戦時中に映画化された岩田豊雄原作「海軍」、続きです。
本編主人公を演じるのは山内明(やまのうちあきら)。
この映画が実質デビュー作で、この映画で人気が出てスターになったそうです。
そして時は矢の如く過ぎ去り、真珠湾攻撃の軍神の一人、横山正治をモデルとした
谷真人が兵学校の一号生徒としてカッター競技に檄を飛ばす日が来ました。
「全身で漕げ!気力で漕げ!いいか、死んでも勝つぞ」
当時の在校生たちが探偵競技を見るために岸壁に集結しています。
もちろん映画のために生徒を動員するわけがありませんから、これは
実際の競技の様子を映画クルーが撮影していたのでしょう。
現在使用されていない「陸奥」の砲塔横の建物の窓にも、
競技を見ている白い事業服の生徒たちの姿がはっきりと残っています。
今でもそうするのかどうか知りませんが、競技前にスルスルと二色の旗が上がります。
「よーい!」で皆が一線に並んだ状態。
これを見て確信したのですが、先日卒業式の時に彬子女王殿下がお立ちになり、
幹部校長と海幕長とともに卒業生を見送った桟橋とポンツーンは今と全く同じです。
向こう側には練習艦らしき観戦の姿が見えています。
手前に「陸奥」の主砲が見える位置、ということは岸壁沿いに建つ
今は使用されていないビルの最上階にもカメラが入っていたということになります。
スタートは、表桟橋の旗が一気に引き降ろされ、号砲が鳴った時です。
短艇は一斉に水を滑りだしますが、この間ありがちなBGMはなく、
生徒の掛け声も声援もありません。
ただ、オールが水をかく音だけが聴こえてくるという感じで、
あざとい演出のなさが却って緊迫感を感じさせます。
真人は舳先に座って「頑張れー!」とかいう係。
号令をかけ、指揮をするこの配置を「艇指揮」と呼びます。
船尾には舵取りをする「艇長」がいるはずですが、どういうわけか
このボートには艇長がおらず艇指揮の真人だけが乗り込んでいます。
声を枯らして漕ぎ手たちの漕走を指揮する真人。
競技が終わり、真人が艇指揮をとるカッターはゴールしました。
「かいーたてえー」
「かい立て」と言って、オールのグリップを下にして垂直にたてる動作をさせると
なんとその一つが倒れてしまいます。
こ、これは・・・?
短艇競技が終わり、表彰式を行うため、総員が移動中。
それにしてもこれを見ただけでもわかる、当時の生徒数の多さよ・・。
「本日の短艇競技において第67期生徒野村誠一が最後まで渾身の力を持って
力漕し決勝戦に入りてかいを立てたるも力尽きて再び立つ能わざりに至り・・」
なんと野村生徒、死んでしまいました。
彼は病気を隠して(なんの病気?)競技に参加していたのです。
「不撓不屈、斃れしのち止まずの軍人精神を如実に発揮、
本校生徒の伝統精神を敷衍するものにして将校生徒の規範たり」
67期史にこのような事故のことは書かれていないので
おそらくは創作だと思われますが、こんな死も軍人精神になっちゃうんだ・・。
ちなみに、原作の「海軍」にもこのシーンはありません。
「野村は偉いやつだ」
いや、なぜ病気を隠して訓練中死ぬのが偉いのかと小一時間(略)
価値観が違うといってしまえばそれまでですが。
「軍人の本分を尽くして死んだのじゃから野村も本望じゃろう」
いやこれもなんか違う気がしますが価値観が(略)
真人は、自分に人を指揮する力がなかったから野村は死んだ、と悩みます。
だから本人が病気を隠していたって言ってんだろうが。
そして真人ら67期生徒が江田島を巣立つ日がやってきました。
このシーンを今年二回この目で見たわたしとしては思わず食らいつき。
画像が暗くてなんだかよくわからないことになっていますが、
敬礼しつつ表桟橋に向かう卒業生の側から撮られたカットです。
ああ、これも間近で見ましたねえ・・。
