マサチューセッツのフォールリバーにあるバトルシップコーブ。
ここに展示されている駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディJr.」 について
中断していましたが、残りをお送りします。
よく考えたら、いやよく考えずとも、この「ジョセフ・ P・ケネディJr.」、
愛称ジョーイPが、わたしの実際に見た初めての駆逐艦です。
駆逐艦。デストロイヤー。
この口に乗せるだけで軽く高揚してしまいそうな艦種名を
なぜ日本では使えなくしてしまったのか。
とわたしはかなり昔からこの件に関して憤っているわけですが、
呉で護衛艦を案内してくれた自衛官になんとなく
「自衛隊では使いませんものねー、駆逐艦って言葉」
と言いますと、
「あ、言いますよ。駆逐艦」
と返ってきたので軽く驚いた覚えがあります。
それでは自衛隊では「駆逐艦」というときそれは何のことなのか。
そもそも自衛隊では戦艦も空母も巡洋艦も持ちません。
空母に関しては戦後、自衛隊の前身である警察予備隊結成の際、
海軍の生き残りが奔走して保有までこぎつけ、アーレイ・バークの賛同まで得たのに
大蔵省が「大人の事情で」それを潰したという話もありますね。
というわけで、自衛隊では主要艦が全てDDとなっておるのです。
ヘリコプター搭載艦もミサイル搭載も、対空も対潜も全てDD。
となると、自衛隊の中の人が「駆逐艦」という場合それはどれのことか。
考えられるのは汎用護衛艦(あきづき型とか今度できるあさひ型)?
書類上は未だに創世記の呼称である「甲型警備艦」=駆逐艦、
ってことじゃないかと想像してみましたが、どんなもんでしょう。
とどうでもいい疑問で始めてみましたが、アメリカにおける駆逐艦とは
おそらく帝国海軍でもそうであったように、俊敏な機動力と破壊力を持ち、
巨艦に敵を寄せ付けないknightといったようなイメージで捉えられています。
艦隊で最も多忙なフネ
駆逐艦、それは愛らしい(lovely)奴だ
おそらく全ての戦闘艦のうちで最もナイスな奴
小綺麗で清潔な感じのするライン、スピードと荒々しさ、そして果敢さ
戦いに身を投じれば斥候を行い、最初の接触を試みる
輸送船団を組み、それを護るために奔走する
たとえどんな修羅場であっても真っ先に駆けつける存在
戦艦のように壮大で立派でもなく、司教のような巡洋艦風でもない
しかし何よりも、駆逐艦とそこで働く男たちは「海の男」だ
荒れた海では荒々しく、愚直なまでにそれに立ち向かう
駆逐艦の男たちは戦いの中で寸時も退屈することはない
なぜなら駆逐艦は海の男の船だからだ
篠突く雫の下をもかいくぐり、35ノットで波を切り裂いて
回り込み、戦い、そして走り、海中の敵に爆撃を加える
それは無限な能力を秘めた危険そのものなのだ
現地にあった「駆逐艦礼賛の詩」です。
照合されないのをいいことに適当に翻訳してみました(笑)
それにしても、駆逐艦を表すのにこんなぴったりとした詩がありましょうか。
やはりその魅力は全世界共通なのだとわたしもファンの一人として胸を熱くするのですが、
ところでこれを書いた人、誰だと思います?
なんと、第二次世界大戦の時、従軍記者として
駆逐艦「ファーレンホルト」DD-491 ベンソン級駆逐艦9号艦
に乗り組んでいた、ジョン・スタインベック、その人です。
「怒りの葡萄」「月は沈みぬ」「エデンの東」の作者で、
ノーベル文学賞も受賞しています。
ところで今更ですが、当ブログのトップ写真は、ロビさんが制作してくださった、
ELLIS DD-527(5月27日の海軍記念日にちなむ)です。
「エリス」という名前の船を作っていただけることになった時、
駆逐艦を提示されたので迷わずオーケーした、というくらいですが、
駆逐艦のどこに魅力を感じるのかを、このスタインベックの詩を
翻訳しながら再認識したような気がします。
アメリカには展示軍艦が多いですが、それでも空母や戦艦、
潜水艦が主流で、駆逐艦は西海岸でもみたことがありません。
「錫の缶」とあだ名された艦の性質上、ジュースを絞るように使い倒されて(笑)
最後はあっさりスクラップにされて別の形で生まれ変わる、というのが
駆逐艦という身上に似合っている気がするとはいえ、これは実に残念なことです。
しかし、ジョーイPだけは、その名前がたまたま大統領の兄のもので、
その大統領の政策に従って任期中は活躍したので、
こうやって生き残って展示されているということなのでしょう。
さて、今日はその駆逐艦の心臓である機関室に続く狭いラッタルを降りていきます。
これはボイラーのバルブ調整するものでしょうね。
いっておきますが、「マサチューセッツ」ほど懇切丁寧に
部分部分に説明があるというわけではなかったので、
あまりちゃんと理解しないまま写真をあげることになりますがよろしく。
ジョーイPのボイラーは
バブコック・アンド・ウィルコックス(B&W)社製の
重油専焼式水管ボイラー
(伝熱部が水管になっているもので、循環方法が重油)
が4缶搭載されていました。。
B&W社は1908年には日本でボイラ部品の製造会社を設立しており、
「東洋バブコック」として存続していましたが、現在は日立に資本吸収され、
みなとみらいにある「バブコック日立」にその名残を残しています。
日本に来た途端名称の後半の「ウィルコックス」はなくなってしまったのね(笑)
排煙パイプが二本並んで直立しています。
SOOT BLOWERS はボイラーの煤煙を排気するための機械。
煤煙がボイラー内に溜まると、局所的なホットスポットが内部で発生し、
ボイラーが破損する恐れがあるのですが、スートブロワーで排気することによって
煤煙の火災やその被害の危険性を低減します。
機関室はどんな艦でもこのような通路が張り巡らされていて、
かつてはここを機関兵たちが駆け回ったのでしょう。
今は転落の危険があるので、アクリルガラスで柵ができています。
下がったと思ったらまた上がる階段。
たった一人でこんなところを歩き回るのにもすっかり慣れて来たわたしです。
また下がって行ったところがひらけていて、比較的広いスペースが。
他と違ってレバーが皆赤いのが気になります。
小さなのぞき穴らしき窓もあるのですが、ここは何?
