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ブッシュネルの亀〜アメリカ潜水艦事始め

2017-04-08 | 博物館・資料館・テーマパーク

潜水艦というものを最初に考え出したのは誰でしょうか。

グーグル先生によると、はっきりと名前が残っているのは

コルネリウス・ヤコプスゾーン・ドレベル 

というオランダ人だということになっています。
ドレベルは顕微鏡や望遠鏡などを発明した人で、イギリス海軍のために
1620年代に木製の潜水艇を世界で初めて考案しました。

これは今にして考えるとなかなかのもので、亀の甲らのような
木製の船の内部に革を貼って防水したものでした。
"nitre"(硝酸カリウムか硝酸ナトリウム)を加熱して酸素を作り、
櫂を漕ぐ16人くらいの乗員を乗せて数メートル潜行し、
3時間ほど水中に滞在することができたと言います。

ただしこれは実戦に投入されたわけではありません。

最初に武器として開発され実際に使用されたのが、
冒頭写真の「ブッシュネル・タートル」と呼ばれる潜水艇です。


空を飛びたいという欲望は純粋にロマンでしたが、
海に潜るための技術開発というのは、常に戦争がそれを
推進してきたという側面があります。

ドレベルの潜水艦もイギリス海軍のための発明でしたし、
ブッシュネルの潜水艇は独立戦争が開発のきっかけでした。

ニューロンドンのサブマリンミュージアムには、実物大の
ブッシュネルタートルの模型が展示されています。
中が見えるように壁をくりぬいたかたちで。

発明したのはコネチカットのデビッド・ブッシュネル
1776年のことです。 

その目的は、水中からこっそり敵の船に爆弾を仕掛けることでした。

具体的な方法は船の船体に穴を開けて59kgの火薬を詰めた樽を埋め込み、
時限信管で爆発させる。
こんな大仕事をゴソゴソやっていたらたちどころに気づかれそうですが、
それを水中で行うというのが当時としては常識的にあり得なかったので、
とにかく最初はいけると思ったのでしょう。

この発明を大統領だったジョージ・ワシントンに進言したのは、
愛国者であり軍人であり政治家でついでに画家だったジョン・トランブルでした。 



使用法具体例。
赤白のボーダー柄のTシャツと変な髪型につい目がいってしまいますが、
作業を行なっているのはエズラ・リーという人物です。

最初の実験はコネチカットリバーで行われました。

のちにコネチカットに潜水艦基地ができたのも、
元をたどればブッシュネルがコネチカットの人間だったからに違いありません。 

なんだかとぼけた顔のおじさんですが、ブッシュネルの弟だった、
という説もあります。

ブッシュネル・タートルの断面図。


上部に爆薬の詰まった樽がついているのは、ハッチから体を出して
作業を行うからで、船底に取り付いてからは浮上することになり
潜水兵器というより時々沈んで身を隠すための潜水艇といった感じです。

ちばてつやの名作戦記漫画「紫電改のタカ」で、主人公の滝城太郎ら
飛行兵曹たちがなぜか秘密基地に送り込まれ、その島にいた
ヒゲの義足義手の爺さんに命じられて行う作戦というのがまさにこれで、
ボートで夜間米軍の艦艇に近づき、艦底に爆薬を取り付けるのです。

しかしこちらはただのモーターボート。
普通に考えて、錨泊中の艦艇に敵がボートが近づいていけば見張りに見つかります。
まだ「ブッシュネルの亀」の方が現実的に可能性があると思われます。
しかもこの作戦、爆薬を収めた金属のケースを磁石だけでは外れるので
艦腹にドリルでゴリゴリ穴を開けて設置しなければなりませんでした。

案の定艦長がそのゴリゴリに気づき、

「長年軍艦ニ乗ッテキタワタシノ勘ダ」

とか言い出すのですが、そんなもん長年乗ってなくとも皆気づきますがな。

確か、米軍艦を爆破することは漫画では成功したような覚えがありますが、
軍艦の艦腹に手で穴が開くかーい!とか、
そもそも紫電改のパイロットがなんでこんなことさせられとるんじゃー!
とか今にして思えばツッコミどころ満点な漫画でした。
面白かったけど。 

 

それはともかく、もう一度仔細に断面図を見ていただきますと、
いっちょまえに操舵、潜行用と推進用のプロペラ、
なんとバラスト(海水を取り入れて重力とする)まであって、
潜水艦の基本を一応抑えているといってもいいくらいです。

