真は、2011年に最後の皇帝カール1世の息子、ハプスブルグ家の

オットー・フォン・ハプスブルグ(1912−2011)

が亡くなった時の葬列で行進する帝国軍時代の兵士たち。
このときには現在はドイツの国歌となっている、ハイドン作曲の

「神よ、皇帝フランツを守り給え」

も演奏されました。

Gott erhalte Franz den Kaiser (Kaiserhymne; Gott erhalte, Gott beschütze)

ドイツ国歌(東ドイツ国歌だった)って、替え歌だったんですね。

どれも帝国下アラビア志願兵の軍服です。

帝国海軍の水兵軍服など、海軍関係の展示です。

右上にある丸いものは、KuK海軍に撃沈された
イギリス海軍のM30の船窓だそうです。

KuK海軍の軍帽には舫を模した飾りがあるのに注意。

砂漠地仕様の軍服色々。

KuKの狙撃兵のスタイルです。
左の壁にあるのは望遠鏡ではなく、「パイプグレネード」だそうです。

絵に描かれている兵士も、このパイプ式爆弾らしきものを手にしています。

第一次世界大戦は「塹壕戦」だと言われています。
先ほども言いましたように、機関銃が大規模運用されたこと、そして
正面突撃を完全に破砕しうる火線が完成したことで、兵士の身の防御のためにに

塹壕に頼らざるを得なくなりました。

そして、敵も同じように塹壕を掘り進めてくるため、側面に回り込まれること、
包囲されることを避けるように前線は次第に広がり、連続的な線を形成するに至ります。

前線のいくつかの部分では防御のため、それは数キロメートルの深さに達しました。

両軍の前線の間の地帯は「ノーマンズ・ランド」と呼ばれ、
有刺鉄線で両側から隔離されていました。

塹壕を掘り進めて防御をまず第一とした先頭の形態は、戦線の膠着を生み、
このために戦争は当初の予想を大幅に上回って長期化したのです。

例えばドイツ軍の塹壕のさらに地下まで坑道を掘り進め、爆薬を仕掛けて
塹壕ごとドイツ兵を1万人一度に殺傷したイギリス軍の作戦には、
土の中を掘り進むという地味な準備になんと2年間を要しています。

第一次世界大戦を塹壕とともに後世に強く印象づけるのが「ガスマスク」です。

この時代に兵器として登場した毒ガスは、塹壕戦を打開するためのもので、
これもまたドイツ軍が西部戦線において初めて使用しました。

 

比重の重い毒ガスは塹壕内や地下壕内の歩兵部隊に被害を与え、
多くのイギリス兵が視力を失ったといわれています。

全員が視力を失った英陸軍第55連隊。

 

戦争の初期には塩素系の催涙ガス程度で止まっていましたが、
だんだんそれはより効果的な殺傷力をもつものに進化していきました。

このガス兵器の開発を行った中心人物は、あの、

Fritz Haber.png

フリッツ・ハーバー(1868-1934)

という科学者です。

彼の妻もまた優秀な科学者でしたが、彼女、クララは、
非人道的な夫の毒ガス研究に強く反対していました。

NHKの「新・映像の世紀」で紹介されていたので、
ご存知の方もおられるかもしれませんが、彼女は夫の毒ガス製造に反対し、
抗議のピストル自殺を遂げたということになっています。

ドイツ語のwikiですら、それが原因だと限定しているのですが、
調べてみたところ、夫婦の仲は冷め切っており、夫には愛人がいて、
自殺した夜に行われたパーティに同伴していたということから、
わたしは「抗議の自殺」とだけ言い切ることもできないと思います。

そもそも、彼女が抗議しようが、夫は毒ガス研究をやめようとはせず、
実際に自分が軍隊に参加してその結果を見届けるため予備隊に入隊し、
大尉になっていますし、彼女が死んだ後も平常通りだったようです。

夫の研究に異論を唱え始めたから仲が悪くなったのか、
夫婦仲が冷え切るのが先だったのか、これは余人には知るすべもありませんが、
どちらか一方の理由だけなら彼女はおそらく死ななかったのは確かです。

 

彼女の自殺は後世の平和団体に利用され、その名を冠した賞は

「個人的な不利にもかかわらず、戦争、軍備、人権侵害に反対する人」

に与えられているというくらいなので、その理由を突き詰めていくのは
顰蹙を買うことになりそうですが・・・。

ちなみに、ハーバー博士の考えは、原爆投下したアメリカの首脳陣と同じく、

「それによって戦争が早く終わる」

というところに尽きたということですが、ユダヤ人だった彼はその後皮肉にも、
ドイツから逃れるため国外亡命を余儀なくされることになります。

 

さて、毒ガスは、当初塩素系だったので、ガスマスクをかぶれば
命に別状はなかったのですが、だんだんそれが殺傷力を増すものに
グレードアップしてきた、と先ほど書きましたね。