桟橋先のポンツーンにメザシ状態で並んだボートに卒業生が乗りこみ、
外側から順番に出航していく様子。
ちなみにこれを見る限り、この時のランチ出航はスムーズでした(笑)
そして行進曲「軍艦」に変わり、練習艦から帽振れを行う卒業生。
もしこれが本当に卒業式の映像であるとすれば、撮影中の昭和18年に
卒業した72期であるはずです。
彼らはこの後遠洋航海も近海航海もなく、そのまま各員配置の艦や
現場にそのまま乗り組み、戦場に赴いたと伝えられます。
しかしこれは67期の卒業式であると言う設定なので、映画の卒業生は
最後の世界一周航海となった遠洋航海に赴きます。
なんどもこのブログで書いていますが、横山少佐の67期はハワイに寄港し、
その際真珠湾の入り口を見ています。
「貴様たちのうち何人かはここに帰ってくる」
「だから見たものをスケッチをしておけ」
そう言われて湾口をスケッチした候補生もいたということです。
「エンタープライズがおる」「アリゾナもおるぞ」
などといっていた級友が海中にフカが泳いでいるのを示すと
「潜水艦みたいじゃないか」
そんな同級生の言葉に何事かを決心する風の谷真人。
ここは原作ではこう書かれています。
彼は、何事も忘れたように、鱶の群を眺めた。
すると彼の軀が、スルスルと水中に曳きこまれた。
あたりが、エメラルド色の世界になった。
青白い海底の砂が見えた。彼は鱶になったのである。
鱶が一列になって、音もなく、真珠湾の方へ進んで行くー
少尉になった真人が帰国し銀座を歩いていると、そこでばったり
海軍軍人になりたくて挫折し、姿をくらましていた牟田口に遭遇します。
牟田口は東京で画家を目指していました。
真人は牟田口に海軍画家になることを勧めます。
全てを割愛して真人は潜水艦乗り組になり、その後色々あって
特殊潜航艇でのハワイ突入のための特殊訓練を行います。
潜航艇には艇長に対し艇附という下士官がペアで乗り組みます。
真人が悩んでいたのはその指名を行うことでした。
行けばおそらく生きて帰ってくることのない作戦に
同伴を命じることに苦悩する真人。
逡巡しつつ作戦の内容を打ち明ける真人に下畑兵曹はこれを熱望。
ちなみに、随分と下畑は年配のような描かれ方をしていますが、
実際横山正治と同行した上田定は作戦当時まだ25歳です。
真珠湾攻撃後、米軍は特殊潜航艇とその乗組員の遺体を4体発見し、
いずれも埋葬していますが、一人は上田兵曹である可能性が高いと言われます。
特殊潜航艇に乗りくむ若い将校たちは最後の帰郷を許されました。
向こう側の四人が潜航艇で出撃したという設定ですが、
少佐の左側に、一人何も言わずに立っている軍人らしき人がいます。
この作戦で捕虜になってしまった酒巻和男少尉は、翌年の海軍省の発表では
最初からいないことになり、10人の出撃が「九軍神」とされたのはご存知の通り。
しかし、海軍としては創作に際してその存在までを消すことは忍びず、
ここにこっそり酒巻少尉を登場させた、と考えるのですがどうでしょうか。
最後の帰郷となって、まず東郷元帥に挨拶をする真人。
失礼ですが、昔の俳優さんは脚が短いなあと思ってしまいました。
桜島を望む錦江湾では、折しも真珠湾攻撃に参加する航空部隊が
錦江湾を真珠湾に見たてた爆撃訓練を行なっていました。
帰郷してきた真人に
「わたしはお母さんのご飯が食べたい。お母さんのご飯が一番美味しい」
と言われて微笑む母。
しかし彼女は何かを感じ取っていました。
そしてこの世で最後の家族で囲む食卓・・・。
真人は兄に母のことをよろしく頼むと言い遺して故郷を後にします。
そしていよいよ真珠湾攻撃部隊が集結。(これは多分本物)
「同乗の下畑兵曹の遺族に対しては気の毒に堪へず・・」
艦内で真人が書き遺す遺書。
横山少佐の遺書にも、同じことが書かれていました。
