イスラーム勉強会ブログ

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悔い戻る者たちの道しるべ【8】-(2)

2015年11月06日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
司会:マスジドや聖マスジド内で罪を犯す人はどうでしょうか。

先生:聖マスジドの中で罪を「ニーヤ(意志)する」だけで「罪」になります!アッラーはその寛大な御方なので「行為」にのみ報い給いますが、アッラーの館である聖マスジドだけは別なのです。

「そしてそこで不正による逸脱を望む者、われらは彼に痛苦の懲罰から(の一部を)味わわせるであろう。」(大巡礼章25節)

あるのはニーヤ(意志)だけです。
アッラーは次のようにも仰せです。

「信仰する者たちの間で醜行(姦通の噂)が広まることを好む者たち」(御光章19節)

この節で言われている人は醜行を行ったわけではありませんし、声に出したわけでも、噂をしたわけでもありません。しかし信仰する者たちの間で醜行が広まるのを心底から望んでいます。そのような人は、「この人はムスリムじゃない」と言いますが、彼は信仰する者たちのとは別の塹壕にいます。さて、地球上に自分の娘のスキャンダルを望む母親がいるでしょうか?もしそのような母親が見つかったとしたら、きっとその人は娘の母親ではないでしょう。娘のスキャンダルを望む母親は、けっしてその娘の母親ではありません。同様に、信仰する者たちの間に醜行が広まるのを望む信仰者は、はっきりと信仰者ではないと言えます。信仰する者は信仰する者たちの社会や名声のために心配し、彼らの間に醜行が広まるのを嫌います。また、スキャンダルを好む愚かな集団もいます。なにかスキャンダルの知らせを掴むとそれを何としてでも広めようとします。代わって信仰する者は「覆う者」です。そのように預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)から伝わっています。教友サフワーン・イブン・ムフリズ・アル=マーズィニー様(アッラーの御満悦あれ)によると彼は言いました:私がイブン・ウマル(アッラーの御満悦あれ)の手を取って歩いていると、ある男が現れて言いました:貴方は、アッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)がナジュワー(アッラーに対する独り言的訴え)についてどうおっしゃるのを聞きましたか?彼(イブン・ウマル)が答えて言いました:私はアッラーの使徒様(アッラーの祝福と平安あれ)が次のようにおっしゃるのを聞きました:《まことにアッラーは、信仰する者をお近づけになり、その上に彼の庇護をかけ給い、そして彼を覆い隠し給い、仰せになる:おまえはこの罪を知っているか?おまえはこの罪を知っているか?と。彼(信仰する者)が、はい、主よ、と答えて認めさせる。そのため彼は己の破滅を知るのだが、アッラーは仰せになる:それら(の罪)をわれらは現世で覆い隠した。そして今日、おまえのためにそれらを赦そう。そして善行の書が与えられる。不信仰者と偽信仰者について言えば、証人たちが次のように言う:【その証人たちは,「これらの者は,主に関して偽った者です」と言うであろう。見なさい。アッラーの怒りが不義者に下る。】(11章18節)》(アル=ブハーリー)

しもべを悔悟に近づけ、アッラーの御慈悲に近づけるのは、罪を犯してもそれを人々に晒さないことです。ですから皆さんが罪という災難に見舞われたらそれを覆い隠してください。

若者たちに言っておきたいことがあります。「昨日、◯◯をしてしまったよ」と悪の蔓延を望んでいるわけでもないのに話のネタに友人にこんなことを言うかもしれません。この行動の法規定は何でしょうか?これには大きな疑いがあります。なぜなら若者同士が集まると、友の間違い・罪の話に耳を傾けて、まるでそれらが自然で普通でありふれたこととみなしてしまうからです。しかし、具体的にせずに知識人に質問をする場合、社会の安全が保障されます。

司会:覆い隠すことも質問することも必須ですね。

先生:質問し、覆い隠してください。罪をさらすことは別箇の罪であり、アッラーに対する大胆な行為です。