その中でも一番危険で深刻な被害をもたらしたのが、マスタードガスでした。

wikiに載っているマスタードガスを浴び皮膚が糜爛した人ですが、
この写真はまだ「ましな方」です。

Mastard gas burns 

で画像検索すると、人間の皮膚がどうしてこうなってしまうのだろう、
目を覆うばかりの第一次世界大戦の負傷者の写真が出てきます。
(自己責任で閲覧をお願いします)


海に浮かぶうさぎの島がかつては毒ガス製造の島だった、
という話題を、島の訪問記としてアップした時に、このマスタードガスを
黄色であることから「きい剤」、あるいは

「イペリット」

と呼ぶという話をしましたが、このイペリットの語源は
1917年の7月31日から11月10日まで戦闘が行われたベルギーの
イーペル(Ypel)からきているということを知りました。


第一次世界大戦に参加した動物も紹介されていました。

当時のフィルムを見ると、やたら犬が写り込んでいるのに気づきます。
戦争に参加した動物については、かつて当ブログでも集中して取り上げたので
よろしければそちらもご覧ください。

専門の道具まで作って犬に荷物を引かせていたんですね・・・。

雪の降る山岳地帯で展開するための装備です。
それにしては薄着すぎないか、って?

第一次世界大戦が起こった最初の年、ほとんどの兵士が
冬装備を全くしないままヨーロッパの厳しい冬を迎えたのですから、
これはまだましな方と言えましょう。

雪上で的に見つかりにくいように白をまとっています。

看板には

「雪雪崩に注意!距離を保って!」

などと書かれています。

レリヒ少佐の私物でも見られた雪上履。全て白で統一。

天井から大砲を吊るして展示してありました。

ここからは第一次世界大戦の悲惨な戦地での様子が続きます。
1914年から1918年まで動員されたヨーロッパ兵士6千万人のうち、
800万人が戦死しました。

ちゃんと棺が用意され、従軍牧師が立ち会う戦地での告別式。
司令官クラスの人物が亡くなったのではないかと想像されます。

第一次世界大戦は多くの創作物に表されました。
戦地から帰ってきた画家は、自分が見てきたものをキャンバスに表し、
戦争画家は例えばアルヴィン・エッガー・リエンツのように
独特の世界で戦争を描きました。(左)

「名前のない1914年」(»Den Namenlosen 1914«)

ロシア戦線で亡くなったルードウィッヒ・ホルツハウゼン(誰?)
の十字架など、
本物の墓碑がいくつもここには展示されています。

プロペラに腕を乗せ、あたかも磔刑のキリストのようなポーズをした
青年は、フェルディナンド・ザウバー・フォン・オクロッグという
kuK海軍の士官候補生の姿を表したもので、1917年、19歳で亡くなりました。

 

ガスの被害以外でも、戦後に重い障害を抱えた人はたくさんいました。
700万人が永久的な身体障害者になり、1,500万人が重傷を負いました。

なお、第一次世界大戦での死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという
毒ガスなどの化学兵器は、当初猛烈な世界の忌避感を引き起こし、

1925年、ジュネーブ議定書においてその使用が国際法上は禁止されます。

第二次世界大戦ではそれに加え、報復攻撃を受ける可能性が抑止力となって
使用は控えられていましたが、だからと言ってガス兵器の製造が無くならず、
その後もその開発は続けられているのは皆様ご存知の通り。

 

ところで、毒ガス開発をしたハーバー博士の話を蒸し返すようですが、
NHKの「新映像の世紀」では友人で同僚でもあったアインシュタインが、

「君は才能を大量虐殺のために使っている」

とハーバーに向かって言ったとかいう話が紹介されます。

これの裏をとるため英語やドイツ語のサイトをいくつか当たったのですが、
この話は出てこず、日本語だけで検索が可能という状態でお察しです。


同じ科学者でも妻のクララはともかく、アインシュタインがそういうことを言うか?
とわたしはこの「ストーリー」に激しい違和感を感じずにいられません。

なぜなら、アインシュタインって、第二次世界大戦が勃発する1カ月前、
アメリカの大統領フランクリン・D・ルーズベルトに宛てて出された
原子爆弾の開発を進めましょう、という内容の手紙にサインしているんですよね。

まさか原子爆弾は大量虐殺に使われると知らなかったわけではあるまいに。

これがきっかけでアメリカはマンハッタン計画に舵を切ったのですから、
毒ガス程度で大量虐殺だなんてどの口が言うのか、って感じです。


当時の科学者の宿命と言いますか、ことにこのテーマでは彼らは皆ある意味
同じ穴の狢みたいなところがあると思うんですよ。
科学がどんな小さな発明でも戦争に利用され発展してきたという事実は、
いわば彼らの背負う十字架みたいなものでもあったのですから。

だから、そういう事実に対し真摯な科学者なら同業者を責めたりできないはずで、
もしこの話が本当だったら(わたしは嘘だと思っていますが)
アインシュタインっていうのはとんでもない偽善者、ということになります。

 

 

続く。