とってつけたような狭い通路。
電気の配線はこの通り。
ウォータークーラーもフラム改装の頃のものらしく、
もう使われていませんでした。
この階には消磁スイッチボードというものもあります。
船舶の磁気を中和するために、船舶全体に水平方向および
垂直方向に巻かれたコイルに直流電圧を送り、それによって
磁気機雷から船舶を保護する働きをします。
歩いて行くと、いきなり普通のスペースが現れました。
デスクがあって、ここの責任者が使用したもののようです。
デスクは不思議なことに金網の部分に入る扉の前を塞いでいます。
金網で覆われた部分は高圧電力のモーターであろうかと思われます。
危険なので机で塞いでしまったのかもしれません。
ボイラーに空気を送り込むコンプレッサー。
キッチンにもあった消火設備がここにも見えます。
蒸気タービンはジェネラル・エレクトリック社製。
あちこちに温度計がつけられています。
機械室にあまり説明がないので、こういうものを撮っておけば
あとで何かの手がかりになるかもしれないと思い・・・。
ベントコンデンサーの圧力や郭内圧力計など。
微妙に床の高さが違うので、数段階段を上がったり下がったり。
赤字で書かれた注意書きには、階段は手すりを握ってゆっくりと
上り下りしてください、とかかれてありますが、その中の
「船のラダーは従来の家庭用の階段より傾斜が険しいです」
という当たり前情報がなんかじわじわ来ました。
なぜか焼却炉の上に突如現れるジョーイPのマーク。
海の中から(おそらく)ポセイドンが銛を突き出しているデザインです。
ここはD.A.タンク、「DEAERATING FEED TANK」 。
分離タンクには三つの働きがあります。
1、 圧縮した蒸気を酸素から取り出す凝縮液から
2、 ボイラーに供給される水に熱を加える
3、 ボイラーからの給水需要が急激に増加した場合貯水池の役割をする
1番は逆に、蒸気から溶存酸素を除去するということができます。
多くの場合、DFTは、主復水ポンプの後ろ、
メインフィードブースターポンプの前に位置しています。
ということでこれがポンプであるらしいことが判明しました。
ポンプ類の開閉、観察はここで行うようです。
温度計、圧力計など計器ばかりがハンドルの上に並んでいます。
足元には鍵がたくさん。
艦の中にしては座り心地の良さそうで安定性のいいスツール、
上にはハンドセットイヤフォンが置かれています。
一日ここに座って異常がないかチェックしている係もいたのでしょう。
非常の際に鳴り響くベルもパネルに備えてあります。
ここにこんな大きなトラッシュ缶があるのもなんだか妙な気がしますが。
FIRE FLUSHING PUMP、消火ポンプの電源?
前にも一度説明したエヴァポレーター。
通路から一階下を覗き込んで見える景色。
この階は「ポンプレベル」と言われており、エンジンルームをサポートする
全てのポンプが集まっています。
循環ポンプ、オイルポンプ、ボイラー供給ポンプ、そして消火ポンプ。
蒸溜塩と真水のポンプ、ブースターポンプにコンデンサーポンプ。
ジョーイPは1969年に地中海への航海を行なっていますが、
その時その時写真の J. J ピケットくんとジョン・モロスコくんは
このMM3にあるメ主減速ギアの内部を掃除しました。
「彼らとその仲間たちは、ギア内部を完璧にクリーンアップしたことを
今でも誇りに思っています」
ということです。
なんかわかりませんが、よほど大変な仕事だったってことでしょうか。
彼も地中海クルーズに参加した乗員、コックスくん。
絵を描くのが得意だった彼は、メンバーの似顔絵を艦内の壁に描いたようです。
指差しているのが彼自身のようですね。(自分の絵は描きにくかったらしくグラサン着用)
この絵が今はどこにあるのかは、説明されていませんでした。
続く。