ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

出航前夜〜護衛艦「いせ」転籍壮行行事

2017-04-28 | 自衛隊

護衛艦「いせ」は2011年に就役して以来、母港を呉としてここから
フィリピンの台風災害に関して派遣された救援隊に参加、あるいは
リムパックに参加するなど、国防の任を負ってきました。

今まで軍艦「伊勢」の着底海域(音戸町坪井沖)で行われた
慰霊式に参加したのが、わたしと彼女の唯一のリアルな接点ですが、

当ブログ上ではサンカイ(フィリピン語で友達)作戦と呼ばれた救難活動にあたり
当ブログにおいて彼らへの激励の一稿を献呈させていただきましたし、
その後「日向」「伊勢」姉妹の北号作戦について書いたこともあります。

そういうご縁のある「いせ」ですが、この度、呉での最後の彼女の姿を見てきました。


この3月に就役した「かが」が第4護衛隊群第4護衛隊に編入され、
呉にやってくることになったのと同時に、6年間の呉での勤務を終え、
第2護衛隊群に転籍になった「いせ」が佐世保にいよいよ出航するにあたり、
呉地方隊が執り行う壮行行事に参加させていただくことになったのです。

お誘いくださったのは当ブログでもおなじみ鉄火お嬢さん。
彼女は後援会員でもあるので、その前日の

「いせ乗員との懇親会」

から参加を取り計らっていだだきました。

場所は呉のレス、いや料亭。
昔から海軍軍人の御用達であった「海軍料亭」です。

昨年焼けてしまった「パイン」こと小松のように、海軍さんは
何かと料亭を英語のダジャレ的隠語で呼んだものですが、それでいうと
五月荘は「メイ」でした。

十三丁目の飲み屋も華やかだが、士官の飲み屋は所轄長以上が華山(フラワー)、
佐官級が吉川(グッド)分隊長級が徳田(ラウンド)ガンルームが岩荘(ロック)・・
ところが、潜水艦一家は団結が固く、上下とも五月荘(メイ)を利用することが多かった

ということがHPに書かれていますが、「潜水艦一家は」のところで
ハッとしたことがあります。

つい昨日まで、特殊潜航艇で12月8日真珠湾に出撃した横山少佐をモデルにした
「海軍」について書いていたわけですが、たとえば東京からきた
主人公谷真人の親友牟田口を呉で迎える、というようなことが実際にあったとしたら
それは間違いなくここ「メイ」だったに違いありません。

特殊潜航艇のメンバーが「メイ」を利用したということが書かれた記録はありませんが、
呉にいる間に「団結が固かった」潜水艦乗員として、彼らも一度や二度は
ここで飲んだことはまず間違いないと思われます。

HPによると、昭和20年夏、「伊勢」が着底することになった呉軍港空襲で
海軍料亭「五月荘」もまた全焼してしまったのですが、
3年後には同じ場所に建て直した建物は基本的に今も変わっていません。

来呉前からそういったことを知りワクワクしていたわたし、
お座敷に通されるなり部屋の額に注目しました。

タイトルも状況もわかりませんが、ずっと「メイ」の壁にあって、
旧軍の軍人たちが目にしてきたものであるのは間違いないばかりか、
大正14年の制作となっているので、これは状況的に

「於日本海海戦聯合艦隊丁字戦法なうの圖」

かもしれません。

同じ部屋の別の壁には戦艦陸奥が。
こちらも大正14年制作、ということは当然ですが当時就役して
最新型だったころの「陸奥」の姿ということになります。

その後ご存知の通り「陸奥」は柱島沖において謎の爆発を起こし、
その主砲やスクリューは「大和ミュージアム」の前に展示されています。



さて、ここで行われた護衛艦「いせ」といせ後援会との懇親会の様子は
個人情報もあるので割愛しますが、自衛官で出席したのは艦長、副長、
先任伍長はじめ、「長」のつく幹部と女性幹部二人、3尉から1佐まで総勢13名。

こちら側もそれほど多くの出席者ではなかったので、宴会中には皆が
てんでに席を立って入り乱れ、独自に親交を深めることとなりました。
かくいうわたしも引っ込み思案に鞭打って?ほぼ全員にご挨拶を果たし、
お仕事のことなど聞きたかったことを色々伺うことができました。

そういったことにこれからおいおい触れる機会もあることでしょう。

さて、懇親会が終わり、会員が先に出て乗組員の皆さんをお送りする、
ということになっていたのですが、なぜか真っ先に出てこられた艦長。

この日はわたしが呉に行くということで当然のように雨が降ったのですが、
(皆さんすみません)ここに艦長の持ってきておられた傘のインパクトがすごい。

「艦に戻った時、これをさしていたら艦長が帰ってきたとすぐにわかるので」

なるほど、まず、自衛官は制服の時には傘をささないが、
さすがに
私服の時にはその限りにあらず、と_φ(・_・

それからやっぱり艦長が帰ってきたとなると迎える方も色々と心の準備があるので
遠くからわかるように目立つ傘をさすのも一つの「気遣い」かもしれません。

(ところでこんな傘どこで売ってるのかしら)

