イスラーム勉強会ブログ

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悔い戻る者たちの道しるべ【10】-(1)

2016年02月11日 | 悔い戻る者たちの道しるべ

前回は誠実な悔悟についてお話しました。後戻りのない悔悟です。しかし、イスラームは現実的な上、(さまざまな状態にある)全ムスリムに達するのがイスラームですから、今回は違う話題に移ります。元来あるべき姿、また完璧なのは、「悔悟が誠実であること」、そして「後戻りが発生しないこと」ですが、ある若者が私たちに、「私はまた過ちを犯してしまいました。どうしたら良いですか?」と訴えてきたら、どうでしょうか。彼にアッラーの御慈悲など無いと失望させるのが叡智ある返事であると思いますか?それとも、至高偉大なるアッラーの御慈悲の数ある扉を彼の眼の前に開いてあげるのが良いと思いますか?これこそが、今日のテーマです。完璧なのは、前回お話したことです。つまり、「悔悟が誠実であること」、「後戻りしないこと」です。なぜなら、(悔悟によって)アッラーの御慈悲のドアの向こうに入ったからです。そして完璧なのは、「罪を犯したしもべがアッラーとともに新しい1ページを開くこと」です。もし、足を踏み外してしまったなら、それは人間の弱さだということです。そして再び罪を犯してしまったら、彼にはアッラー以外に誰がいるというのでしょう。悔悟の受け入れなど無いのだと失望した瞬間、人間は不道徳になります。まるで大きな迷路に迷い込んだかのようになるのですが、その中でのアッラーの御慈悲は彼にとって救助綱です。反逆者たちがそれをつかみます。安全弁や救助船のようでもあります。ですから、講義を聞いてくださっている兄弟姉妹の皆さん、もし、罪を再度犯してしまったら、悔悟も改めてください。あなたにはアッラー以外の御方はいないのですから。

 

「また、彼こそは彼のしもべたちの悔い戻りを受け入れ、悪事を免じ、」(協議章25節)

 

真正ハディースの中で、教友アブー・フライラ様(アッラーの御満悦あれ)は言いました:私は預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃるのを聞きました:

 

《とあるしもべが罪を成した、または罪を犯した(とおっしゃった)。そして言った:主よ、私は罪を犯しました。または罪を成しました(と言った。)ゆえ私をお赦しください。そして彼の主がおおせになった:罪を赦しそしてそれを罰する主がいることをわがしもべが知ったのか、ではわがしもべを赦そう。そして(しもべは)アッラーが御望みの時間を過ごしたのち、罪を成した、もしくは罪を犯した。そして言った:主よ、私はまた罪を犯しました。または罪を成しました(と言った。)ゆえ御赦しください。彼(アッラー)は仰せになった:罪を赦しそしてそれを罰する主がいることをわがしもべが知ったのか、ではわがしもべを赦そう。そして(しもべは)アッラーが御望みの時間を過ごしたのち、罪を成した、もしくは罪を犯した。そして言った:主よ、私はまた罪を犯しました。または罪を成しました(と言った。)ゆえ御赦しください。彼(アッラー)は仰せになった:罪を赦しそしてそれを罰する主がいることをわがしもべが知ったのか、ではわがしもべを赦そう。彼は好きに行動すれば良い。》(アル=ブハーリー)

 

まるで、正直者かつ信じられるお方である預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はアッラーの御慈悲が広く、私たちが必ずそこに到達でき、そこへ逃避し、それによって己を守り、彼の御慈悲に傾倒することを強調してくださっているかのようです。他のハディースには、教友ウクバ・イブン・アーミル様(アッラーの御満悦あれ)による、ある男が預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)を訪れて次のように言ったと伝えています:

 

《アッラーの使徒様、私たちの誰かが罪を犯します。彼は:それは記される、とおっしゃいました。男は、そして罪の赦しを請い、悔悟します、と言うと、彼は:彼は赦され、悔悟が受け入れられるとおっしゃいました。男は、また罪を犯します、と言うと、彼は:それは記される、とおっしゃいました。男は、そして罪の赦しを請い、悔悟します、と言うと、彼は:彼は赦され、悔悟が受け入れられる。おまえたちが飽きるまでアッラーが飽き給うことはない、とおっしゃいました。》(アル=ハーキムとアッ=タバラーニー)

 

司会:信仰者に悔悟のドアは開かれていますね。信仰者の信仰の完璧さ、信仰の崇高さ、信仰の輝きとして、悔悟はアッラーの御赦しのもと受け入れられるものであり、悔悟が繰り返されても、罪が繰り返されてもアッラーは悔悟を受け入れてくださると強く確信することです。

 

先生:ですからアッラーは次のように仰せなのです:

 

「そしてアッラーはおまえたちの許に顧み戻ることを望み給うが、」

 

そしてこれはアッラーの御意志です。

「欲望に従う者たちは、おまえたちが大きく片寄り、偏向することを望む。」(女性章27節)

 

ハディース・クドゥスィーには次のようにあります:

《彼らが悔悟すればわれは彼らの愛しい存在になり、もし彼らが悔悟しなくとも、われは彼らの医者となろう。われは彼らを罪業や恥から清めるために彼らを災難で試す。善行一つはわれの許で10倍そしてさらに倍加し、悪行は一つは一つにし、赦そう。母親がその子に対してよりも、われはわがしもべに対し親愛深いのである。》

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