「同乗の上田兵曹の遺族に対しては気の毒に堪へず・・」
そこに真人付きだった従兵がやってきて、揮毫を所望します。
真人が記した書を押し頂くように受け取る若い水兵でした。
さらに特殊潜航艇に乗組む4人の士官たちも各々遺筆をしたためます。
ここではすでに酒巻少尉はいなかったことになっています。
「断じて行へば鬼神もこれを避く」
かつて笠智衆扮する配属将校が真人たちに遺した言葉を
彼はこの世の最後の彼の言葉に選びました。
出撃前の彼らのためにお弁当にサイダー、チョコレートなどが並び、彼らは
「まるでハイキングだ」
と笑いあうのですが、それを司令官は物陰で聴きながら悲痛な表情を見せます。
この逸話は、17年3月に行われた海軍省発表のあと、国民に広く有名になりました。
そしてついにやってきた昭和16年12月8日、未明。
大本営発表の「帝国陸海軍は戦闘状態に入れり」を聞いて
呆然とする母、ワカ。
ちなみに、横山少佐の母、タカは、その後「軍神詣で」で自宅を
たくさんの人が訪れるなど軍神の母として持て囃されましたが、
昭和20年6月17日の鹿児島空襲で横山の3人の姉と共に亡くなりました。
同じ放送を聞いても「やった!」とばかりに会心の笑みを漏らす真人の兄。
姉の表情にも動揺がありました。
かたや真人の幼馴染でいつも憎まれ口を叩いていたエダも・・。
戦後撮られたもう一つの「海軍」と違い、ここでの真人と彼女は
最後までお互いの思いを全く伝えずに永遠の別れを迎えています。
そして実家に帰って画家をしていた真人の親友、牟田口も・・・。
もちろんこの大本営発表の段階では誰もこの時真人が出撃したことを知りません。
原作の「海軍」では、牟田口は真人の尽力で海軍省の嘱託となっており、
真珠湾攻撃の特殊潜航艇に真人が乗っていたことを知らないままに、依頼されて
潜航艇のハッチから顔を出す若き士官の絵を想像で描くのですが、
その後、海軍省発表で真人が戦死したことを知り号泣します。
改めて絵を見ると、実はその士官は真人にそっくりだった、となっています。
原作の小説では、真人の出撃する様子、潜航艇の中の様子などは一切語られていません。
昭和18年になって、映画化するにあたり、海軍省はこの小説を海軍の宣伝とするため、
原作にはなかった攻撃シーンを あえて盛り込んだのだと思われます。
海中で操舵をする下畑兵曹に谷中尉が
「静かになったなあ」
と話しかけます。
「日本の攻撃が終わったのでしょう」
「よし!浮上!」
「浮上します!」
潜望鏡を覗くと、そこには日本の攻撃で惨憺たる真珠湾の様子が明らかになっていました。
実際のフィルムはここで一旦切れてしまっています。
ここから先がGHQにカットされ、DVDはここで終わってしまったのですが、
youtubeで上がっているバージョンにはその後見つかった最後の部分があります。
時間の経過を示す表示が残り、非常に画質の悪いそのフィルムによると、
谷中尉は「江田島健児の歌」などを口ずさみながらその後下畑兵曹と
二人で腹ごしらえをしながら、最後にこう語り合います。
「富士山に登ったことがありますか」
「ないんだ」
「一度登りたかったですね」
そして日本に向かって敬礼し、「アリゾナ」攻撃を行います。
「前進微速」
「発射管注水」
「前扉開け」
「発射用意」
「テー!」
下畑兵曹の手が発射管のレバーを引き、そこで突如フィルムは終了します。
もし最後まで映画を観ることができたら、最後のシーンは、攻撃を成功させた
真人と下畑兵曹が、艦を自沈させるところで終わっていたのでしょう。
まさに軍神を軍神として描くことを目的にした本作ですが、
戦後リメイクされた「海軍」は一変して、その作品テーマが
「戦争によって引き裂かれる二人の恋人たち」
になるのです。
続く。