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潜水艦暮らし〜ニューロンドン・サブマリンミュージアム

2017-04-14 | アメリカ

先日、某所でお世話になった幹部にお礼をしたところ、
ご丁寧にも手書きのお礼状が送られて来ました。
この方は潜水艦出身だったので、シャレとして先日ここでもご紹介した
広島土産の潜水艦ケーキを送ったのですが、そのお礼状の一文に
こういう一文が・・・ 

「私もこの◯月まで、こっそり潜水艦に乗っていたこともあり・・」

こっそりか。やっぱり潜水艦というのはこっそり乗るものなのか。

というわけでサブマリナーというのは骨の髄まで忍者精神が染みついているのだなあと
このさりげない?一言に感じ入った次第です。


さて、コネチカット州グロトンのサブマリンミュージアムの展示より、
今日はそんな(ってどんなだ)「潜水艦暮らし」を伝える写真などをご紹介します。

冒頭の写真は第二次世界大戦中、場所は・・・・・・

多分鱶とかサメとかのいないところじゃないかな。

皆の表情も何も見えないので、これが運動を兼ねた
憩いのひと時なのか、いざという時のための水泳訓練なのか、
そもそも潜水艦の名前もいつの写真かもわかりません。

でもまあ、娯楽のない潜水艦暮らしでは訓練だったとしても
若者たちには結構な気晴らしとなったかもしれません。

「潜水艦では食べることが最大の楽しみ」

つい最近見学した現代の自衛隊の潜水艦でも
全く同じことを聞きましたし、軍艦ならずとも、
豪華客船でさえ全く同じ理由で、特に腕利きのシェフが
乗り込んでいるものです。

つまり、場所を問わず人間の最大公約数の楽しみが
食べることだというのは間違いないことなのですが、
潜水艦のように、狭い、きつい、臭い、危険、暗いの5K職場で
ストレスが大きくなればなるほど、食事にかかる情熱は正比例して高くなります。

潜水艦乗り込みの調理員は、きっとそんな自分の双肩にかかる
期待と責任に応えるために使命感に燃えていたんだと思うんですよね。

そんな潜水艦調理員に勲章が与えられるということもありました。

大統領名でブロンズスター勲章を与えられたのは、
ジョージ・ワシントン・ライトル一等コック
 

「USS「ドラム」の6回に亘る敵海域への哨戒活動における
英雄的な任務の遂行に対して。
前部機関銃の装填手として、搭載した水上機を含む68,083トンの敵艦を
仕留めるために司令官(艦長)の補助を行い見事に役目を果たした。

彼の冷静な判断と勇気と敢闘精神は、すべての乗員の模範となり
米海軍の任務の歴史においても高い位置を占める伝統となるだろう」

調理員は戦闘中の配置として、銃弾の装填手を任されることが
多かったようですが、ブロンズスターメダルを受けたライトルが
具体的にどのように敢闘精神を発揮したのかまではわかっていません。

現在、彼の名前は潜水艦関係の書籍にしか残っておらず、
「ドラム」のWikipediaのページにすら言及されていなないようです。

潜航中の艦内における乗員の表情。
(それにしても若いですね)

レンチを落としたり、靴のかかとが鳴ったり、あるいは
誰かがくしゃみをしても、その音は敵のソナーに
探知される危険性があることから、潜水艦勤務を

「サイレント・サービス」「サイレント・ラニング」

と呼んだりしました。
敵の艦船が真上にいて爆雷を投下される危険を伴うとき、

乗員の緊張は極限まで達しました。

「トルピード・ローディング・サイン」(魚雷装填サイン)

シンプルな木の看板が何かのどかな様子ですが、これは
内部発射管の蓋に「生きている」魚雷が入っている時に下げた札です。

これは訓練中「ウォーショット」、実弾を誤って発射することを
防ぐために重要なサインでした。

魚雷発射管の内部が海水で満たされている時には

「デンジャー、チューブ・フラッデッド」

という札が掛けられました。
その状態でチューブの蓋を開けたら、魚雷は逆流してきます。
この札はUSS「ティグロン」SS−419のものです。 

中央のいかにも士官な人が何をしているのかはわからず。
ここで注目していただきたいのは制服です。

士官はとりあえずちゃんとした格好をしていますが、
基本皆さんはTシャツとか袖捲り上げとか、
・・・まあ要するに南洋における潜水艦乗りはラフです。

カットオフしたカーキの「元制服」、サンダル、そして
我慢できないほどきつい仕事で汗にまみれた裸の胸。
これが潜水艦乗りの基本スタイル。

そして、その仕上げとして・・・髭です。
髭も生えまーすぶしょーおーひーげーってことで、
他の配置にはないサブマリナーファッションの出来上がり。

我が日本だとこれが褌となり、さらにマニア向け。


今でも潜水艦の中でインターネットをする人はいないと思いますが、
時間つぶしとしてよく行われたトランプでは、
この写真で右側の人がつけている「赤のゴーグル」
を着用すると、ハートとダイアモンドのカードが見えなくなります。
そこで、潜水艦オリジナルのトランプは赤を使わず、
ハートとダイヤのマークはただ黒線で囲んだものでした。