内部に空気を取り込むスノーケルもあって、基本この部分は
外に出ていましたが、いざ潜行すると30分は保ったそうです。

港に停泊している船がターゲットだったので、やはり活動するのは
滝城太郎の秘密部隊のように夜限定ということになりましたが、
問題はそうなった時に中が真っ暗で何も見えなくなることです。

ろうそくではすぐに空気を消費してしまう、ということから、
ブッシュネルは科学界の大物、あのベンジャミン・フランクリンに相談しました。
なんだか大物の名前がずらずらと出てくるので驚いてしまうのですが、
フランクリン大先生の解決策は、こういうものです。

「生物発光の燐光を使うのがいいだろう」

生物発光。

日本ならば蛍の光窓の雪ですが、この場合はフォックスファイヤーという
腐食した木に発生する真菌を用いたそうです。

ところが、フランクリンは雷には詳しかったけど、
生物学にはあまり詳しくなかったようで、 フォックスファイヤーは
温度が低いと光らなくなる、すなわち
海の中ではほとんど光らないということが実験でわかり、
そのことを知ったブッシュネルはフランクリンに聞きました。

「にいちゃんなんでフォックスファイヤーすぐ死んでしまうん?」

じゃなくて、

「にいちゃん他になんかいい方法知らへんのん?てか何とかして」

しかしながら、フランクリンはこの問いに知らんぷりんを決め込んだため、
ブッシュネルは

「冬にはこの装置は使わない」

という素晴らしい解決策を多分腹立ち紛れに見出したのです。

 

さて、それはどうでもよろしい。よくないけど。
とにかく、爆薬を敵の船に取り付ければいいんです。 

ちなみにこれが爆薬(マインとありますね)部分。
150パウンドの火薬を詰め、中心部には時限発火装置が仕込まれています。
タートルが海中に沈むとこの部分も水に浸かってしまうわけですが、
火薬が湿気たりする心配はなかったのでしょうか。

 

スーツに革靴の紳士が手で回して漕いでるし。

潮流がなければ時速4.8kmで進んだということですが、
30分しか沈んでいられないのですから、ちょっと問題ですね。

さて、この開発はワシントンの後ろ盾(というスポンサード)によって
行われたということですが、ブッシュネルはこれを秘密兵器として
秘密保護法を適用、じゃなくて秘密が漏れないようにとお願いしていました。

しかし、すぐにこの情報はニューヨーク議会の議員、イギリスの王党派スパイだった
ジェームズ・ボンドじゃなくてジェームズ・デュアンによって報告されていました。

その報告書には、イギリス本国に対してブッシュネルの亀が
ボストンに駐留していたイギリス艦隊への脅威となることが書かれていたそうです。

 

さて、ブッシュネルの亀はどのように実践に投入されたのでしょうか。

1976年、ワシントン将軍は、今や軍曹となったエズラ・リーに、
ニューヨークのガバナーズ島停泊中のHMS「イーグル」攻撃を許可しました。

(命じた、ではなく許可した、というのに腰が引けてる感じがしますね)

本人が残した文書によると、タートルは英軍艦のできるだけ近くまで
曳航されて近づき、上げ潮と川の流れが潮流を止めて艦体に取り付くことができる
2時間前から待機していました。

ここまでは完璧で、タートルは軍艦に悟られぬように接近できたのですが、
最初の爆薬取り付けは失敗に終わりました。

船殻が銅で覆われていたため、ドリルが通らなかったとする説もありますが、
それは最初から予測されていたことでもあります。

当時、イギリス海軍は、フナムシの付着を防ぐために船殻に銅を貼るという
ことをし始めたばかりでしたが、このころの銅は紙のように薄く、
ドリルで穴を開けることは不可能ではなかったはずでした。

それにもかかわらず失敗したというのは、大変残念なことに、
タートルが海面で安定しなかった(そりゃそうだ)ため、 
ドリルを回し船体に穴を穿つことができなかったせいだと言われています。
(同じ理由で”紫電改のタカ”の作戦も実行不可能だったと思うのはわたしだけ?) 

さらにエズラがどの部分にドリルを打つかの判断ができなかったのは、
彼が潜航中に二酸化炭素中毒になりかかっていて、
正確な思考ができない状態であったからではなかったか、
というのも後世の評価となっているようです。

さて、さすがにこの時代でも、エズラの行動は敵の察知するところとなり、
英軍兵士が小型艇を出して追いかけてきました。

亀、ピーンチ!