宴会出席者には、「いせ」から素敵なプレゼントが用意されていました。

佐世保に転籍した日付つきの写真。転籍は「かが」就役と同時なので、
公式には今年の3月22日となっています。

去年のVLA訓練発射で、ミサイルが顔を出した瞬間の写真。
すごいシャッターチャンスです。

ところで、VLAといえば宴席では鉄火お嬢が例によって

「そんなに・・・・僕たちの力が見たいのか」

のジパングネタを当の自衛官に振っていましたが、あれ、
自衛官だからって誰でも知ってるわけじゃないのね。

その幹部氏は「ジパング」も「沈黙の艦隊」も読んだことはなく、
アスロック米倉も知らず、「ファントム無頼」に至っては

「そんなのがあるんですか」

という方だったのでそんなものかー、と思った次第です。

そして衝撃的だったのはこれ。

以前ここでもちらっとお話しした件ですが、

(『あきづき』の艦長時代に猫モチーフにマークを変えさせた現『いせ』艦長が、
今度の職場でも艦長権限でマークを猫に変えさせようとしているという話)

あの時はまだ軍機密だった「いせ」の新マークが、この佐世保転籍を機会に
実質正式に変えられたらしいことがこの写真によって明らかになりました。

とほほほ・・・

当の艦長の説明によると

「マークのニャンちゃんは(ホントーににこういった)相当悪いニャンちゃんです。
ニャンちゃんの周りに降り注いでいるのはソノブイで、
ちうごくの(ホントーにこういった)潜水艦を踏んづけてます」

やってしまいましたなあ艦長。

アメリカでこういうノリのノーズペイントをいやほど見たわたしとしては、
日本にもこういうマークがあってもいいと個人的には思いますけど。

 

さて、明けて翌日。

その前夜、別れる時に翌日の打ち合わせをしていて

わたし「結局タクシーの運転手に行き先なんていったらいいんですか」

鉄火お嬢「昭和基地です」

お見送りするのは「しらせ」なのか鉄火お嬢。南極に行ってどうする。

ともかく「いせ」出航は0900なので、0845には昭和基地じゃなくて
昭和埠頭の正門前に到着すると、待っていた自衛官、どこかで見覚えが。

「あのー。もしかして『ふゆづき』に乗っておられました?」

玉野で行われた「ふゆづき」引き渡し式の日、土砂降りの雨の中、
自衛艦旗を艦長から受け取って乗艦したあの時の副長、K2佐でした。

継続は力といいますが、ブログを続けている過程で結果的にこういうことがあると
「線が繋がった」という一種の達成感があって、大変嬉しいものです。

ちなみにK2佐は「ふゆづき」では自衛艦旗を受け取る立場でしたが、
その後の乗組で自衛艦旗を「返す」配置に付くことになり、

「一人の人間が自衛艦旗を受け取り、返したということになりました」

「それはお話が繋がったというか、『完結した』という感じですね」

「誰にでもあることではありません」

こんな話が聞けるようになったのも、継続のおかげです。

なぜ7時45分に集合ということになったかというと、
「いせ」後援会の皆様に自衛艦旗掲揚を見ていただこうという
艦側のありがたいお心遣いによるものでした。

入り口から埠頭まで随分あるので、後援会会長は車に乗っておられましたが、
我々はここから現地まで歩いていかねばなりません。
にも関わらず、遅れてきた人もいたりして(中心部からここまで来るには
一車線しかない道路なので通勤時は必ず渋滞する)
果たして15分でたどり着けるのか?というレベル。

歩いて行くとまず「おおすみ」が見えてきました。

昔「さみだれ」をこの右側バースに見にきたことを思い出します。
というか、今もここにいるんですよね。

向こう側に「いせ」の巨大な姿が見えてきました。

ここまでご案内くださった総監部の(個人的に)お馴染みS1佐、
わたしがご挨拶するとびっくりしておられました。
昨日の夜「五月荘」でご挨拶した呉地方総監とほぼ同じ反応でした。
きっとどこにでも現れるやっちゃとか呆れられたんだろうなあ。その通りだけど。

S1佐はみんなに

「ちょっと急いでください〜」(汗)

と声をかけながら先導します。
たとえ遅れても自衛艦旗掲揚は待ってくれませんから。

朝日を浴びて輝くシウスくんの姿を仰ぎ見る。
あれ?ところで「いせ」の自衛艦旗掲揚なんてどこで見るんだ?

わたしも小走り気味に歩きながらせっせと写真を撮ります。
ラッタルのところまでたどり着くと、乗艦を促されました。

ええっ!これから甲板まで上がるっていうの?
いやまあ確かにどれだけ歩き回ってもいいように、安全靴みたいな
歩きやすい編み上げで来てるのでわたしはおーけーですけど・・。

 

果たして我々はあと数分で甲板までたどり着くことができるのか?

続く。