赤レンズのゴーグルは、潜水艦員が暗闇になっても
視界が失われることのないように使用されました。

 

潜望鏡カメラ。
潜望鏡の映像を撮影するための特別仕様で、海軍のために
イースタンコダック社が製作したものです。

レンズは35ミリ、「マーク1」と表示があります。

 

 

木の枝になんかいろんなものを指してバーベキュー。
アメリカ人にとってバーベキューは特別の儀式ですからね。

ソーセージやハム、所々に怪しげな肉が・・・。

「艦隊暮らしが船を降りた暮らしよりマシなんてことは絶対にない。
だから、彼らは岸に上がればそこが南方の島だろうがなんだろうが、
ワイキキビーチのロイヤルハワイアンホテルであるかのように
キャンプをして楽しんでしまうのである」

また、彼らは狭いクォーターから逃れて、ボートを「母艦」に
繋留し、その横で自由を楽しむこともありました。 

「ライフ」を読みながら娑婆を思う様子の水兵。
このころの米海軍水兵のズボンって、本当にジーンズみたいですね。

上、USS「スコルピオン」のplaque(金属・焼き物・ぞうげなどでできた額、
飾り板で、事件・人物などを記念するための金属または石製などの銘板)。

プラークって、歯垢の他にこんな意味もあったんだ・・・。

右のボトルは「スレッシャー」のコミッショニングボトル、とあります。
進水式の時に艦体に叩きつけて割るボトルですが、
シャンパンが割れた時に破片が散ったり吹きこぼれないように、
胴体の部分を脆弱にしておいて、ここを叩きつけて中を破る、
という専門のボトルケースがあるらしいですね。

ネックには進水する船の名前が書かれ、叩きつけた跡が
凹んで残っています。

さて、ここからは画家によるスケッチをどうぞ。

「テンダー・チェウィンクと一緒の#70と#71」

潜水艦基地のここニューロンドンでの光景で、
チェウィンク(AM-39)、SS70( O-9) 、SS71(O-10)
共に第一次世界大戦時の艦艇です。

皮肉なことに、この絵が描かれてわずか2週間後、SS-70は
浮上できなくなる事故に見舞われ、チェウィンクは
救助のため現場に赴きましたが、助けることはできませんでした。

ということは、この甲板の上に描かれている乗員は全て・・・。

「魚雷調整室」(1941)

ニューロンドンの潜水艦基地にあった魚雷調整室の光景です。

「スルクフ」(1941)

「スルクフ」は自由フランスの「クルーザー潜水艦」で、彼女が
ニューロンドンに寄港した時を描いたものです。

航空機も搭載していた対戦中最大級の潜水艦で、画家も
その珍しさに駆けつけて筆をとったのかと思われます。

この絵でぜひ注目していただきたいのは艦尾艦上に見える大きな二本の銃身。
当時「スルクフ」は連装砲を装備していたんですね。

このころの潜水艦の獲物は基本敵国の商船で、魚雷は大型商船や
敵軍艦に「取っておいて」小型商戦は主に大砲でやっつけていたのです。
加えて当時の潜水艦は海中速度より(最高でも10ノット)海上の方が
倍くらいの速さを出せたので、商船を発見すると浮上して追いかけ、
沈めるのを常としていました。 

ちなみに「スルクフ」はこの翌年の1942年、 カリブ海でアメリカの商船と衝突、
艦長ブレゾン中佐以下130名と共に沈没し、今もそこに眠っています。

「司令塔」(1943)

USS 「マッケレル」SS-204の司令塔から見張りをする乗員。

実験潜水艦として設計された「マッケレル」は、
ニューロンドンで水中音響研究所での支援任務および
艦長候補者学校での訓練任務を担当し、
水上艦艇及び航空機の対潜水艦戦訓練を行っていました。

大戦中にマッケレルは一度だけ敵と接触しています。

1942年4月浮上したままニューロンドンからニューバージニアに向かう途中、
2本の魚雷が向かってくるのを発見したので回避し、
浮上中の敵潜水艦に対し2本の魚雷を発射したということなんですが、
これって・・・帝国海軍かドイツの潜水艦がここまで来ていた?

「潜水艦隊のためにもう一隻スコアを追加」

あまり良くない翻訳ですが、まあそういうことです。
USS「ドラド」 SS-248が、1943年5月に遭遇した「エレクトリックボート」
(ドイツ)をデッキガンで攻撃しているシーン。 

写真以上にその戦闘中の怒号や銃声が生き生きと聞こえて来そうな・・。
 

「まどろみ」(1943)

見張りと戦闘の合間のわずかな時間に眠る乗員たち。
魚雷の上のベッドとハシゴの下で眠る彼らの様子が
従軍画家によって残されました。

「発射管の中に入る人がいるから立ち入り禁止にしているに違いない」

と「ライオンフィッシュ」の展示を見て書いたのですが、
その悪い例がこれですね・・・・って、おい、
よく見たら犬を連れ込んでるではないの。

しかもコッカスパニエルかなんか?
これは野良犬を拾ってきて可愛がっているって感じじゃなさそう。

今日はこのパイプの乗員、犬と発射管で一緒に寝るのでしょうか。

 

続く。