そこでエズラは、「トルピード」(魚雷)と呼んだ樽の爆薬を英軍兵士の
船に向かって「爆発するぞ!」とか言いながら放流したため、英軍側は
不審な漂流物に恐れをなして帰っていき、彼と亀が敵の手に落ちるのは回避されました。

問題は、放流した炸薬入りの樽です。

エズラの報告によると、この樽はどんぶらことイーストリバーに流れて行き、
そこでイギリスの小型船を爆破しました。

「爆発した破片を撒き散らす猛烈な威力であった」(本人談)

ということは、これを彼は見ていたということになるのですが、はてどこで?
亀の中からかな?
不安定で30分しか潜れないタートルで、エズラは爆薬を追いかけ、
イーストリバーまでこれを操縦していったということになるのですが、
誰もそれに突っ込まないのはなぜ?

ともかく、これが

「史上初めて潜水艦が艦艇を攻撃した瞬間」

ということにアメリカではなっているようですが、残念なことに、
イギリス側の記録では、

英海軍の船が爆破されたという記録も、HMS「イーグル」が
謎の潜水艇に爆破を仕掛けられたという報告もない

ということです。

昔は映像も残らないし、敵の記録と照合しようもない。
・・・・つまりエズラとブッシュネルは
ワシントンにお金を出してもらっている関係上、この亀が
役立たずではないことを何が何でも証明するために、
なかったことをあたかもあったように捏造したのでは?

と疑われますね。

わたしですらこう思うのですから、歴史家はもっと容赦なく、
イギリスの海事歴史家リチャード・コンプトン−ホールは、

「浮力の原理を考えても、この垂直プロペラが役に立ったとは考えられない。
またタートルは「イーグル」を攻撃するためには潮流を横切らなければ
ならなかったが、おそらくそれはエズラの体力的にも無理だった。

つまりこのストーリーは、アメリカ軍が士気鼓舞のために作成したもので、
もし本当だったとしても、エズラはタートルの中にいたのではなく、
覆いのあるボートに乗って見ていただけなのではないか」

という推測をしているということです。
まあ状況証拠からも限りなくクロですわね。

ちなみにアメリカ軍の潜水艦は、これから200年後の第二次世界大戦中も、
撃沈隻数とトン数を上げるため、存在しなかった日本の駆逐艦「岩波」を
撃沈したと報告するということをやらかしています。

 

さて、この攻撃から約一ヶ月後の1776年10月。
エズラ軍曹はマンハッタン島沖に錨泊した英海軍艦に
炸薬を取り付けることを試みました。

んが、見張りが彼を発見したので、断念しました。

そしてその数日後、ニュージャージーのフォート・リーで
「柔らかい船」(ソフトベッセル)がその上に乗り上げたため
沈没しました。

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ブッシュネルの記録によると、それを引き上げるとか引き上げたとか、
そういうことが書かれているそうですが、真相は謎のままです。

まあ要するに、この潜水艇の戦果は本人だけが証言している
イギリス船の爆破(しかも爆薬が流れていって爆発したという無理筋)
だけで、それも証拠なし、という結末に終わったのです。

スポンサーであり計画を後押しした(させられた?)ワシントンは

「天才の努力の成果」(an effort of genius)

としながらも、この試みが成功するためには

「あまりに多くの要素が必須だった」

と言っているそうです。
つまり

「発想は良かったけど、いろいろ無理すぎたね」

ということですな。


その試みを後世に残すために、 レプリカが作成され、ここニューロンドンの
潜水艦博物館に展示されたのは1976年、独立200年目のことでした。

そしてこの潜水艇にはもう一つ後日譚があります。

2007年8月3日、3人の男性がイギリスからやってきた豪華客船
RMS 「クイーン・メアリー2」にタートルのレプリカを一人が操縦、
二人が護衛してあと60mというところまで接近しました。

当然彼らはすぐに発見され、身柄を拘束され、タートルのレプリカは
ブルックリンのクルーズ船ターミナルに曳航されて停泊させられました。

タートルを作成したのは、ニューヨーク在住のアーティスト、
フィリップ・デューク・ライリーとロードアイランドの 2人の住人です。

沿岸警備隊は、「危険船舶保持」と「クイーンメリー2」への保安上
立ち入り禁止海域となっている区域への侵入でライリーを起訴し、
彼はニューヨーク市警察に逮捕されました。 

ライリーにどんな罪状が問われたかについてはわかりません。
ちなみに、この時作戦に加担したロードアイランドの住人の名前は

ジェシー・ブッシュネル(Jesse Bushnell)

と言いました。
お分かりと思いますが、彼はデビッド・ブッシュネルの直系の子孫です。

何やってんだ(呆)